マナと魔法
街道はきつい上り坂になり、崖の下では白い波が打ち寄せては砕けている。ベルムは息を弾ませ、照り付ける太陽のもとを一歩一歩進んでいた。
「もうすぐだな」
ようやく坂道の終わりが見えてきた。汗をぬぐい、脚に力を込める。
フォーブルの宿場町を出て六日、ふたりはシカリズ峠に差し掛かっていた。ここを超えれば、いよいよ海に別れを告げ、内陸へ向かう。
峠の手前で、獣と汗の混じった臭いが鼻をくすぐった。近くに馬でも繋がれているのか。
そう思った矢先、
「左!」
ティリルが叫んだ。
崖と反対の茂みから男が飛び出し、剣を振りかざす。ベルムは身を翻してそれをかわした。
相手は追撃の手を緩めない。右から左、左から右へと、何度も剣を薙ぐ。
ベルムは攻撃の切れ間を見計らって懐に入った。
渾身の力を込め、鳩尾に拳を打ち込む。
「ぐえっ」
暴漢は体をくの字に折り曲げた。
その後頭部に肘鉄を落とすと、男は前のめりにに臥し、気を失って動かなくなった。
「まだいる!」
ティリルが茂みを指差した。
四人の影が路上に躍り出る。ひとりは前方、あとの三人は背後――逃げ道を塞いでいた。
「やるじゃないか」
聞き覚えのある声だった。正面に立つ男の顔を見て、ベルムは小さく息を呑む。
「あんたは……」
「久しぶりだな、あんちゃん」
男が汚い歯を見せてにっと笑う。フォーブルの飯屋で見せた笑顔だ。他の三人も、いやらしい笑みをこちらに向けている。
彼らの手には、各々武器が握られていた。
「腰のもの、新調したのか?」
「まあな」
相手から目を離さず、柄に手をかける。
「何の用だ」
「なに、その剣と――見ぐるみ全部置いていってもらおうか」
「フォーブルから目をつけていたのか?」
男は答えない。代わりに、手下たちに目配せする。三人が半円状に広がり、じりじりと囲む。
「なぜ、僕のような貧しい者を狙う?」
後ろに気を配りつつ、いつでも抜けるよう身構える。
「剣は高く売れる。そしてお前は一人きり。それだけだ」
手下が下卑た冷笑を立て、頭に賛同した。
ティリルは怯え、ベルムの懐に潜り込む。
「おまけにそれは何だ?金持ちに高く売れそうだな」
欲深な目が懐に注がれた。
「嫌だと言ったら?」
「やれ」
そのひと言を合図に、背後の三人がにじり寄った。
多対一で斬り合っても勝ち目はない。
ベルムは身を翻し、前の頭の脇を駆け抜けようとする。
「おっと」
しかし相手とてそれは予想済み。刃を立て、行く手を阻む。
すかさず、ベルムは指を鳴らした。
「ぱちん」
眩い閃光が走る。
「うわっ!」
頭は左手で目をかばうが、右手は剣を握ったまま、ぶんぶんと振り回す。
ベルムは屈んでそれをかわし、全速力で走った。
「追え!」
頭の一喝。手下たちは林に飛び込み、間を置かず馬に乗って街道へ現れた。
(どうする。考えろ)
このまま走ってもすぐに追いつかれる。かといって右は崖、左は藪と急斜面――逃げ場がない。
ベルムは一瞬逡巡し、振り返って賊を待ち構えた。
手下どもはすぐに追いついたが、斬りかかるのをためらった。ベルムがあまりにも堂々と仁王立ちを決めているので、警戒したのだ。
やがて頭も馬に乗って現れる。
「観念したか」
頭が、確信のない声で尋ねた。
ベルムは答えず、唇を吊り上げて笑った。歯の隙間から息を吐きだす。
吐息に混じって、チロチロと赤いものが覗く。最初は一本……次第に、他の隙間からも。
賊どもは食い入るようにそれを見つめた。まだ、何が起こっているのか理解できていない。
ベルムは顎を上げて四人を順に睨みつけ、そして大きく口を開いた。
中から、前腕ほどの火炎が噴き出る。
「去れ!身をわきまえぬ人間どもよ!」
続けて、今度は目尻から小さな雷を迸らせる。
一頭の馬がいななき、前足を上げた。それにつられ、他の馬も怯えた声を上げる。
その瞬間、一陣の風が吹いた。炎が大きく揺れ、火の粉が飛んで、賊の服を小さく焦がす。
「魔族だ!」
そう声を上げたのは手下の一人だった。そのまま馬首を廻らせ逃げていく。
「待て!ハッタリだ!」
頭の叫び声は効力を持たず、他の二人もそれに続く。
その場には頭だけが取り残された。
「どうする?僕と遣り合うか?」
ベルムは火と雷を収め、剣を抜いて切っ先を男に向けた。
この男にコケ脅しは効かない。切り結ぶ覚悟があった。
頭は目を吊り上げてベルムを睨んだが、盛大に舌打ちし、手下の後を追った。魔法使いとサシで戦うのは割に合わないと判断したようだ。
「ふぅ……」
その背を見送り、ベルムは大きくため息をついてその場に座り込んだ。
「うまいわね」
安全を確認して、ティリルが懐を出た。
「どうも」
息を整えて短く答える。少し魔力を消耗していた。
(こんなことで息が上がってはだめだ。サカリなら、もう少し余裕があった……」
このところ旅に精いっぱいで、鍛錬を怠っていた。胸の奥がちくりと痛む。
その反省をよそに、ティリルは感心したように腕を組み、うんうんと首を縦に振った。
「変換率がいいのね」
「変換率?」
「知らないの?」
ティリルは目を丸くし、すぐに呆れたように天を仰いだ。
「魔法は、天から降り注ぐマナを魔力に変換して、それを練って出すものでしょ?その効率のことよ」
ディンキーからも、そんなことは教わっていない。ベルムは唇を噛んだ。
「マナって、女神さまの力だろ?僕たちもそれを使ってるってことか?」
ティリルは小さくため息をついた。
「そんな基礎的なことも知らないなんて……早く、ちゃんとした魔法の師を見つけなきゃ」
聞き捨てならない言葉だった。師なら、すでにディンキーがいる。
「ディンキーを侮辱するのか」
語気が強くなった。
「そうじゃないわ」
ティリルは、言葉を選ぶように間を置いた。
「彼は傭兵崩れの漁師でしょう?馬鹿にしてるわけじゃないけど、正式な訓練を受けた人じゃない。教え方にも限界があるはず……」
そして、小さく頭を下げる。
「気を悪くしたなら謝るわ。ごめんなさい」
ベルムは、唇を引き結んだまま頷いた。
自制が利かなかった自分を恥じる。
「君は教えてくれないのか?」
ティリルは困ったように眉を寄せ、小さく首を振った。
「無理よ。私たちピクシーは、出力は小さいけど“マナを直接”運用してるの。人間みたいに魔力へ変換して練るわけじゃない。仕組みが違うの」
「そうか」
ベルムは息を吐く。
「……そのうち、いい師に巡り合えることを祈るわ」
ティリルがぽつりと言った。
ベルムは峠の先を見る。とにかく、進むしかない。
「……それにしても」
肩を落とすように呟く。
「賊から馬を奪えばよかったな」
ティリルが呆れたように笑い、肩の上で体を丸めた。
「今さら言わないで。命があっただけ上出来よ」
今回から第2章「王都圏」開始です。引き続き、偽りの勇者をよろしくお願いいたします。




