行き止まり
その夜、ベルムは宿を抜け出し、ティリルに誘われて王都の片隅をうろついていた。
月明りが遮られ、闇が一層濃い。家々が城壁に貼りつき、道は細く、空は頭上に開いた裂け目のようだった。
ここは王都の端の端。城壁の際の貧民街。王宮とは正反対の場所を、人目を気にしながら歩く。
壁際で死んだように動かない酔っ払い、物陰で何やら怪しいパイプを吹かすもの、残飯を漁る犬……そしてやせ細った子供。
どれも関わり合いになりたくない属性の者ばかりだ。
「おい、王宮に行くんじゃないのか」
「いいから。ほら、そこの角を曲がって」
麻袋の中から指示が飛ぶ。
言う通りに右に折れて少し行くと、多少開けてはいるものの、そこは行き止まりだった。足元はぬかるみ、鼻を突くにおいが漂う。
誰も長居したくないような場所だった。実際、人っ子一人いない。
「なんだここ。ごみ置き場か?」
ランタンを掲げて辺りを見回す。魔法は目立つので、昼間に雑貨屋で買っておいたものだ。
灯に照らされ、打ち捨てられたものが浮かび上がる。
腐った野菜に割れた陶器、汚物の桶に、血の染みた布……死んだ小動物の死体まである。
この世の不要なものが流れ着く地獄の川の畔……そんな風景だった。
「多分ここね……」
ティリルが袋から出て、奥の方へ飛んで行った。
塵芥が山になっているあたりを低く飛び、何かを探している。
行為だけを見れば、ショージ山と同じだ。しかし、今回はただの岩山とはわけが違う。
ティリルは悪臭に顔を歪めながらも、懸命に目を走らせた。
しばらく飛び回り、
「あ、あった」
ごみ山の一角で停止する。
指さす先には、石がひとつ立っていた。墓石のようだったが、とても古く、半ば土に埋もれている。刻まれたはずの名は苔に埋もれ、墓の主を忘却の彼方へ押し込めていた。
ティリルはその背後に回り込み、顔を近づけた。
「こっち」
ベルムを手招きする。
彼女の指示に従ってランタンで照らすと、墓石の背面に、縦長の穴が三つ刻まれていた。
「剣を」
「抜けないよ」
剣は鉄線で固く封じられている。
「なにいい子ぶってんの。それぐらい解けるでしょ」
ベルムはため息をつき、鉄線に魔力を流して、ほどける像を思い浮かべた。
鉄線がハリガネムシのように捩れ、柄を解放する。
『城内で抜けば、即刻牢屋行きだ』税吏の言葉が脳裏をよぎった。
誰もいないことを確認し、剣を抜く。
しばらくぶりに見た刀身は、ランタンの光を反射して淡い橙色に輝いていた。
ティリルが小さな肩掛け鞄から紙を取り出し、顔を寄せる。
「左、右、左、真ん中、右、真ん中……この順に差し込んで」
そこには、極小の文字がびっしりと書き込まれていた。
「それは?」
「郷に伝わる勇者案内の秘伝書。秘伝だからあんまり聞かないで」
ティリルはさっと紙を仕舞い、「早く」と急かした。
言われた通りの順番で剣を穴に差し込む。
――次の瞬間、わずかな振動が足裏に伝わった。そして、足元の地面がゆっくりと横にずれる。ベルムが立っていたのは、大きな一枚の岩だった。
驚いて飛び退り、今立っていた場所に目を落とす。
間もなく、地下へとつづく階段が現れる。中は闇だった。
「行くよ」
ティリルが先に降り、ベルムも続く。
「ここ押して」
何の変哲もない石壁をティリルが指さした。
力を込めて押すと、石が「カチリ」と音を立てて引っ込み、再び地面が振動した。
背後で、一枚岩が元の位置に戻る。
真っ暗な通路で、ランタンだけが温かな光を放っていた。
「どういう仕組みだ?」
「知らない。何代も前の勇者の時代に作られたものだもの」
ティリルは肩をすくめて先を行く。
ベルムはそれ以上追求することなく、その後を追った。
通路はまっすぐに伸びていた。目印になるものが全くないので定かではないが、おそらく王宮へ向かっている。
「王に会うってのは本気だったんだな」
「当たり前でしょ。まだ疑ってたの?」
ティリルが笑って振り返った。
「あーあ、王宮に侵入……しかも帯剣してだなんて。打ち首になっても文句は言えないな」
「不安?」
彼女の顔には、意外にも心配の表情が浮かんでいる。
「まあな。でも、それが当たり前だ。気にすることじゃない」
ベルムが苦笑いを返すと、ピクシーはあいまいに微笑み、前に向き直った。
―――
通路は初めこそ真っすぐ平坦だったものの、王都の中心に近づくにつれて登りになり、螺旋を描くように上へ向かった。
王宮が立つ高台を登っているようだった。
しばらく行くと、
「行き止まりだ」
ティリルが止まって呟いた。
「どこを押せばいい?それともまた差し込むか?」
ベルムはランタンを掲げ、壁に目を走らせる。しかし、ティリルは首を振り困った顔でこちらを見た。
「こんなの、聞いたことないわ」
「どうしよう……」
そう言いながら、行き止まりの壁に沿って上下左右に飛び回り、隅々まで観察する。
「戻るか?」
「だめ!今日会わないと……」
本気で焦った声だった。
ベルムも何か手掛かりはないかと壁に手を触れる。……と、指先にわずかな空気の流れを感じた。
「ここ、隙間があるぞ」
そう告げると、ティリルはベルムの指を押しのけ、隙間に目を当てた。
「やっぱりここだ!剣を使って!」
言葉足らずだったが、不思議と彼女の意図が伝わった。
ベルムは剣を抜き、隙間にゆっくりと差し込んだ。
刃に対してあまりにも薄く小さな隙間。それでも少し力を入れると、刀身はどんどん石を切り裂き、沈んでいく。
今更驚きはしない。
剣を横に動かすと真一文字に石が切れる。
一度抜いて、今度は縦、また横、そして縦。壁に四角を描く。
力を込めて石を押すと、驚くほど簡単に動いた。固い塊が壁の向こうに落ち、大きな音を立てる。
(しまった!)
背中に冷や汗が流れた。衛兵が駆け付けようものなら、間違いなくお縄だ。
しかし、穴の向こうから聞こえた声は、驚くほど落ち着いたものだった。
「おお、伝承は本当だったのか」
温かな光の中、柔らかなリネンに身を包んだ男が、こちらを覗き込んでいた。




