第18話 サリオンドレル邸
メリシエルとアレクサンドラには、家がない。メリシエルは、森に捨てられて以降、ずっと屋外や洞窟の中で母に守られて暮らしてきた。
学園に入学してからは寮にいたため、これまでは家の問題はなかった。
しかし本来、魔術師団学院の生徒に寮生活が義務付けられるのは、親元を離れることによる成長を期待してのことだ。
メリシエルは9歳まで、アレクサンドラ以外の人間と関わってこなかった。さらに魔術師団学院の初等科への入学は、通常であれば12歳以上と決められている。
特例で学院に入学したメリシエルも、あと数ヶ月で12歳となる。友だち(闇属性持ちがほとんどだが)も増え、教員たちとも良好な関係が築けていた。
アレクサンドラは、いよいよ、メリシエルを手放さねばならない。悲しいけれど、この学院であれば大丈夫だ。アレクサンドラも、それが最善だと考えた。
寮生活とはいえ、週末や長期休暇であればメリシエルに会える。また、これからサリオンドレル家の仕事になる孤児院の管理であれば、仕事でも一緒にいられる。
しかし、アレクサンドラには、学院以外の拠点がない。それに今後、メリシエルにとって週末や長期休暇に帰る「実家」と呼べる場所がないのも、侯爵家として問題があった。
そこで、王によってサリオンドレル家の拠点が下賜された。
あてがわれたのは、王宮と学院のどちらからもほど近い、古びた無人の小城であった。便利な立地なのに無人なのは「出る」との噂が絶えなかったからである。
石壁はところどころ苔むし、塔も低く小振りだが、不思議と胸を温める佇まいをしている。もちろん胸が温まるのは、闇属性の立場からのこと。世間一般には、これを不気味という。
小城とはいえ、城である。使用人のための部屋まであり、十分だ。しかも無人のはずなのに、部屋はどこも綺麗に掃除されていた。無人のはずなのに?
アレクサンドラが嬉々として内見をしていると、やはり先人(先霊)がいた。好都合なことに、かつてこの城に住み込みで働いていた老夫婦の死霊だった。
アレクサンドラが、丁寧な挨拶をする。驚いた老夫婦は、アレクサンドラの放つ圧倒的な瘴気、美しく誇り高い出立ちに感動した。
老夫婦はすぐさまアレクサンドラを新たな主人と認めた。そしてその到着をいたく喜んだ。
使用人エリックとパトリシア。二人は、こうしてサリオンドレル家に使えることで、長く失われていた誇りを取り戻した。そうして城の中は、どんどん快適になっていった。
◇
メリシエルが母と一緒に寮で暮らさなくなった、その週末。メリシエルがオルセリオンと二人で、この「実家」を初めて訪問した。そもそもメリシエルには「実家」とは何か、その概念がなかった。
「お母さん、とても素敵だわ。私、もう気に入っちゃった。私、ここにいてもいいの?」
「もちろんよ。メリシエル、ここがあなたの『実家』になるのよ。何かあったら、いつでも戻ってこれるの」
老夫婦が、メリシエルのあまりの美しさに触れ、感激に目を潤ませて発言する。
「お嬢様。お初にお目にかかります。私はエリック。こちらは妻のパトリシアにございます。この城にて、長く使用人をしております。以後、お見知りおきを」
「嬉しいわ。初めまして。エリックおじさま、パトリシアおばさま。私、メリシエルです。色々、教えてくださいね!」
和む話が始まりそうかに思えた。しかし、エリックとパトリシアは、オルセリオンの義手から生じる甘く暖かな香りに、完全に心を奪われてしまう。マタタビ効果だ。
エリックは跪いて義手に抱きつきながら、
「だ、旦那様。こ、これは」
パトリシアも床に膝をつき、無言で義手に頬ずりしている。
このとき。
オルセリオンはメガネを外し、長髪を耳にかけ、とても柔らかい表情を見せた。これが、メリシエルも初めて見るオルセリオンの素顔だった。思わず目を奪われるメリシエル。
それからオルセリオンは、まとわりつく二人を義手の肩越しに優しく見下ろしつつ
「初めまして。エリック様、パトリシア様。僕はオルセリオン=グランディエルです。これから、こちらによくお邪魔することになります。よろしくお願いします」
続けて義手から甲高い声がする。
「我は、ヴァリオンド=サリオンドレルである。我が子孫たちのこと、よろしく頼もう」
抱きついていた義手からの声に驚くエリックとパトリシア。
メリシエルは、この一連の様子をただボーッと見つめていた。そんなメリシエルを見るアレクサンドラは、とても嬉しそうだ。
「さ、メリシエル。あなたの部屋に案内するわ。オルセリオンくんも、一緒にきて。あなたが雁鉄様とここに泊まるための、特別な部屋もあるのよ」
◇
王は、もう一つ手を回していた。
ダークエルフのエルシアナは、寮生活をしていなかった。見た目は12〜13歳程度の子どもだが、実際には150年程度は生きている。
エルシアナは、100年以上前の戦争で村を焼き払われ、身寄りがない。とはいえ優等のA組なので、学費は免除され、生活費も支給されている。
しかしエルシアナは、少しでも自立したいと主張した。そうしてエルシアナは住み込みのメイドとして、ある有力な貴族の屋敷から学院に通学していた。
このエルシアナが、王命により、サリオンドレル家に移籍することになった。
「アレクサンドラ様にお仕えするのは嬉しいけど、なんで王命? そんな大袈裟なこと?」
しかしこれには、アレクサンドラがとても喜んだ。エルシアナは貴重な話し相手になるだけでなく、娘の友だちなのだ。毎日、学校での娘の様子を聞き出せる。それこそが、王の計らいだった。
それから。メリシエルは、毎週末の帰宅を指折り数えるようになった。
寮では一人部屋だ。しかし実家では母、エルシアナ、オルセリオン、雁鉄、エリック、パトリシア。家族と呼べるみんなが一緒にいてくれる。
そうしてメリシエルは、日曜日の夜、寮に戻ることを泣いて嫌がるようになってしまった。メリシエルは、やっと「実家」の概念を理解したのである。
第18話までお読みいただきました。本当に、ありがとうございます。嬉しいです。
少しでも、読めるところがあったなら、是非とも☆評価をお願いしたいです。執筆の励みになると同時に、明日もまた頑張っていこうという気持ちになります。
さて。
これまで「実家」がなかったメリシエルですが、ついに「実家」を手に入れました。しかし、それが大切なものだと理解できたからこそ、寮に戻れなくなっていきます。
引き続き、よろしくお願い致します。