対峙
日の出と同時に、ベルムとティリルは宿を後にし、川沿いを遡った。
フォーブル川は多少濁っているものの、水量は落ち着いている。宿場町の渡し船も、今日か明日には動くだろう。
景色は、海沿いの荒れ地から、次第に木々に囲まれた森へと移っていった。日が遮られ、薄暗い。
ベルムは足元に注意しながら、ピクシーの後を追った。
足元はところどころ緩く、泥がブーツにまとわりつく。
一刻ほど進むと道は細り、枝が行く手を塞ぎはじめた。
支流と本流の合流地点で、ティリルがふっと止まった。
「つけられてる」
ベルムは驚いて振り返るが、誰の姿もない。
「確かなのか?」
「森であんなに大きな音を出していたら誰だって気づくわよ」
ベルムにはさっぱり分からない。だが森の民がそう言うなら、間違いないのだろう。
「どうする。巻くか?」
「巻いてもいいけど、後ろから襲われても面倒だわ。隠れてやり過ごしましょう」
ベルムは頷きかけて、足元を見て顔をしかめた。
泥で足跡がくっきり残っている。これでは、どこに隠れても無駄だ。
ベルムは少し考え、軽く手を叩いた。
来た足跡を踏みながら、二十歩ほど後退する。
真横に濃い茂みが来たところで、そこに飛び込んだ。
追う側からすれば、足跡が突然途切れたように見えるだろう。
ベルムはさらに茂みの奥へ回り込み、木の陰から川沿いの道を見張った。
「やるじゃん」
ティリルが肩に降り立つ。ベルムは小さく微笑み、息を殺す。
すぐにティリルが囁いた。
「来るわ」
ベルムの心臓が、どくりとなった。
足音が近づく。――ひとりだ。
若い男が目の前の小道を通り過ぎ、そのまま進んでいく。――うまくいったようだ。
追跡者は少し先で立ち止まり、辺りを見回した。
「大人しく帰ってくれるといいんだけど…」
ティリルが呟く。ベルムは頷き、そして眉をひそめた。
(……ん?)
見覚えがある……それどころか、よく知った背中だった。
ベルムは茂みから出て、声をかける。
「おい」
男が、ゆっくり振り返る。
「ジギー……。ひとりで旅をするんじゃなかったのか?」
「そのつもりだったが、お前たちが森に入っていくのが見えたんでな」
ジギーは剣の柄に手を乗せ、こちらへ歩み寄る。
「この森の奥に何か……勇者の道具があるんだろ?」
「さあな」
ベルムは反射的に数歩下がった。
「帰りなさい」
ティリルがいつになく鋭い声で言った。
「この先に、あなたを連れてはいけない。前にも言ったでしょ?」
その言葉にジギーは確信を得たように目を見開いた。
「やっぱり何かあるんだな!」
ティリルはしまった、という顔で口を押さえる。
「ラミーナは俺の婚約者だ」
「分かってる。だけど僕は、サカリが成すはずだったことを、なさなきゃならない」
嫌な予感がした。ベルムは両手を前に出して制する。
「やめろ、ジギー」
だが、止まらない。
ジギーは剣に手をかけ、ゆっくりと引き抜いた。
刀身は曇り、所々刃が欠けている。粗末な剣だった。
「やめろ。そんなことをして何になる」
「彼女を救うべきは俺だ。お前を切ってでも、その役目は俺が引き受ける。
ジギーはティリルに目をやった。
「そのピクシーは、力づくでも言うことを聞かせるさ」
ベルムの腕に鳥肌が立った。やむなく、自分も剣を抜く。
「父さんの剣だな」
輝く刀身を見て、ジギーが目を細めた。
「お前はすべてを持っていくのか。ラミーナさえも!」
本気だ。
ベルムは腹の底で何かが冷えるのを感じ、剣を構えた。
ジギーが何度も突きを放つ。
決して甘い攻撃ではない。だが、殺気は込められていなかった。……ただ、引く気もない。
ベルムはそれをいなし、かわし、払い落す。
双方にとって本意な戦いではない。
ジギーはただ、やるせない気持ちをぶつける相手がベルム以外にいないのだ。
かわしたと思った切っ先が頬の産毛をさらい、遅れて冷たい汗が背を伝った。
(長引かせると取り返しがつかなくなる)
真剣で切り結んでいる以上。いつどちらかが怪我をしてもおかしくない。
ベルムは踏み込んで鍔競鍔競りに持ち込み、相手の額に頭突きを見舞った。
ジギーが面食らって後退る。
ベルムはその一瞬を見逃さず、ジギーの剣の腹へ自分の剣を叩きつけた。
「キンッ」
安物の剣は、金属音とともにあっけなく折れた。
さらに体当たりをかますと、ジギーは後ろによろけ、尻餅をついた。
「帰れ」
ベルムは切っ先を向け、言い放つ。
「言っておくが、僕は本気を出してないぞ」
(…そんなんで、ラミーナを救えるものか)
喉まで出かかった言葉を、ベルムは飲み込んだ。
ジギーは折れた剣を握りしめ、歯を割れんばかりに食いしばった
その目には、憎悪ともとれる激しい感情が燃えている。
「去れ!」
ベルムが怒鳴ると、ジギーは何も言わず、川下へ走っていった。
ジギーの姿が木々の間に消えた。
ベルムはしばらくその場から動けなかった。折れた剣の音が、まだ耳の奥に残っている。
「……行こうか」
ようやく呟くと、ティリルが小さく頷いた。
ティリルは支流を進み、ベルムを案内した。
川音が近づくほどに、森が深くなる。樹の匂いが濃く、息を吸うたび喉の奥が湿った。
しばらく行くと、空気が変わった。ひやりとして、湿気が肌に貼りつく。
そして――辺りは深い霧に覆われた。
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20260227 軽微な文言修正




