第68話 第一次公国防衛戦争
メリシエルが、女児アレクサンドラのベビーラップ(赤子を包み込む布)を肩にかけ、立ち上がった。
「だって、街に被害を出すわけにはいかないから」
説得を諦めたエルシアナが、
「じゃあ、せめて。私たちも同行する」
メリシエルはこれを諌めて
「だめ。そんな戦力を見せたら、また、魔王軍ってことになっちゃう。私たちは、軍隊じゃない。人間なの」
赤子のアレクサンドラを抱いたメリシエルが、そうして、黒薔薇城を歩いて出ていく。
中央広場をぬけ、メリシエルは、街の城門の前にいた。城壁には弓を持った漆黒のアーマーに身を包んだ治安維持兵たちがいる。その数、全軍でもわずか750。
治安維持兵の規模と装備を見た各国の視察団は、心配になっていた。この防衛戦で、サリオンドレル公国は敗れるのではないかと。
そんな心配をよそに、メリシエルが叫ぶ。
「開門!」
その指示に従わず、兵たちが集まってくる。
「いけません! メリシエル様! アレクサンドラ様にも、もしものことがあったら!」
「開門!」
「メリシエル様!」「どうか、お城にお戻りください!」「メリシエル様!」
メリシエルは、幸福そうな笑顔をみせ、
「大丈夫だよ、みんな。だから、お願い。みんなのこと、傷つけたくないの」
城門が開く。メリシエルが、出ていく。
「閉門!」
そうして、第一次公国防衛戦争が始まった。
向こうには、美しい鎧に身を包んだ聖騎士エリオネス=ラフェイルを先頭とした、1,600の兵が整列していた。その眼前には、赤子を抱いた母メリシエルだけが、黒いワンピース姿で立っている。
メリシエルが、通告する。
「私が、サリオンドレル公国の公妃、メリシエル=サリオンドレルです。審判の剣の皆さま、この赤子を殺しに参られたのでしょう?」
「皆さまの中には、お子さんがいる方もおられるでしょう。そのお子さんを殺しにきた輩に対して、皆さんならどうなさいますか?」
「サリオンドレル公国は、通常軍を持ちません。街の治安維持軍しかありません。繰り返します。あなた方と交戦できる軍は、公国にはありません」
「ですから。あなた方のやろうとしていることは、街中における民間人の虐殺です。大陸条約に加盟していない独自組織であれば、それもありなのかもしれません」
「しかしよろしいですか? あなた方は、民間人を虐殺しようとしている。特に、私の可愛い赤ちゃんを、殺そうとしている」
赤ちゃんが、泣いた。
メリシエルは優しい母の眼差しを、「大丈夫だよ」と、その赤ちゃんに見せる。
審判の剣、その天幕で、メリシエルの発言をメモしていた従軍記者が、ペンを止める。確かにこれでは、単なる民間人の殺戮だ。
「ですから、公国において最も責任あるサリオンドレル家の人間として、警告します」
「こんなこと、おやめなさい。視察団も見ています。あなた方の行為は、その名とともに、永遠に記録に残ります。家名が汚れます。歴史が、許しませんよ?」
審判の剣にいた兵たちは、強大な魔王軍と戦って、死ぬつもりでいた。しかし目の前にいるのは、赤子を抱いた母ひとりである。
しかも、かつて魔王と恐れられたメリシエルからは、加護の力が全く感じられない。不浄な香りも、しない。どう見ても、ただの母親である。
1,600の兵たちは、どうして良いかわからなくなった。そうして、混乱した兵たちは石を拾って、赤子を抱いたメリシエルに投げ始めた。
「魔王め、嘘をつくな!」「悪魔が、人間を騙すな!」「地獄に帰れ!」
アレクサンドラを庇い、甘んじて石を受けるメリシエル。メリシエルの身体から、血が流れる。服が破れる。それでも、メリシエルは動かない。
しばらくして、石を投げる兵もいなくなった。
額から流れる血を拭うことなく、メリシエルが真っ直ぐに審判の剣を見る。
「これが、あなた方の聖戦ですか? 母子に石を投げつけることが、あなた方の正義だというのですか? 神が、そう望まれているのですか?」
「それが正義というならば、もっと石を投げなさい。私は、いつまでも耐えて見せます。ご安心ください。私は、頑丈ですから」
そういうとメリシエルは、足元に多数転がっている血のついた石を、審判の剣の方に、下手でコロと、優しく投げ返した。その動作を繰り返しながら、
「大丈夫です。皆さまが心ゆくまで石を投げても、私が死ぬことはありません。本当に私、丈夫なんです。さあ、どうぞ。安心して、石を投げてください」
しかしそうして足元に届けられた、母の血がついた石を拾える兵はいなかった。
「投げなさい!」
メリシエルは、そう言って、審判の剣の軍隊の方に、歩いていく。
聖騎士エリオネス=ラフェイルの目の前で、メリシエルが止まった。メリシエルは血だらけ、服もところどころ破けてはいたが、アレクサンドラは無傷だった。
「聖騎士さま。その目で私の赤ちゃんを見てください。この子が、悪魔なのですか? あなたには、本当に、そう見えるのですか?」
メリシエルは、微笑む。それから赤子を聖騎士に抱いてもらおうと、ベビーラップから、優しく「ほら」と差し出した。
不思議と、聖騎士も自然に微笑んだ。
それから震える腕を前に出し、赤子を受け止めようとする。しかし赤子を手にすることなく、差し出した両手を収め、その両手で顔を覆った。
——こんなにも汚れた手で、触っていいものではない。
聖騎士エリオネス=ラフェイルは、その聖性から、素直にそう感じた。
そして。エリオネスは「お父様!」と叫び、その場に泣き崩れた。
第68話でした。お読みいただき、ありがとうございます。
少しでも、読めるところがあったなら、是非とも☆評価をお願いしたいです。執筆の励みになると同時に、明日もまた頑張っていこうという気持ちになります。
さて。
強大な悪と戦い、名誉の戦死を遂げたい。そんな願望など、叶えてやらない。現実を見せることで、敵に勝つ。もちろん、メリシエルが強いからこそできる行動です。ただメリシエルの強さは、筋力だけではありません。母の強さを、持ち始めたのです。
引き続き、よろしくお願い致します。




