転送
買い出しから数日、三人は朝から城壁を出て小高い山に来ていた。
ベルムの腰には、上等な鞘に収まった剣が小気味よく揺れている。鞘は、丁度今朝届いたばかりの逸品だ。
良質な革は淡い青に染められ、鍔の石とよく合う。吊り具はしっかりした造りで、控えめな装飾が施されている。
ベルムは柄に手を置き、ご満悦だった。良いものは良い。改めてそう実感する。
鞘をひと撫でし、前を見る。
赤銅色の髪が目の前で揺れていた。その上に、ティリルが腰掛けている。
二人は、当面の目標について話していた。
「それじゃ、神器は大陸中に散らばっているのね」
ネドラが総括する。
「そう。まずはカダヒに向かうつもり」
「ええ、位置的にそれが妥当だと思う」
”カダヒ”と言われても、ベルムにはいまいち場所が分からない。ドワーフの国――それくらいの知識しかなかった。
だが、ネドラは違う。大陸の地図が頭に入っているようだった。それだけでなんと心強いことか。
「でも、どうしてそんなに散ってるの?集めるの大変じゃない?」
ネドラが疑問を呈する。
ベルムも同感だった。先代が神器を一か所にまとめてくれていれば、旅はずいぶんと楽になったはずだ。
「魔族に場所がバレても、全部まとめて奪われないでしょ」
ティリルが人差し指を立てる。
「……なるほど」
ネドラが頷き、少しだけ顔を曇らせた。
「現に先々代の勇者は負けたわけだし。南部まで魔族が蔓延ることも、十分あり得るものね」
「え、先々代は……負けたのか?」
ネドラの口から出た思いがけない言葉に、思わずベルムが口を挟んだ。
「女神さまも言っていたでしょ」
ティリルが振り返る。
「これまで、勇者の半分が負けたって」
「先々代が負けてから先代が現れるまでの二百年近く、この大陸は魔族に支配されていたのよ」
ネドラが淡々と補う。
ベルムは己の無知を痛感し、頬が熱くなった。
だが、恥ずかしがっていても仕方ない。グッと顎を上げ、引っかかっていた疑問をぶつける。
「どうして軍で対抗しなかったんだ?人間とエルフ、ドワーフとチカプ……四種族が力を合わせれば、なんとかなるだろ」
現に今のラナル王は、軍事でどうにかしようとしている。勇者一人に託すより、よっぽど現実的に思えた。
「王も言ってた。百年前は軍で魔族を追い払ったって……」
しかし、二人は同時に首を振った。
「それは、先代勇者が魔王を討って……魔王が不在だったから」
ティリルが、ネドラの頭からベルムの肩に移りながら言った。
「魔王は、天から降り注ぐヴリルを大地に伝える能力を持つの」
ネドラが歩みを止め、振り返る。
「巫女がマナを伝えるようにね。……魔王がいるだけで、魔族全体の力が底上げされる。魔王が巫女を取り込めば、さらに」
ネドラはそこで言葉を切った。風が吹き抜け、髪と外套が小さく鳴る。
「軍では抑えきれない――そういうこと?」
ベルムが言うと、ネドラは小さく頷いた。
「だから、勇者率いる少数精鋭で懐に入り、魔王だけを倒すってわけ」
ティリルが締めくくる。
「つまり、百年前は魔王が不在だったから軍で何とかなったけど、今回はそうじゃないと……」
ベルムが総括すると、二人は同時に首肯した。
「だから、神器集めが必須ってわけ。それがないと戦えないからね」
肩の上で足をぶらぶらさせながら、ティリルが前に指を向ける。
「ああ、早くこの目で見てみたいわ」
ネドラがその方向を目で追った。
ベルムは鞘をもう一度撫で、息を吐いた。
出発はいよいよ明日。それを思うと、胸が高鳴った。
―――
「さて、このあたりよ」
ティリルについて辿り着いたのは、丘の頂上から少し下ったところにある大岩だった。
振り返ると、草原の彼方まで雄大なハベレー川が走る。そのほとりの王都からは、王宮の塔が伸び、銅葺きの屋根が朝日を浴びて輝いていた。
ティリルはショージ山の時と同じように岩の周囲を低く飛び、つぶさに探った。やがて、ぴたりと止まる。
「あった、ここにきて」
人ひとりがやっと入れる岩の隙間に、見覚えのある紋章が刻まれている。
ベルムはチュニックの裾に手をかけた。
「ちょっと!いきなり何?」
ネドラが慌てて手で顔を覆う。
「いいから見てなって」
ベルムは苦笑し、左の胸を岩の紋章に翳した。
紋章が眩く輝く。岩が低く軋み、一部が横にずれた。瞬く間に、ぽっかりと穴が開く。
ネドラは言葉を失い、口をあんぐり開けてその様子を見ていた。
「"転送の祠"さ」
ベルムはチュニックを下ろしながら、顎で穴を示した。
「てん……?」
「転・送。遠くに一瞬で人を送るってことだよ」
ショージ山でティリルから聞いたことをそのまま説明する。
受け売りだとしても、王女に教える立場になれることが嬉しかった。
「何よ、得意げに」
ティリルが茶化した。
ネドラは穴の縁に指先を近づけ、そっと引っ込めた。驚嘆か感動か、表情が定まらない。
「女神さまの御業ね」
「んー、そうとは限らないないかも」
ティリルが水を差した。
「そうなのか?」
これはベルムにとっても意外だった。神器と同じように、てっきり女神シトカナが作ったものだと思っていたからだ。
「祠は大抵高い場所にあるんだけど、これはマントの運用を前提にしているから……これは前にも言ったよね?」
ピクシーの言葉に、ベルムは無言で頷く。
「つまり、この祠ができたのは、神器よりも後の時代かもしれないってこと」
「人間が作ったってのか?あり得ないだろ」
ベルムは鼻で笑ったが、ネドラは口に手を当て、何やら考え込んでいる。
「いえ、そうとも言い切れないわ」
「どうしてさ?」
「主神リットリナがラナル大陸を創られてから、魔族の支配が続いたことは何度もあったはず」
眉間に皺が寄る。
「その間、失われた魔法が沢山あるんじゃないかっていうのが大方の見解なの……人間、それからエルフあたりにこういう技術が過去にあったとしてもおかしくはないわ」
「流石ね。ピクシーの間でも同じように考えられているわ」
ティリルが褒めると、ネドラは舌を出してはにかんだ。
「はぁ、そうなのか」
壮大すぎてついていけない。ベルムは首を傾げ、ティリルに視線を向けた。
「で、本当に前の祠へ移動できるのか?戻ることも?」
とにかく今は、実務の話がしたかった。
「そのはず」
ティリルが即答する。
「中に入って、行き先の風景を思い描くだけだよ」
信じ難いが、ものは試しだ。ベルムは祠へ足を踏み入れた。
内側は、前に見た祠と同じだった。両手が届くほどの広さの、半球形の空間。壁面は研磨されたように滑らかだ。
中央へ進むと、足元に光の輪が現れた。
「百数えるまでに戻ってきてね」
外からティリルの声が聞こえる。
「わかった」
ベルムは目を閉じ、ショージ山のことを思い浮かべた。――岩山、祠の入り口、マイカを一望する景色。
瞼越しに、光が強くなったのが感じられた。足元から、「ヴーン」とアブの羽音のような音が聞こえた。
「わぁ……」
ネドラが驚きの声を漏らす。
次の瞬間、足元が抜けるように体が軽くなり――ベルムの意識は、そこで途切れた。
―――
外から見ていた二人には、ベルムの姿がふっと掻き消えたように見えた。
「すごい!成功ね!」
ネドラが跳ねるように手を叩く。
ティリルは祠から目を離さず、唇を噛んだまま頷いた。
「あとは戻ってくるだけね」
――しかし、ベルムは姿を現さない。
(……九十……百………百五十……)
「戻らないね……」
ネドラが視線を向けると、ティリルは爪を噛み、顔色を失っていた。
祠の中を凝視している。
「ん?」
間をおかず、ネドラもそれに気づく。
視線の先に、淡い緑の火の玉のようなものが浮かんでいた。




