表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/25

宿場町

 旅を始めて二十日弱、一度宿に寄ったきり、野宿が続いている。


 雨の多い季節だ。濡れながら歩く日も少なくない。海沿いの平坦な街道といえども、雨は確実に体力を削る。ベルムの顔には疲労の色が現れ始めていた。


 日が経ち、季節は夏の盛りを迎える。旅の途中で雨の月が終わり、干草の月に入った。

 右手に見える海はより青く、陽光を反射した。


 ラミーナ救出の期限まであと二年。

 それが長いのか短いのか――村の外をほとんど知らないベルムには、まだ測れなかった。


―――

「この調子なら、明日はフォーブルの宿場町に着くわね」

 焚火を見つめながら、小石に腰かけたティリルが言った。


「そりゃいい。ようやくベッドで寝られる」


 ベルムは干した魚をナイフで削り、口に放り込んだ。噛むほどに淡い甘みが滲み、脂の旨味が舌に広がった。――シノ村名産の棒ダラだ。

 母が持たせてくれた保存食も、もう残りわずかだった。フォーブルで補充しなければならない。


 ティリルは、美味そうに干物を食べるベルムを黙って眺めている。


「食べるか?」

 欠片を差し出す。


「いい。大切な食糧だから」


 この旅の間、ティリルはほとんど食べようとしなかった。ピクシーは天から降り注ぐマナを吸って生きる——ということらしい。


「村ではパンを食べてたじゃないか」


「食べられないわけじゃないもの。受けるべき好意は受けるわ」


「じゃあこれも食べなよ。うまいぞ?」


 ティリルは針の剣でそれを突き刺し、口元へもっていった。小さくかじり、何度もよく噛んで飲み込む。


「……おいしい。どんどん味が出てくるね」


「だろ?」


 ベルムは微笑み、最後のひと欠片を口に放り込んだ。


 明日はフォーブルの宿場町、そして翌日にはフォーブルの森に向かう。

 そこに、人を寄せ付けない深い森と、誰も知らないピクシーの郷がある。

 

 すべての勇者が最初に訪れる場所。そう思うと、不覚にも胸が躍る。


 ベルムは冒険の予感に胸を弾ませ、外套に包まって横になった。


―――

 宿場町が近づくと、ティリルは麻袋の中に隠れた。目立つのは得策ではない。


 日が傾きかけたころ、二人は宿場町に足を踏み入れた。

 フォーブル川の河口近くに、宿屋や酒場、雑貨屋、修理屋、それに渡し関連の施設が並ぶ。小さな町だ。


 ベルムはすきっ腹を抱え、手近な食堂へ入った。長テーブルが二本、壁際に小卓がいくつか。こぢんまりとした店で、席は大部分が埋まっている。


 空いた席に座ると、女将らしき女が注文を聞いてきた。


「パンと温かい汁……あと、肉はある?」


「燻製肉があるよ」


「ならそれを」


「あいよ」


 女将は愛想よく返事をし、厨房に引っ込んだ。ほどなくして、盆に乗った料理を運んでくる。


「お待ち」


 目の前に、待ちに待った食事が並ぶ。黒いライ麦パンに湯気を立てる野菜のスープ、薄く切ったベーコンは焙ったばかりなのだろう、脂が表面で爆ぜていた。


(温かい……)


 長旅で疲れた体に、出来立ての食事が染みた。

 塩のきいたスープが体を温め、ベーコンが活力をもたらす。パンをちぎれば酸味のある匂いが立ち、ずしりと腹に溜まった。


「あんた、ずいぶん若いな」

 夢中でがっつくベルムに、向かいに座る男が話しかけた。


「そうかもね」


「どこに向かってるんだ?」


 ベルムはスプーンを運ぶ手を止め、男を見た。 

 顔が赤い……片手には酒の入ったタンカードを握りしめている。


「北……だけど」


「へぇ、さっきのあんちゃんもそんなことを言ってたな」

 男は壁際を顎でしゃくった。


 小卓で一人、食事をとる若者がいる。見覚えのある姿だった。


「……ジギー?」

 ベルムは席を立ち、笑顔で友に近づいた。

「こんなところで何してる」


 ジギーはバツが悪そうに目を上げた。


「雨で川が増水しててな。昨日からここで足止めだ」


「どこへ?」


「北さ」


 硬い声だった。あの日から、彼の顔に笑顔はない。


「まさかジギー、お前」


「悪いか」


 きつい視線が刺さる。ベルムは顔を引きつらせ、言葉を失った。


「お前だけに任せておけるか。俺は俺で、できることをする」


 ジギーは立ち上がり、「お勘定!」と女将に告げた。ライド銅貨を数枚、乱暴に卓上へ置く。


「そうか……止めはしない」

 ベルムが道を開けると、ジギーはすれ違いざま、低く言った。


「それじゃあ、またどこかで会うかもな」


 そのまま外へ消える。

 ベルムは眉を下げてその背中を見送った。


「なんだ、仲間だったのか?」

 さっきの男が、やけに馴れ馴れしく笑った。

 何となく、目がベルムの腰の剣に吸い寄せられている気がした。


 ベルムは答えず、代金を払って店を出た。左右を見渡しても、ジギーの姿は既になかった。


―――

 明日に備え、ベルムは宿に泊まることにした。


「ダン銀貨一枚に、ライド銅貨六枚だよ」


 相場よりもかなり高い。上流で雨が降り、川が増水したせいで、人がこの宿場町に溜まっているらしかった。


「上流って森だよね?」

 料金を支払い、ベルムは主人に尋ねた。


「そうさ」

 主人は若い客の方へ頭を寄せ、声を潜めた。


「近づくんじゃないぞ。あの森じゃ、何人も神隠しにあってるんだ」

 怖がらせようとしているのか、わざとらしく身を震わせる。


「噂じゃ、ピクシーに化かされるとか……ま、そんなのいるわけないよな」

 にやりと笑い、貨幣をしまう。


 ベルムは曖昧に頷き、あてがわれた部屋へ向かった。

 といっても個室ではない。簡素なベッドの周りを木の衝立が囲っているだけの半個室だ。


 それでも今のベルムにとっては天国だった。

 

 そっともぐりこみ、身体を丸める。

 ――体の下で、麻袋が小さく動いた。


「ねえ」

 ひそひそ声がする。


「なんだ」


「……ここ、あったかいね」


「そうか」


「うん」


 それきり、袋は動かなくなった。ベルムは目を閉じ、ほどなく眠りに落ちた。

20260223誤字修正

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ