第25話 黒薔薇城にて
秋になっていた。
エリックとパトリシアは、アレクサンドラと出会った直後から、城内のあらゆるところに黒薔薇を植えていた。そして秋は、黒薔薇が最も黒く、美しく輝く季節である。
サリオンドレル家の拠点となっているこの城は、いつしか、黒薔薇城と呼ばれるようになっていた。
そんな夜の黒薔薇城にて、オルセリオンとメリシエルの婚約式が行われようとしている。
漆黒のアーマーに身を包んだ衛兵は、長い槍をもってところどころに配置され、微動だにしない。
そこを、風の音だけが、優しく流れている。黒薔薇の香りが、その風に乗る。
灯火の数は少ない。月明かりを浴び、黒薔薇城は薄闇の中で深く息づいていた。
壁を這う影はゆるやかに揺れ、大理石の床はまるで水面のように柔らかくうねる。
花道には黒薔薇が無数に咲いている。
月明かりをたっぷりと吸い込んだ花弁が、空に向かって艶を返していた。
そのとき。
パイプオルガンの音色が、風の音をかき消し、黒薔薇の香りだけを残した。
(J.S.バッハ / 幻想曲とフーガ / ト短調 / BWV 542)
城門のところに、雁器オルセリオン=グランディエル、並びに斬橋メリシエル=サリオンドレルが立っている。オルセリオン右腕の義手に、メリシエルが腕を回していた。
二人は、城門から大広間に向かって、ゆっくりと歩き始める。
歩きながら、二人は互いの顔を見て、何かを話している。笑ったり、深刻な顔をしたり。きっとこれまでの人生を振り返っているのだろう。
それから二人は、中庭、黒薔薇の花道を進む。黒薔薇の花弁が反射するわずかな月明かりが、二人を足元から照らしている。
ついに二人が大広間に入ってくる。大広間の中を、黒薔薇の花弁が舞い始める。
大広間では、中央に配置された黒い絨毯が道となっていた。その両脇に、列席者たちがいる。
歩幅を合わせ、噛み締めるように一歩ずつ歩を進める二人。
オルセリオンの黒衣の上衣には、銀糸の刺繍があしらわれている。長い黒髪は後ろで束ねられ、燭の炎を反射する。黒い瞳は、黒曜石のように輝いている。
メリシエルの漆黒のドレスは、夜そのものを纏うかのように揺れている。銀のティアラを抱いた長い銀髪が、闇の中で微かに息づいていた光を散らす。その瞳は、深い海のような濃い青をしている。
二人の目が映すのは、死への恐れではない。死をも蹂躙せんとする魂であること。その誇りだった。
薄い霧のようなアレクサンドラが、メリシエルの一歩後ろに立つ。娘の背へ、透き通る手をそっと伸ばし、優しく添える。
列席者たちは、自分がこの場にいることが信じられない。
──ここは、本当に現世なのだろうか
王と王妃がいる。大臣クラス8名。グランディエル家の面々、他、上級貴族からも多くの列席者があった。
末席には、学校関係者、使用人エリックとパトリシア。そして王都にある3つの孤児院からも、12歳以上の孤児11名が招かれている。
誰も、動かない。動けないでいた。
冥府の王冠を被り、薄灰色のドレスを着たダークエルフ、エルシアナ(支柱たる女性)=ゼルドレル(始まり)が、黒い漆塗りの小さな台座を両手で持ち、絨毯の終点に立っている。
オルセリオンとメリシエルは、そのエルシアナの前で止まった。
エルシアナが、語り始める。
「──冥府神オリシスの御前において、我らは此処に二つの魂を結ばんとす。死と生を分かたず、始まりと終わりを同じ輪に繋ぐために」
その声は、まるで鐘の音のよう。エルシアナの周囲に冥府の炎が小さく唸り、揺らめいた。
メリシエルとオルセリオンが互いに向き合い、手を取り合った。
エルシアナが問う。
「斬橋。サリオンドレルの娘よ。お前は、死の淵に生を受け、不浄なる母に愛され、共に世界に抗い、正しく呪い、そして生きた。その誇りをもって、この男の輪廻を永遠に愛すると誓うか」
エルシアナの問いに、メリシエルはまっすぐに頷いた。
「はい。たとえ彼が死を迎えても、その魂が輪廻する限りにおいて、永遠に共にあることを誓います」
エルシアナが問う。
「雁器。グランディエルの息子よ。お前は勇敢にこの少女を守り、失った右腕に神を宿す器となった。お前のその全霊をもって、この少女と永遠の輪廻を共にすると誓うか」
オルセリオンは静かに右腕の義手を胸に当てた。
「誓います。いついかなる時も彼女の魂を求め、この神に賜りし右腕は、永遠に冥府の門を叩き続けるでしょう」
エルシアナは古代エルフ語で祈りの詠唱を始めた。温度のない黒い炎が一斉に立ち上がり、天井の紋章を照らす。
その炎が、オルセリオンとメリシエルの二つの影を、ひとつに縫い付ける。
「──ここに、冥府神の名のもと、雁器オルセリオン=グランディエルと、斬橋メリシエル=サリオンドレルの契約を結ぶ。これは輪廻から外れるまでの、永遠なる魂の盟約。死をもってしても決して解かれることはない」
最後に、エルシアナはそっと目を閉じた。彼女の背後に冥府神の姿が一瞬だけ重なる。
やがて炎が収まる。エルシアナが持つ小さな台座の上に、銀色の輪が2つ残されていた。これは単なる指輪ではなく、魂を結ぶ環と呼ばれるもの。
オルセリオンが、その一つをメリシエルの左手薬指にはめる。メリシエルは、もう一つを手に取り、オルセリオンの左手薬指にはめる。
二人の心臓の鼓動が聞こえる。それが少しずつ同調し、同じリズムに重なっていく。
口付け。
エルシアナが微笑を湛える。
「──これにて魂の契約は成った。どうか、二人の永遠なる輪廻が、終わりなき愛のうちにあらんことを」
冥府の炎が静かに消えた。そして夜が、再び静けさを取り戻す。
月明かりがゆれ、婚約の儀の終わりを告げた。
この夜、黒薔薇城に咲いた黒薔薇は、深く、甘く、そして永く香り続けた。
第3章の始まりです。第25話までお読みいただけたこと、嬉しいです。ありがとうございます。
少しでも、読めるところがあったなら、是非とも☆評価をお願いしたいです。執筆の励みになると同時に、明日もまた頑張っていこうという気持ちになります。
さて。
聖なる光の下ではなく、黒い夜の下での婚約式を描いたつもりです。あまり参考になるものがなかったので難しかったです。パイプオルガンの曲を聴きながら、頑張ってみました。なお、口約束もまた、立派な契約です。冥府神の前では、婚約と結婚の意味は全く同じです。王国の法律上、まだ公式には結婚ではないというだけのことです。
引き続き、よろしくお願い致します。




