庶子
「それじゃ、商品は届けておいて頂戴。アン、あとはお願いね」
ネドラは店主と侍女にそう告げ、ベルムを伴って店を出た。侍女は一礼し、店に残る。
「またのお越しをお待ちしております」
二人の背に、店主の柔らかな声が届く。ベルムにとって、これほど丁寧な接客は、これまで経験したことのないものだった。
「こんなに高級な店じゃなくてもいいだろ」
颯爽と街を行く王女にベルムが言った。
「あら、そんなに高価な物は買ってないわよ?店頭品ばかりじゃない」
ネドラは「何を言っているの?」とばかりに首を傾げる。
ふたりの口調は、今朝のように丁寧なものではない。
これから共に旅をするのだ。堅苦しさを嫌ったベルムの提案だった。
ここからは馬での旅路になる。そのために馬具や荷物入れなど新たな装備を揃える必要があり、ベルムたちは王都の通りへ繰り出していた。
今の店で三軒目。どこも高価な品を揃える店ばかりで、ベルムは気後れしっぱなしだった。
「さて、大きな物はここまで。ここからは二人で回りましょう」
「ちょっと、私もいるわよ!」
ベルムが下げた革の肩掛け鞄から、ティリルの声が飛んだ。これもネドラが新調してくれたものだ。
「あらごめんなさい」
ネドラはころころと笑い、鞄を軽く叩いた。
気楽な王女をよそに、ベルムの顔は険しい。
「でも、王女が簡単に王宮から出ていいのか?」
声を落として聞く。
アンと呼ばれていた侍女も、止めることなく淡々と付いてきていた。それがベルムには妙に思えた。
止める者もいない。それがベルムには妙に思えた。
王女の外出に、誰も口を挟まないのだ。
「勇者様と一緒なら大丈夫よ」
声は明るかったが、横顔は見えない。ベルムはその真意を測りかねた。
―――
その後は王都を散策しつつ、ベルムの衣服や小物を見て回った。
昨日は怖かった王都も、ネドラと一緒だと違って見えた。
賑やかな大通り、広場、市場。陽気な芸人に、几帳面な商人たち。誰も彼もが、彼女に対して丁寧に腰を折った。
王族だと知っているわけではない。ただ、身に着けているものや浮世離れした所作が、彼女がただの平民ではないことを示していた。
まずは布屋で、チュニックを二着。汗を吸う薄手のものと、夜の冷えに備えた少し厚手のものを選ぶ。ネドラは縫い目を指でなぞり、裏返して糸の始末まで確かめた。値札を見ても顔色ひとつ変えない。
次に革屋でベルトと、外套の留め具。防寒具は迷ったが、この先の季節を考えて結局買った。
靴とポーチ、鎖帷子、それからナイフは、ベルムが村から持ってきたものを引き続き使うことにした。店先で取り出して見せると、ネドラは意外そうに眉を上げ、それから頷いた。
「質素だけど、いいものね」
手に取った鎖の編み目を確かめ、ポーチの縫い糸を指で弾く。ナイフも、鞘から少しだけ抜いて刃を見た。
「大事にしているのがわかる」
ベルムは、胸の奥がふっと軽くなるのを感じた。
父と母が工面してくれたもの。ディンキーが持たせてくれたもの。それを高貴な身分の人間が「いい」と言う。――それだけで、妙に嬉しかった。
「……ありがとう」
礼を言う声が少し掠れた。
ネドラは気づかないふりをして歩き出す。だが、口元がわずかに上がっている。
ひと通り揃ったところで、ネドラがふとベルムの腰元を見た。
フォーブルで作った簡易な鞘。板で挟み革を巻いただけの、いかにも急ごしらえのものだ。
「これは……」
ネドラは言葉を切り、頷いた。
「ちゃんとしたのをしつらえなきゃ」
有無を言わさぬ調子で踵を返し、鍛冶屋の看板が連なる通りへ向かう。ベルムは慌てて後を追った。肩掛け鞄の中で、ティリルが小さく笑う気配がした。
鍛冶場の熱と鉄の匂いが近づく。
ネドラは迷いなく店を選び、職人に鞘を発注した。材質、石突の有無、吊り紐の位置、湿気に耐える処理など。注文は滑らかで、職人も感心している様子だった。
ベルムは傍で黙って聞きながら、剣の柄に手を置いた。
旅の準備が、今さらながら現実になっていく気がした。
―――
さすがに鞘は即日納品とはいかない。後日届けられることとなり、ベルムたちは王宮へ戻った。
中庭に面した回廊で、誰かがネドラを呼んだ。
「サラお姉さま」
ネドラが畏まって膝を折った。心なしか、声と表情が硬かった。
姉と呼ばれた女性は、何人もの侍女を従え、こちらに近づいてきた。
幾重にも布を重ねた重たげなドレスを身にまとい、華美な扇で口元を隠しながら、ベルムに視線を投げる。
「それで……貴方が例の?」
頭の先からつま先まで、値踏みするようにたっぷりと一往復見てから、サラは鼻にかかった声で問うた。
「はい、お初にお目にかかります。シノ村のベルムと申します」
無礼がないよう、目を伏せて腰を折る。
「勇者っていうものだから、もっとこう……立派な方を想像していましたけれど……」
侮蔑とまではいかないまでも、明らかに軽んじている。今朝のネドラの反応とは対照的だ。
侍女たちもくすくすと笑い、互いに目配せをしている。
「お姉さま、失礼ですわ」
ネドラが声を押し殺して抗議する。先ほどまでの明るさはどこかへ行っていた。
「貴方も大変ですわね」
サラは妹を無視し、ため息をついた。
「旅の仲間にこんな普通の女の子をあてがわれて……」
意地悪な笑みを浮かべてネドラを一瞥する。
「あ、でも父上は貴女に感謝していましたわよ。『これで、戦の人手がとられずに済む』ってね」
ネドラは無理に笑おうとしているのか、顔を引きつらせている。
いたたまれなくなり、ベルムは一歩前へ出た。
「お言葉ですが、ネドラ……殿は、普通の女の子などではありません」
ひたとサラを見据える。
「私は王宮の礼も、広い見識もありません。けれどネドラ殿は違う。さっきの店でも、選ぶ目も、交渉も、迷いがなかった」
一瞬止まり、言葉を探す。
「ここからの旅は長くつらい……そんな旅で必要なのは、腕力だけじゃない。ネドラ殿の機転と教養は、きっと役に立ちます」
相手の身分を意識すると顔が熱くなる。ベルムは赤くなりながらも、視線を逸らさなかった。
「少なくとも、侮られていい方ではない」
何とか言い切り、ネドラをちらりと見る。
彼女も、白い肌を首まで朱に染め、ベルムを見つめていた。
「はっ」
サラが鼻で笑う。
「もう取り入ったの?さすが、あの女の子ね。何を使ったの?またお金?」
主人に呼応するように、侍女たちが口元を隠してヒソヒソと囁き合う。
ネドラの顔から一気に血の気が引く。一文字に結んだ唇の奥から、奥歯が軋む音が聞こえそうだった。
「サラ様、公爵夫人との約束に遅れてしまいます」
侍女の一人が耳打ちする。
「あら、それはいけないわ。では勇者様、ご機嫌よう」
サラはネドラなどそこにいないかのように見向きもせず、その場を後にした。
角を曲がって姿が見えなくなっても、回廊の先からは侍女たちの笑い声が響いていた。
ネドラが息を吐き、肩の力を抜いた。
「今の御仁は?」
「第二夫人の長女、王位継承権第三位のサラ姫よ」
どおりで高飛車なわけだ。ネドラとは王女としての格が違うというわけか。
「ネドラは何位なの?」
相変わらず不躾な質問をティリルが投げた。
ネドラは一瞬固まり、声を上げて笑った。度を越した無礼さが、返って面白かったようだ。
「王女っていってもね」
目尻の涙を拭う。
「私は何人もいる妾の庶子にすぎないし、母は商家の出。王宮内で大した価値はないのよ。もちろん、継承権もないわ」
笑顔にはどこか陰がある。
“気苦労を知らぬお嬢様”という評価は、改めねばならない――ベルムはそう思った。




