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19/25

 トルヤ湖を出てひと月、ベルムはセザン峠の茶屋で揚げた芋をかじっていた。もそもそと咀嚼して飲み込む。


 昨夜は併設の宿で一泊した。衝立すらない、雑魚寝の粗末な部屋だった。


(ああ、トルヤ湖が懐かしい)


 湖畔で過ごした数日が、正に夢のように思い出される。二泊目以降はさすがに個室ではなかったが、ベッドは清潔だったし、何より食事と温泉が最高だった。


 それに引き換え、この険しい峠の宿は、今後悪い思い出になること間違いなしだ。


 馬では厳しい険路……必然的に客層は貧しい。

 藁を敷いただけの床で、隣の旅人の寝息を聞きながら横になる――気持ちのいいものではなかった。


 王都まであと半月。最後の宿がこれとは泣けてくる。


 今、ベルムの隣で芋を貪る男も、お世辞にも身なりが良いとは言えなかった。


 油っぽい髪がべっとりと頭に張り付き、爪は伸び放題。ぼろぼろの服からは、いつ蚤が飛び出ても不思議ではない。


 向かいの椅子に腰かける女が、ベルムの傍らに視線を注ぐ。つるぎを立てかけているあたりだ。

 警戒して剣を引き寄せると、女はさっと視線を反らせた。


 シカリズ峠での出来事を忘れてはいない。残りのかけらを口に放り込み、さっさと長椅子から立ち上がる。


 季節は夏の終わり。朝の峠は少し冷える。

 ベルムは外套を肩にかけ、王都に向かう最後の道のりへ踏み出した。




 ここからは下りだ。速度は出るが、その分危険も大きい。

 足を滑らさないように注意を払いながら、ベルムは先を急いだ。


 まだ見ぬ王都を思い描くと、疲れた体にも力が漲る。


(遠目でいいから王様の城を見てみたいな)

 無邪気な願望が浮かび上がった。


 ふと、一つの疑問が湧く。


「王都で誰に会うんだ?」

 頭の上に座るティリルに問いかける。『胸の紋章を見せ、助力を得る』女神の言葉が脳裏をよぎる。

「レスタル二世よ」

 頭上から思いがけない言葉が降ってきた。


「は?」

 信じられずに聞き返す。


「だから、レスタル二世だってば。貴方たちのおさでしょ、知らないの?」


「無理だ!」

 ベルムは思わず顔を上に向けて言った。


「ちょっと!」

 ティリルは頭から滑り落ち、空中で体勢を立て直してぶつくさと文句を言った。


 しかし、そんなことはどうでもいい。


「会えるわけがない。よくて門前払い……悪けりゃ投獄だ」

 レスタル二世の名はもちろん知っている。ラナル王国の国王だ。貧相な身なりの田舎者が面会できる相手ではない。


 しかし、ティリルは胸を張って拳で叩いた。

「大丈夫。任せて」


「どうしてそんなに自信満々なんだ……」


 ベルムはあきれ顔で首を振ったが、この旅の案内役は彼女だ。今は従って歩くしかない。


(まあ、先のことは王都についてから考えるか)

 そう割り切り、今は足元に注意を向ける。



「ちょいとそこの人」

 しばらく下ったところで、背後から声がかかった。


 集中して歩いていたので気配に気づかなかった。ティリルも反応が遅れ、袋へ潜る暇がなかった。


 そこにいたのは、峠の茶屋で見かけた女だった。身の丈ほどの杖をついて立っている。


 くすんだ色の長衣にウールの外套、頭には頭巾をかぶっている。どれも擦り切れやほつれが目立つ――どこにでもいる身分の低い女だった。

 

「何?」

 聞き返す口調がきつくなる。茶屋でこの女がつるぎを見ていたことを忘れてはいない。フォーブルで出会った男と共通するものがあるように思えた。


「人を探してるんだけどさ」


 女は嘗め回すようにベルムの全身を見た。そして、ティリルに視線を移す。


「丁度、あんたくらいの年頃で、ピクシーを連れてて……」


 言いながら、女の輪郭がゆらゆらと揺れる。


「青い石の付いた剣を持っている男を!」


 言い終わった時、そいつはもはや女ではなかった。……いや、人間ですらない。


 燃えるような赤い目、剥き出しになったギザギザの歯、顔や粗末な貫頭衣から除く手足は深い紫色……。

 杖は、いつの間にか鉄槍てっそうに変わっていた。


「魔族……!」

 ティリルが口を押える。


「ティリル、下がれ!」

 ベルムは剣を抜き、一歩前へ出た。


「覚悟!」

 魔族も槍を構え、踏み出す。


 まだ間合いには遠い――そう思った瞬間、槍の切っ先が、あり得ない距離から滑り込んできた。

 ――辛うじてそれをかわす。


(ばかな!)


 対長物の戦いもディンキーから伝授済みだ。相手の体格、得物の長さから間合いを図る術は心得ているつもりだった。

 だが、魔族の間合いはそれを超えてきた。しかも速い。


 慣れない距離と律動で攻められ、攻撃に転じられない。

 

(強い……)

 シカリズの賊とは比べ物にならない。


 それでも、躱し続けているうちに、異常に長い射程のからくりが見えてくる。

 ――予備動作のわりに踏み込みが長い。地面を蹴る際に、魔力を足の裏から押し出しているのだ。

 

 だが、捌けないわけではない。ベルムは次の一撃を、刃で受け流すように切った。


 振り抜くと、腕に小さな抵抗を感じた。

 鉄槍の先端から三分の一がぽとりと落ちる。


 魔族は驚愕した顔で飛び退すさった。


 またとない好機。

 ベルムは魔力を足に込め、一気に間合いを詰めた。――相手の技の模倣だ。


 腰を折り曲げ、足元を薙ぐ。

 音もなく、相手の右脚が脛から下を失った。


「ぎぃあぁぁぁぁ!」


 魔族は口から凄まじい叫びをあげ、その場に倒れた。苦痛に顔をゆがめ、脚を抑える。傷口からは、青い血がとめどなく流れ出ていた。


 ベルムは肩で息をしながら切っ先を魔族に向けた。

 緊張が少し途切れ、今になって直前の出来事への驚きが到来する。


(鉄だぞ?バターじゃないんだぞ?)

 改めて、驚愕すべき切れ味だ。刃を見下ろす視線に熱がこもった。


 だが、今はこの魔族に聞きたいことが山ほどある。


「ラミーナは――巫女はどこだ?」


 低い声で精一杯に凄む。

 しかし魔族は、額に脂汗を浮かべながらもニタニタと笑うばかりだった。


「その剣……やはりそうか」

 答える代わりに、そう独りつ。


「おい、答えろ!」

 ベルムは切っ先を相手の喉元に近づけ、詰め寄った。


 その時、耳障りな羽音とともに、影が魔族の頭をかすめた。


(またか……)


 例の鳥だった。

 鳥はそのまま飛び去り、木々の向こうに姿を消す。


 ベルムが視線を戻すと、魔族の身体は力を失い、あおむけに倒れていた。

 こめかみに、細長い刃物が突き刺さっている。


(……見張っていた。最初から口を封じるつもりで)

 胸の奥がざわついた。


「死んだ?」

 木の陰に隠れていたティリルがおずおずと顔を出した。


「多分」

 ベルムは剣を鞘に納め、慎重に遺体を蹴った。……こと切れている。


「こいつ、剣のことを知っていたわ」

 ティリルも近づき、魔族の顔を覗き込む。


「そうだな。それに、こんな南に魔族がいるなんて……」

 ベルムは相槌を打ち、呟いた。


 ラミーナを攫った魔族は、明らかに巫女を狙った精鋭だった。

 だが、この個体はそうではない。おそらく、もっと一般的な……雑兵ぞうひょうのような存在だ。


「それに、どうして不意打ちしなかったんだ?」


「分からないわ」

 ティリルは不安げに首を振った。


 温泉での出来事といい、今回の襲撃といい、不穏なことが続く。


「とにかく王都へ……」


 ベルムは踵を返し、先を急いだ。

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