最終話 斬橋のメリシエル
それから。
冥府を経由して再生する魂のほとんどが、加護を持たずに生まれて来るようになった。そうして加護が、この世界から、少しずつではあったが確実に消えていった。
魔物はただの獣となり、エルフら長寿種の寿命も短くなった。属性が消えたせいか、種族の壁もまた、徐々に見えにくくなっていった。
それでも、ごく少数の絶対神の加護持ちは再生し、残された。しかしそれらもまたゆっくりと消えていった。
いつしか、魔法という言葉は、絵本や物語の中にだけ存在するようになった。
そうして、かなりの時間が経過した。
メリシエルとオルセリオンもまた、3人の子どもを残し、幸福に暮らし、年老いて死んだ。その子どもたちも、存分に活躍し、子を残して死んでいった。
オルセリオンが死ぬとき、右腕にあった義手を、約束通りエルシアナに譲っていた。エルシアナは時折、その右腕を撫でては、目を赤く腫らしていた。
ただエルシアナは、その右腕に、誰かを召喚することは一度もなかった。
あの時代を生き、今もまだ死なず、加護と共に残っているのは黒龍キセノクランと、エルシアナ=サリオンドレルの二人だけになっていた。
そしていよいよ、黒龍キセノクランも臨終の時を迎えようとしている。
「キセノクランお姉ちゃん、さよならだね。寂しくなるよ」
「そうね。やっとよ。あなたのこと、最後の加護持ちにしちゃうね。ごめんね、あなたひとりにすることになっちゃって」
「いいのよ。どうせ、私もすぐ後を追うことになるから。お母さんの始めた戦い、その最後を見届けるのが私の役目だから」
「そうだ。伝えておかないと。あなたは、前の生で一度、この世界を破壊しているの。だから、あなたが本当の意味で死ぬのは、今回が初めてになるわ。だから再生も初めて。楽しみにしていてね」
「それ、楽しいものなの?」
笑い合う二人。
「ところで。もう、書き終わったの? サリオンドレル家の歴史」
「キセノクランお姉ちゃんが死ぬところで、終わりにしようかなって思ってる」
「あなたの最後は、どうなるの?」
「自分が死ぬところを、どうやって書き残すのよ」
「そこだけ、誰かに頼めばいいじゃない」
「恥ずかしいから、いやよ」
「恥ずかしいって、あなた。何年生きてるのよ。あなた、ずっとサリオンドレルの当主だったんだから、その最後は重要でしょ?」
「うるさいよ。そろそろ逝きなさい」
笑い合う二人。
有名な話ではあるが、エルシアナが書き残したこの歴史書は、キセノクランの死で終わっていない。
エルシアナが残した歴史書の原本。その最後は、エルシアナのそれとは筆跡の異なる、次のような古代エルフ語による文章を最後としている。
◇
神による人の世界への干渉は、これが最後になる。
干渉できる時間は、もうほとんど残されていない。
いま私は、最後の加護持ちとして死んだエルシアナ=サリオンドレルの右腕に宿っている。
この右腕の制作者として、彼女の最後を記載しておこうと思う。
せめてもの、褒美として。
彼女は、サリオンドレル家の他の者たちと同様、幸福な家族に看取られ、笑顔を浮かべ、眠るように死んだ。
その表情は、どう表現すべきだろう。生き切った。そう。最後まで、前進していたと言えば良いだろうか。
繰り返すが、エルシアナ=サリオンドレルは、現世に残っていた最後の加護持ちだった。
アレクサンドラ=サリオンドレルが始めた神殺し。彼女はその最後を務め、勝利を見届けたのである。
サリオンドレルの名は、神々の記憶から、特に絶対神の記憶から消えることはないであろう。これ以上ない、忌々しい記憶として。
実に、愉快である。
絶対神でさえ、もはや人が生きる世界に干渉することができなくなったのだ。
絶対神の鉄槌が振るわれることは、もうありえない。神と人の上下関係は、もはや存在しない。
なお。
エルシアナ=サリオンドレルが冥府にくることを、長年待っていた魂が二つあった。
これら魂は、自分たちの輪廻への回帰を長く遅らせ、エルシアナとの最後の再会を選んでいた。約束だったようだ。
メリシエル=サリオンドレル、オルセリオン=サリオンドレルが、その二つの魂が現世にあった頃の名である。
三人は再会を喜び、思い出話を始めた。ただエルシアナ=サリオンドレルはその途中で、
「思い出話は、全部、サリオンドレル家の歴史として、本に残してきた。次の生で、二人には必ず読んでもらいたいの。まあ、でも次の生では、その内容が自分のことだってわからないんだけどね」
といって、笑いながら早々に思い出話を切り上げた。
私には、意外に思えた。この三人は、数百年は、この冥府にて共にありたいと願うとばかり思っていたから。
それから三人は、無言で抱き合っていた。三人は、とても柔らかい笑顔をしていた。美しかった。
ああそうか。
もう、この魂たちと我々神々は、互いに干渉できない別の宇宙を生きる。そう。互いに干渉できない、対等な存在になったのだ。
彼ら三人の表情を見て、やっと私は、そう理解した。彼らは、真に革命を起こしたのだと。なんと偉大なる功績だろう。
それから。あまり間を置かず、エルシアナが切り出した。
「さあ。私たちも輪廻へ、帰ろう。次の生を、始めよう!」
オルセリオン=サリオンドレル、私にとってはネンヴェリエルが、最後の言葉を述べた。
「二人とも、さよなら。これで、本当にお別れだね。でも、とても嬉しい気持ちでいっぱいだ。会えてよかった」
それからオルセリオン=サリオンドレルは、「最後にいいかな」と言って、メリシエル=サリオンドレルとゆっくり、落ち着いた口付けを交わした。
それから、メリシエルが述べた。
「うん。大丈夫。私たちは、ずっと一緒。きっとまた会える。それが再会だって、気づけないだけ」
それからメリシエルは深呼吸をし、こう締め括った。
「みんな、おかあさんを見習おう。あっちに帰ろう。もう神などいない、おかあさんが導いてくれた、あの世界へ。みんなが、あっちで待ってる」
神々の世界と、人の世界。
その間には、かつて加護と呼ばれた橋があった。
神々はこの橋を通して、人の世界で、古い戦争を続けていた。
その橋を、サリオンドレルが破壊したのだ。
サリオンドレルの中でも、特に、絶対神の鉄槌を跳ね除けた人間。
斬橋メリシエル=サリオンドレル。
見事であった。
ここに改めて、彼女の栄光を讃えておきたい。
サリオンドレルの魂たちは、また、それと知らず交差する。
無限の時間の中で。何度でも惹かれ合い、交差するのだ。
その交差を見知ることができるのは、冥府を統べる私だけの特権である。存分に、楽しませてもらおう。
斬橋メリシエル=サリオンドレル。
お前たち人の世界に、真の平和をもたらした人間の名を、忘れることなかれ。
お前たちの世界を、お前たちだけのものにした人間の名を、忘れることなかれ。
ただの人間が、神々に勝利したのである。
サリオンドレルの魂たちよ。さあ、次の物語を始めるのだ。
こんなにも長い物語を、こうして最後までお読みいただき、ありがとうございました。とても、とても嬉しいです。
コメントなど、この作品にリアクションいただいた多くの皆様、本当に励みになりました。ありがとうございました。
皆様のおかげで、こうして最後まで書き切ることができました。
厚く御礼を申し上げつつ。
八海クエ
Xアカウント https://x.com/yakkaikue




