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第78話 聖女との決別

 聖女となったエルシアナ。


 その真意を探るべく、メリシエルとアレクサンドラ、聖騎士は、アルメリア教国の城門から、自らをサリオンドレル公妃・公女であることを告げ、聖女への謁見を願い出た。


 待たされたが、意外にも、謁見は許可された。だが条件は厳しかった。武装を解除され、監視の下で大広間の扉の前に立たされるということだった。聖騎士には魔封じの腕輪まで付けられた。


 大広間は広く、天井は高く、壁面には古い宗典の写本や聖像が並んでいる。暖炉の火は小さく揺れ、石の床に長い影を落としていた。


 扉の向こう側には、今や国家の象徴となった少女がいる──聖女エルシアナ=ゼルドレル。扉の前で立たされる三人の胸中には、それぞれの思惑が渦巻いていた。


 寒さに震える兵たちの視線を背に、三人は静かに待たされた。やがて扉の奥から低い足音が聞こえ、扉は軋むように開いた。


 そこに立っていたのは、懐かしい、エルシアナ本人だった。白磁のような肌、肩に流れる銀の髪、そして群青の瞳。


 エルシアナはエルフ化によって肌の色が白くなったため、銀髪青目のメリシエルと、今や、本当の姉妹のようにも見える。


 だが、その外見以上に場の空気を変えるものがあった。彼女の立ち居振る舞いは、聖女としての威厳と、どこか遠い寂しさを同時に帯びていた。


「エルシアナ姉さん……」


 メリシエルが、無意識に声を震わせて呼んだ。言葉は弾むが、空気は重い。エルシアナはゆっくりと首を振った。その顔には冷たさと慈悲が同居するような表情が浮かぶ。


「私は、もう、サリオンドレルではない。故に、そなたの姉でもない。軽々しく、姉などと呼ばぬように」


 その声は穏やかだが鉄のように硬い。扉の向こうの聖女の口調に、周囲の空気が一瞬凍る。アレクサンドラの顔が一瞬引き攣った。言葉を飲み込むようにして、彼女は言葉を継いだ。


「叔母さま、嘘をついておいでですね」


 その短い言葉に、エルシアナは僅かに眉を動かすだけだった。視線は揺れない。外套の縁に触れる細い手が堅く握られる。


「……」


 静寂がしばらく続いた。


 聖騎士は剣の欠片もなく裸の腕を組んで、黙って二人を見守っている。メリシエルは幼い娘とその叔母の間の空気を読んで、必要以上に口を挟まないよう息を詰めていた。


「アレクサンドラ。いいの。わかってる。迷惑になるから、あまり思いついたことを、そのまま話さないようにね」


 メリシエルの低い声が、ぎこちなく場を和らげる。アレクサンドラは小さく頷いた。


「お母さん、わかってるよ」


 幼いアレクサンドラは一礼するように背筋を伸ばし、真っ直ぐ聖女を見据えた。目には決意と、まだ残る悲しみが混在している。


「聖女様。お伺いしたいことがあるのですが、よろしいですか?」


 聖騎士が前に出て、礼をしながら言った。彼女の声は抑制されているが、そこには礼節以上の問いが込められていた。


 だが聖女は即座に応じない。少しだけ眉間に皺を寄せ、時間の重みを測るように周囲を窺った。


「手短に。私は、忙しいのだ」


 言葉は短く、冷たい。だがその冷たさに怯む者はいない。メリシエルが次に口を開く。


「聖女様は、私のために、怒ってくださっているのですよね? であれば、もう怒る必要はありません。なぜなら私は、聖女様とは異なる方法で、きっちりと自分で復讐するからです」


 その言葉は震えているが、必死の光を放っている。エルシアナの表情に少しだけ変化が走った。唇がわずかに動く。


「戯言を申すな。そなたに、私の何がわかるというのだ」


 冷たく突き放す言葉。しかしメリシエルは怯まなかった。むしろ言葉に力を込め、崩れそうな声で返す。


「私は、サリオンドレルの人間です。お母様が始めた復讐を、きっとやり遂げて見せます。ですから聖女様、どうか、私の邪魔だけはなさらないでください」


 聖女の瞳が一瞬、遠くを見たように柔らぐ。誰にも見せぬ弱さを見せまいとするその瞬間、メリシエルは、強い言葉によって感情を隠した。


「生意気なことを。私は、そなたの邪魔になるかならぬかなど、気にせぬ」


 その一言は、メリシエルの胸の鼓動をさらに早めた。だが彼女には譲れぬ意地がある。頰を上気させながらも、言葉を止めずに告げる。


「ダークエルフの里に、行って参りました」


 部屋の空気が変わる。聖騎士の手が瞬時に反応しようとしたが、規律がそれを抑えた。エルシアナは黙してその言葉を受け止める。


 目を伏せ、口元に小さな苦笑を一つ浮かべた。


「……」


 沈黙が続く。外の廊下で足音が遠ざかるのが聞こえ、壁の蝋燭が微かに揺れる。メリシエルは必死に続ける。


「聖女様は、諦めたのですね。この世界を。でも、私はまだ戦っています。戦いを降りた者が、私の邪魔をすることは、許しません。例えそれが、私のためであったとしても」


 言葉には情熱がある。だがエルシアナの応答は冷たかった。


「そなたの許しなど、いらぬ。私は、不浄なる者を滅ぼすまで」


 その宣言は厳しく、断罪にも似ている。メリシエルの顔が蒼ざめる。胸の中の炎を燃やす彼女は、声を荒げる。


「聖女様。それは、私の復讐が成ってからでは、遅いのですか?」


 問いは真摯だった。聖女の言葉は、鋭い刃のように切り返す。


「そなたの復讐には、何百年もかかる。そなたには、成し遂げられぬ」


 メリシエルの瞳がにわかに潤む。怒りと焦燥と悲しみが一度に噴き出しそうになる。そこで彼女は、聖女の性質を試すように、最後の挑発を仕掛ける。


「聖女様なら、何千年でも耐えられるのでは?」


 その言葉に、傍らにいた二人の衛兵が一瞬顔をしかめた。エルシアナは一歩も動かず、しかし視線の鋭さでメリシエルを押した。


「馬鹿なことを。どんな理由で、私が、そなたの復讐に加担するのだ。もう良い、下がれ。これ以上、話をしても無駄だ。衛兵!」


 命令は冷酷にして確実に放たれた。二人の衛兵がメリシエルに詰め寄り、腕を取ろうとしたそのとき、不意の出来事が起きた。


 メリシエルの長い銀髪が、まるで何かに引かれたかのように、ふっと持ち上がった。空気がざわつく。


 加護の力は、もはやメリシエルにはないはずだった。だがメリシエルの髪は、物理を無視するように宙を切った。


「私に、触るな」


 その声は冷然としていたが、ひとたび発せられると周囲は凍りついた。衛兵の一人は恐怖に顔を引き攣らせ、その場に腰を抜かした。


 武器が衛兵の手から滑り落ち、床に当たってカランと鳴る。音は大広間に響き渡り、誰もが息を飲んだ。


 メリシエルは淡々とした口調で続けた。だが言葉には揺るぎない決意が宿っている。


「聖女様のおっしゃる通りです。私は、あと数十年もすれば冥府に呼ばれます。だから冥府で、聖女様のことを、待っています。約束です。サリオンドレルの名にかけて。絶対に冥府で、聖女様のことを、お待ちしております」


 その言葉に、エルシアナは微かに首を傾げた。顔には僅かな動揺が現れるが、それはすぐに引っ込んだ。


「くどい。去れ!」


 聖女の命はついに下った。だがアレクサンドラは一歩も引かず、逆に声を張り上げて答える。


「行くよ、アレクサンドラ。聖騎士様」


 メリシエルが静かに促す。アレクサンドラは振り返らず、言葉を残した。それは、8歳の少女による言葉のようではなかった。


「エルシアナ、さよなら。私は、今も、これからもずっとエルシアナのこと、愛してるわ。だから気にしないで。あなたのやりたいように、やるのよ」


 何か、不思議なことが起こっていた。


「エルシアナのやりたいように、やるの。でも私は、それに全力で争ってみせる。ねじ伏せてみせる」


 言葉は幼さを帯びるが、8歳の少女の決意は誰よりも鮮烈だった。呆気に取られるエルシアナ。聖騎士の顔が引き締まる。


 メリシエルはアレクサンドラの肩に軽く手を置き、引き寄せるようにして歩き始めた。足取りは固く、後ろ髪を引かれつつも退くしかない。


「こ、小娘が何を!」


 衛兵の一人が、誇りを守ろうと、なんとか掠れ声を上げた。しかしアレクサンドラはそれに振り向きもしない。


「小娘じゃない。私は、アレクサンドラ=サリオンドレルよ」


 その名の響きは、扉の向こうの空気に静かに残った。エルシアナはその声の響きを味わうかのように、しばらく沈黙したまま立っていた。


 やがてエルシアナは小さく息を吐き、祭壇に向かって背を向けるようにして歩き去った。その背中には、聖女としての孤独と、何か決断めいたものが確かに宿っている。


 扉が閉じられると、残された者たちは長い沈黙の中で互いを見合った。


 床に落ちた槍の影が、まるでこの場の重さを物語るかのように伸びていた。誰もが、それぞれに痛みと覚悟を抱えて、その場を後にした。



第78話でした。ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


少しでも、読めるところがあったなら、是非とも☆評価をお願いしたいです。執筆の励みになると同時に、明日もまた頑張っていこうという気持ちになります。


さて。


決別してしまいました。同時に、エルシアナの狙いも、うっすらと見えます。少なくとも、アレクサンドラは、何かを掴んだようでした。


引き続き、よろしくお願い致します。

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