転送の祠
出発して間もなく、ティリルが「寄っておきたい場所がある」と言い出した。
「ここなんだけど」
小さな肩掛け鞄から、さらに小さな地図を取り出して見せる。
文字は点にしか見えない。目を細めてようやく地形らしき線が追える程度だ。
ティリルの指は、小高い山を示していた。
「歩いて一日くらいかな?少し遠回りになるけど、絶対に寄っておきたいわ」
「何があるんだ?」
ティリルはにこりとして、地図を畳んだ。
「着いてのお楽しみ」
――結局、ベルムは黙って歩いた。湿った空気が肌にまとわりつき、汗が止まらない。何度も革の水袋を開けて喉を潤し、そのたびに腰帯へ戻す。
しばらくしてティリルが、ふと肩の上から言った。
「さっきの地図、貴方には小さすぎたわよね」
「ああ。目がしょぼしょぼしたよ」
「人間用の地図が欲しいね。次の宿場町で手に入るかしら?」
「難しいんじゃないか……?」
ベルムは微妙な顔で呟いた。
羊皮紙なんて、村の人間には縁がない高級品だ。心もとない路銀で買えるとは思えなかった。
―――
野宿を挟んだ翌朝、二人は山の麓に立っていた。
「ここがショージ山よ」
ティリルが目の前の森を指さす。草木が左右に倒れ、小さな通路を形成していた。登山道というより獣道だ。
「…ここが『お楽しみ』か?」
「もっと上よ」
ティリルは羽を震わせ、ずんずん進む。ベルムも急いでそれに続く。
小さな山かと思っていたが、その道のりは甘くなかった。
倒木を潜り、跨ぎ、蜘蛛の巣を払い落とす。枝葉が顔を叩き、湿った土が靴裏を引っ張る。獣にとっては通りやすい道でも、ベルムには妨げるものが多かった。
それに比べ、ティリルは涼しい顔だ。ひらりひらりと枝を避け、ベルムの頭より少し高い位置を飛んでいく。
明らかに、森に慣れている様子だった。
森を抜けると、そこには岩山が聳えていた。白い岩肌には亀裂が走り、不用意に手を掛ければ崩れてしまいそうに見える。
ベルムはしかめっ面でそれを見上げた。
「ここを上るのか?」
「そうよ」
自分は飛べるからか、返事は軽い。
ベルムは覚悟を決め、岩の強度を確かめながら登った。
ティリルは先へ行っては止まり、待ってはまた進む。決して急かさない。ベルムの速度に合わせてくれているのが分かった。
山頂まであともう少しというところで、ティリルがふっと止まった。
「……この辺りのはずなんだけど」
「頂上に登らないのか?」
「ちょっと黙ってて。探してるんだから」
岩肌を覗き込み、飛び回り――しばらくして、弾んだ声が上がった。
「あった!」
ベルムが近づくと、そこには見覚えのある紋章が刻まれていた。五つのひし形が円を描く、女神の紋章だ。
かなり古いもののようで、一部は地衣類に覆われているものの、不思議と風化した気配がない。
「さ、脱いで」
ティリルが唐突に言った。
「は?」
「いいから、胸の紋章を出して」
「初めからそう言えよ」
ぶつくさ言いながらも、ベルムはチュニックを捲った。胸の紋章が淡く光る。
「紋章に向かって立って……もう少し前。そう」
位置を整えられ、ベルムが直立した瞬間――岩の紋章が呼応するように光り始めた。
輝きが増し、目を細めても眩しいほどだ。
「ピシッ……ゴゴゴゴ……」
触ってもいないのに、岩が脇にずれた。
あっという間に、人ひとりが通れるほどの穴が口を開ける。奥に小さな空間が見えた。
「よかった……うまくいった」
ティリルが安堵の息を吐く。
「入って」
促されるまま、ベルムは穴へ身を滑り込ませた。
中は半球形の小部屋だった。腕を広げれば両壁に触れそうなほど狭い。入念に研磨された岩肌が、冷たく光を反射する。
中央へ踏み込んだ瞬間、足元に光の輪が現れた。
「うわっ!」
思わず飛び退くベルムに、ティリルが言った。
「転送の祠よ」
「てん……?」聞いたことのない言葉だ。
「転・送。勇者限定で遠くへ送ることができるの。瞬時にね」
(遠くへ?瞬時に?)
ベルムは眉を寄せる。
「疑ってるでしょ」
ティリルが先に言い当てた。
素直にうなずく。
「今試してもいいか?」
ティリルは肩をすくめて首を横に振った。
「ここは起動しただけ。別の祠も起動しなきゃ使えないわ」
「別の祠?」
「大陸中にあるの。これから起動しながら旅をするのよ」
ベルムは拍子抜けして息を吐いた。
「なんだ。……まあ、楽しみが増えたってことか」
―――
祠から出て、二人はついでに山頂まで足を延ばした。残りの岩を一気に登る。
「おぉ」
思わず声が漏れる。シオマ公国の最南部を一望することができた。
足元には森の濃い緑。やがてそれは薄れ、田園がまだらに続き、海へと至る。左右に陸地が張り出し、見えている海が大きな湾だと分かる。
湾の中ほど、海に食い込むようにして都市が見えた。公国の公都、マイカだ。
海に突き出した砂州に作られた港湾都市で、砂州の入り口を塞ぐように城壁が走り、その背後に海に挟まれた街並みが控えている。
砂州は小高い陸繋島へと続いていた。
確かにいい景色だ。だが、ひとつ腑に落ちない。
「どうしてこんな場所に祠を作ったんだ?人里の近くの方が便利だろ」
ティリルはベルムの肩に戻り、風景を見渡した。
「女神のマントで飛ぶことを想定しているからよ。勇者にとって、多少の距離は無いも同じ」
「女神のマント?」
「神器のひとつよ。知らないの?」
肩から飛び立ったティリルが目を丸くしてベルムを覗き込んだ。
「神器のこと自体、この間初めて知ったんだ」
彼女は信じられないというように天を仰いだ。
「ラナル人はそんなことも知らないの?それくらいの伝承、本か何かに残っているでしょう?」
馬鹿にされたように感じ、ベルムはむっとして答える。
「字なんて、読めるのは貴族や一部の聖職者だけだ。オレたち村の人間に、本なんか縁がない」
ティリルははっとして、羽を小さく震わせた。
「そう…ごめんなさい。私、郷から出たことがなくて。人間のこと、何も知らなかった」
自身の礼を失した態度を悔いたのか、ティリルはそのまま、伝承を語り始めた。
―――
女神シトカナは、人の世が闇に呑まれぬよう、勇者に四つの神器を授けた。
第一は女神の剣。
刃よりこぼれるは断魔の光。ひとたび抜けば、魔の穢れは影すら許されず、ついには魔王の咽元をも裂く。
第二は女神のマント。
これを肩に掛けし勇者は、地に縛られぬ。谷を越え、海を越え、雲の上をも歩むがごとく、自由に空を往く。
第三は女神のバックラー。
小さき盾なれど、その面に触れた魔法は悉く霧散する。炎も雷も呪いも、ただ静かに砕け、勇者の身には届かぬ。
第四は女神の短弓。
弦を引けば、矢は迷わず真を射る。数百歩の彼方に立つ敵の瞳でさえ、狙えば外れぬと伝えられる。
四つの神器が揃うとき、勇者は魔王と相対し、その力に比肩する。
―――
語り終えるとティリルはひと息つき、彼方へ目を向けた。
「私たちの旅は、神器を集めるところから始まるのよ」
再度お知らせ。
この物語の舞台、ラナル大陸の概略図を活動報告に貼っています。参考にして下さい。




