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第67話 正義の準備

 黒薔薇歴15年、冬の終わり。


 夜明け前の空は、鉛色に沈んでいた。


 サリオンドレル公国の城下町へと続く丘の上、約1,600の兵が列をなして立っている。


 鎧の接ぎ目から立ちのぼる白い息が重なり合い、この地特有の湿った空気の中で溶けていった。


 彼らの目は、ひとつの光を見ていた。


 高台に立つ少女、聖騎士エリオネス=ラフェイル。年若いその身に、白金の甲冑。胸に掲げた十字の紋章は、薄明の光を受けて鈍く輝く。


 その姿を仰ぐ者たちは、もはや個としての意識を失い、一つの巨大な信念の肉体となっていた。


 誰も恐れていなかった。

 

 死を。罪を。あるいは、この行いの是非を。


 彼らの心は、ひとつの確信で満たされていた。「正義は我らにある」と。その言葉は、もはや思考ではなく、生理的な鼓動と化していた。


 兵のひとりが膝をつき、地に剣を突き立てた。続いて、二人、三人と、同じ仕草が連鎖していく。やがて1,600の剣が一斉に土を穿ち、金属の音が丘を震わせた。


 それはまるで、神への供物を捧げる儀式のようだった。


 風が止み、空気が硬くなる。


 誰かが低く祈りの言葉を唱えると、ほかの者たちがそれに重ねた。やがて、その祈りは合唱となり、呪文のように夜明けの大地を満たしていく。


「光の御名において」

「闇を断ち、穢れを焼け」

「罪ある国に安息を与えよ」


 その声は震えていなかった。哀れみも、怒りもなかった。ただ陶酔があった。


 剣を持つ手が微かに震え、唇が乾く。その乾きを、誰も渇きと思っていない。それは、救済の予兆だった。


 聖騎士ラフェイルが右手を掲げた。小さな動作だった。だが、六百の兵が一斉に呼吸を止めた。そして彼女は言った。


「正義は、我らの手にある。神は沈黙するが、沈黙とは、委任である。加護なき赤子を殺せ!」


 その瞬間、兵たちの心に、火がついた。それは怒りではない。熱狂でもない。確信だった。


——神は我らに託した!


 この剣を、焔を、断罪を。この熱狂こそ、天の意思である。兵たちの瞳が、一斉に同じ方向を見据えた。


 遠く、サリオンドレルの城壁。


 まだ朝靄の中に沈む街。そこに灯るわずかな明かりを、彼らは「罪の炎」と見た。あの火を消さねばならぬ。それが、彼らが呼吸している理由だった。


 やがて太陽が昇り、白い光が大地を照らす。


 聖騎士ラフェイルの甲冑がきらめき、兵たちは一斉に剣を抜いた。六百の刃が光を反射し、丘を覆う。風が鳴り、金属が唸る。


 その音は、不吉だった。


 「進め!」


 聖騎士ラフェイルの声が、静かに、しかし絶対の力をもって響く。その一言で、列が動いた。足音が地を打ち、鎧が鳴る。


 1,600の兵は、誰一人として人間らしい表情を見せなかった。歓声もなかった。ただ、光の下で整然と進む。


 彼らにとって戦いは信仰の延長であり、死は到達であり、そして殺戮は、祈りの完成だった。


 丘を下りるたび、地面の霜が砕け、朝靄が舞った。その白さの中に、誰かが言った。


「見ろ、道が開けている。神が我らに道を示している!」


 その言葉に、1,600の心が再び震えた。もはや、そこに現実など存在しない。あるのはただ、彼ら自身が作り出した、虚構にして絶対の光だった。



第67話でした。お読みいただき、とても嬉しいです。ありがとうございます。


少しでも、読めるところがあったなら、是非とも☆評価をお願いしたいです。執筆の励みになると同時に、明日もまた頑張っていこうという気持ちになります。


さて。


聖騎士が率いる軍隊は、強大ではありません。しかし、狂気による士気の高さはあります。一方、防衛する側のサリオンドレル公国には、交戦のための軍はありません。どうなるでしょう。


引き続き、よろしくお願い致します。

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