返すべきもの
「次は王都か……遠いな」
渡し場を眺めながら、ベルムは足元に置いた麻袋に向かって呟いた。袋の口から、ティリルがこちらを覗いている。
「船にもまだ乗れないしね」
「そうだな……」
渡し船は昨日のうちに再開していたが、宿場町には多くの旅人と荷が溜まり、渡し場はごった返している。
「次は十人だ!荷は後にしろ!」
船頭の怒鳴り声が辺りに響く。ベルムは少し離れてそれを見ていた。
「まだ乗れそうにないな」
多めに料金を払えば先に乗せてもらえるらしいが、そんな金はない。
ここで数刻失ったところで何かが変わるわけでもない。ベルムは大人しくその場に腰を下ろした。
手慰みに小石をふたつ拾い、軽くお手玉をする。
手とは独立して、頭は王都までの道のりについて考えていた。
「ムルラン経由か、セザン峠か…」
出発前にディンキーが言っていたことを思い出す。
海沿いの大街道を行き、港湾都市ムルランから内陸へ入る――安全だが遠回りだ。
途中で街道を離れてセザン峠を越える道は、険しいが十日以上も短縮できる。加えて、関所も少なく、出費を抑えられる。
「どっちにしろ、途中で日雇いか何かで稼がなきゃな」
「そうしたら宿にも泊まれる?」
「たぶん、多少はな」
ティリルが袋の中から顔をしかめて見上げてくる。
「前回の勇者は高貴な身分だったそうよ。羨ましいわ」
これには、さすがのベルムもむっときた。
「悪かったな」
袋の口に顔を近づけ、歯をむく。
その時、背後から蹄の音がした。続いて、「そこの若いの」と声がかかる。
振り返ると、行商がロバの手綱を引いて立っていた。ロバは大量の荷を背負わされているが、呑気に足元の草を食んでいる。
「なに?」
ベルムは急いで袋の口を締めた。
「ひとり旅だろ?剣が二本も必要かな?」
行商の目が、傍らに横たえた二本の得物へ向く。布がはだけ、女神の剣の切っ先がわずかに覗いていた。
「悪いか?」
ベルムは急いで二本を拾い、小脇に抱える。剣は高価だ。不詳の輩には気を付けなければならない。
警戒を感じ取ったのか、行商は慌てて笑顔を作った。
「すまんすまん。そういう意味じゃない」
胸に手を当て、丁寧に会釈する。
「どちらか一本、売ってもらえないか?」
ベルムは警戒を続けつつ、少しだけ肩の力を抜いた。
「南へ向かうのか?」
荷は油布で覆われ、中身までは見えない。だが、籠の角から高価そうな布の端が覗いている。
恐らく、王都かムルランから来た行商だ。地方でこれらを売り、今度はシオマ公国内で香辛料や干し果実を仕入れるのだろう。
「若いのに目ざといな。ああ、マイカに向かうのさ」
ベルムは二本の剣に目を落とし、しばし考えた。
「シノ村には?」
「行く」
これは渡りに船かもしれない。ベルムはディンキーの剣をそっと抜き、刃に手を添えて差し出した。
「この剣なら買い取ってほしい。ただし、シノ村で売ると約束してくれるなら」
「触っても?」
ベルムが頷くと、行商は剣をそっと手に取り、隅々まで観察した。
「年季は入っているが、よく手入れされている……いい剣だな」
軽く振り、満足そうに頷く。
「ダン銀貨十五枚でどうだ?」
ベルムは一瞬、返事に詰まった。相場が分からない。銀貨十五枚は大金だが、それがこの剣に見合った金額なのかどうか、判断がつかなかった。
それでも、顔は渋く作って首を横に振る。
「十六!」
行商が勢いよく再提示する。
「……二十は欲しい」
「それはない!十七がせいぜいだ」
「……十八だ」
「うーん……」
行商は唸り、やがてにこやかに手を差し伸べた。
「分かった。交渉成立だな」
しかし、ベルムは握手に応じない。
「……いや、やっぱり十五だ」
「何だって?」
「その代わり、シノ村では、ディンキーという漁師にできるだけ安くで売ってほしい」
値はできるだけ吊り上げた。それを相手の言い値に戻し、別の条件を上乗せする――父の商売術を真似たつもりだった。
「なるほど……悪くない」
行商は頷き、改めて手を差し出す。ベルムはそれをしっかりと握った。
「だが、私がその約束を破ったらどうする?」
もっともな問いだ。ベルムはにやりと笑い、相手の側頭部に手を伸ばし、髪の毛を一本抜いた。
「いたっ!何をする!?」
行商が頭を押さえて身を縮める。
それには答えず、ベルムは足元の小枝に指を向けた。
「燃えろ」
枝は瞬く間に炎に包まれ、一瞬のうちに灰塵へと帰した。
「驚いた……魔法が使えるのか」
行商は目を丸くしてベルムを見た。
魔法を扱える人間は滅多にいない。まして、ベルムのような身分の低そうな者ならなおさらだ。
「ああ、見ての通り。そして……」
ベルムは頷き、抜いた髪を目の前に掲げる。
「あんたの居場所はこの毛が教えてくれる。だから、約束を破ったことが知れたら、あんたをこっちの剣で切りに行くことになる」
そう言って布をまくり、女神の剣をチラリと見せた。
行商は生唾を飲み、何度も小さく頷いた。
「まあ、確実に買ってくれる奴がいるなら安心だな」
その一言に、商人としてのせめてもの矜持が見えた。
―――
「追跡魔法なんて使えたの?」
行商が去った後、麻袋の中からティリルの声がした。
「いいや、ハッタリだよ」
「やっぱりね。でも、信用してよかったの?」
「さあな」
ベルムは行商とロバの後ろ姿を見つめたまま、ぼそりと答える。
「やれるだけのことはやったさ」
そう自分に言い聞かせる。
あの剣はディンキーから預かった大切なものだが、旅に連れてはいけない。かといって、適当に売るわけにもいかなかった。
あれは、いつかジギーが受け継ぐべきもの。ディンキーのもとに返すため、今できることは限られていた。
「さて」
ベルムは立ち上がって尻の土を払った。
「まずは道具屋で簡単な鞘を作って、美味いもんでも食うか」
にやりと笑い、すっかり重くなった革の巾着を手の上で弾ませた。
ここまで読んでくださった方々、本当にありがとうございます。これで、第一章「双子」は終了です。
次章「王都圏」は、3日後の3月7日(土)19:50公開です。引きつづき、偽りの勇者をよろしくお願いします。




