第76話 ダークエルフの里
メリシエル、アレクサンドラ、護衛の聖騎士エリオネスは、金属鏡で反射合図を送ってきた不明勢力との接触を試みていた。
反射は三短一長の繰り返しで、辺境連絡で用いられる臨時符号と一致する。エリオネスは風下に入り、視界を遮らない位置にワイバーンを寄せると、短く判断を述べた。
「閣下、受信しました。友好と断定はできませんが、交戦意図は示していません。信号の運用は熟練。最低でも隊列指揮と符丁読解の教育を受けた者たちです」
しばらくして、上空から四名のダークエルフが現れた。槍二、短弓一、素手一。装備は均一で、過度な装飾はない。
三人は一度旋回して距離を確保し、双方の見通しが効く平地へと着地した。こちらは軽武装であることが視認できる。
四名はそれを確認して警戒を一段階緩めたが、鎧姿のエリオネスに対してのみ短い敵意の視線を向け、すぐに引いた。敵対の固定化を避けている態度と判断できた。
先方の一人が名乗りを促す仕草を見せる。メリシエルが一歩進み、肩章の紋を見える角度に出した。
「初めまして。サリオンドレル公国、公妃のメリシエル=サリオンドレルです」
続けて、アレクサンドラ。
「公女、アレクサンドラ=サリオンドレルです」
四名の背列がわずかに揺れ、「魔王」の語が小声で往復した。先頭の男が顔色を変え、慌てて礼を加えた。
「な、なんと……魔王様であられましたか」
メリシエルは短く微笑し、即座に語を正した。
「その呼称は控えてください。メリシエルとお呼びいただければ十分です」
儀礼はそこで打ち切られ、実務に移った。
一行は、復興の進むダークエルフの里ミラン=ドレイス(深影の都)に招かれた。ダークエルフは外部接触を抑制する文化を持ち、とりわけこの里は約110年前の迫害で最初に破壊された拠点である。
通常、外来者の招き入れは想定されない。今回の受け入れは例外であり、内部で緊急性の高い議題が共有されていることを示していた。
ミラン=ドレイスは山岳裾野の樹海内部、地表光の届かない盆地に形成されている。黒曜質の岩を穿った回廊とテラスが段状に連なり、巨大樹の根が梁のように頭上を横断する。
泉水は青い燐光を帯び、地下流が一定の周期で響きを刻む。なので人々の街路の移動は、どこかその鼓動に同期しやすい。
住居の壁面には銀樹皮の薄片が貼られ、微光が通行人の輪郭を縁取る。昼夜の区別は希薄で、灯火と苔光が時刻を担保していた。
長老会の迎えは形式的で、用件は明快だった。
エルシアナの件である。彼女はこの里の出身であり、最近まで里を訪れていた。さらに、里中央の神樹ルミナ=ノクトラ(夜光を孕む樹)において、禁呪が発動された痕跡が確認されている。
禁呪の名称は「反転」。ダークエルフの種別をエルフへと改変する効果を持つ。里の公的知は当該禁呪の存在を保持しておらず、内部の伝承にも直接の記載はない。
したがって、実行主体は外来の文献あるいは独自研究に基づくと推定される。エルシアナが、どれだけ危険な知識を得ているか、もはや想像もつかない。
長老の説明は感情を排し、要点のみが並んだ。メリシエルは応答の前に事実確認を優先した。
「当日に立ち会った者、もしくは直後の現場管理者はいますか」
「います。神樹管理の記録者が、発光と震動を確認しています。詠唱は聞き取れていません。神樹の樹皮表面に一時的な文字走査が生じましたが、可読化は未了です」
聖騎士エリオネスは短く息を吸い、メモを取った。禁呪の確度は高い。ただし、神樹の自発反応の可能性も排除できない。
長老はここであらためて礼を述べ、政治的立場を表明した。
「魔王様。私どもはサリオンドレル公国に大きな恩がございます。公国に主導いただいた、この大陸に生きるダークエルフの権利回復は、生存の保証そのものでしたから」
メリシエルは呼称を訂正しなかった。対話の効率が優先されたためである。
「過分なお言葉です。公国の側こそ、多くのダークエルフに支えられてきました。今後は制度としての国交、往来を増やしましょう」
「無論です——それはそれとして、エルシアナ=ゼルドレルの捜索は継続中です。危険の兆候があります」
危険の内容について、長老は推測を付した。「反転」に成功した場合、本人は外見的にはエルフ化する。しかし社会的帰属や記憶は変わらない。
里の住民は禁呪の存在自体を知らず、事後の対処法も確立していない。加えて、エルシアナは外見年齢が12歳前後で固定されている。
加護の強度は身体成長に伴い増す傾向にある。そのため、彼女が大規模術式を単独で行使する確率は現段階では低い。
ただし、禁呪を一度通したという事実は、さらなる禁域への接近意欲を強める可能性がある。里はこの点を危惧している。
情報の精度を上げるため、メリシエルは出自と空白期間に話題を移した。
「里の破壊から王立魔術師団学院入学まで、彼女はどこで生活していましたか」
「人間の営む孤児院に、長くいた記録がございます」
長老の表情は硬い。理由を問うと、説明は簡潔だった。
ダークエルフの成長は人間より著しく遅い。人間社会に長期滞在すると、同世代の関係性が一定周期で消失し続けるのだ。
友は先に大人になり、老い、死ぬ。本人は身体年齢が移動せず、その差だけ死別の回数が増える。
そのためダークエルフの里はもちろん、エルフの里もまた、未成熟段階での長期的な人間社会での滞在を禁止してきた。
しかしエルシアナは幼少期から約150年もの間、その環境に置かれた。
ここでメリシエルは意見を差し挟まなかった。長老の言葉は推奨規範の提示であり、価値判断の強要ではない。
事実としての負荷が示されただけである。メリシエルは視線を落とし、孤児院での活動記録の開示可否を問うた。
長老は可能と答えたが、個人識別に関わる情報の遮蔽が条件として付いた。
面談は続く。聖騎士エリオネスは儀礼を省き、捜索運用のすり合わせに移行した。反射合図の使用者は里側の偵察班であり、峡の上段に鏡と小型の風見帆を設置している。
鏡の打ち方は辺境連絡と同一。以後の接触は空路を前提に、上から三角での進入と相互見張りの分担で合意が成立した。里側は、神樹周辺の踏圧と樹液変質の記録を供与する用意がある。
移動の合間、里の内部構造が確認できた。居住層は段状で、中央窪地に神樹ルミナ=ノクトラが立つ。幹は黒褐色、内部から微光が滲む。
根は石床を割って多層化し、地下水脈と結節を作る。禁呪当夜、幹の表面に一時的な文字走査が出現した部位は、幹の東面、高さ三人分の位置。
現在は痕跡が薄く、肉眼での確認は困難である。樹皮の微細変化は、記録者が擦紙で写し取り、保存済みだった。
政治的所見は双方一致した。公国と里の交流は制度化すべきであり、今回の事案はその契機となり得る。一方、エルシアナ個人の動機は未確定である。
「反転」を選択した意図については、長老側は言及を控え、メリシエル側も推測を述べなかった。
ここでの合意は、感情を前面に出さず、行動の優先順位を共有することだった。第一に所在確認、第二に安全確保、第三に禁呪再発防止。順序は固定とされた。
面談の終盤、長老が短く付け加えた。
「彼女は『里を嫌った』のではありません。記録に残る限り、ここでは穏やかでした——ただ、人間の孤児院で過ごした時間が、彼女の基準を作っています。別れが周期的に訪れる場で、基準を作った者の行動は、予測が難しい」
メリシエルは頷き、言葉を選ばずに応じた。
「理解しました。まずは所在です」
以上で第一段の協議は終了した。退席時、護衛は見送りの距離を正確にとり、鏡の位置を一行に共有した。
以後の空路合図は三短一長を基本とし、危険の際は長一短三で返す。地上では白灰の輪と三点石印を用いる。印は簡明で、誤読の余地が少ない。
日没までの時間は短い。三人は里の外縁に野営を取り、翌日の上段索道からの捜索へ備えた。ミラン=ドレイスの夜は静かで、泉の拍だけが規則正しく続いた。
会話は限定的だった。判断は翌朝に回された。ここまでに得られた事実は十分ではないが、行動の方向を定めるには足りている。
所在の推定線は東南へ延びている。合図線は途中で切断されているが、意図的か否かは未判明だ。とにかく優先すべきは、線の継続確認である。
捜索隊の組織が整い、規模も大きくなった。きっと、エルシアナは見つかる。
しかし、数ヶ月に及んだ虚しい捜索活動の後、エルシアナは、推定された線とは全く異なる角度から現れた。
アルメリア教国が、エルシアナ=ゼルドレルを「聖女」として迎え入れた。そのお披露目をするというのである。
第76話でした。お読みいただき、ありがとうございます。
少しでも、読めるところがあったなら、是非とも☆評価をお願いしたいです。執筆の励みになると同時に、明日もまた頑張っていこうという気持ちになります。
さて。
エルシアナの狙いは、どこにあるのか。そして、彼女は、サリオンドレル公国とどう対峙するつもりなのか。まだ、わかりません。
引き続き、よろしくお願い致します。




