(7)転生
午前の早いうちに、近くの神社の神主によるお祓いが終わった。
それからすぐに、さく井業者によって井戸の上に鉄パイプの仮設やぐらが組まれていった。
指揮を執る現場監督は業者の跡取りということで、カズキと同じくらいの年齢だった。
その指示により、昼過ぎにはもうやぐらが組み上がった。
「任せてください!」
現場監督は自信たっぷりにカズキに言い残し、より若い作業員のウィンチ操作により井戸の中へと消えていった。
大声で合図を送り合いながら井戸の調査をする現場を後にし、カズキはカフェに戻った。
ミズノコが言っていた「ポイされた」というのが本当ならば、彼女の骨が井戸の底にあるはずだ。
産まれたばかりの嬰児の骨だから残っているかどうかは危ぶまれたが、それがカズキたちにできる最大限のことだった。
そして、ミズノコの命を絶った母親たちに私怨による罰ではなく、ちゃんとした法の裁きを受けさせなければならないとも思っていた。
そのためにも、ミズノコの骨・・・彼女がこの世に存在していた証が見つかってほしいと願っていた。
さく井業者には、井戸の水を営業用に使えるかどうかの調査という名目で依頼した。
もし小さな骨でも見つかれば、即座に警察に通報するところまで想定していた。
ひょっとしたら、最初はカズキたち夫婦が疑われるかもしれない。
死体が井戸の底から出たということで、もともと事故物件のように言われていたカフェの客足が遠のくかもしれない。
そのようなリスクをおしても、やらねばならないことだった。
彼らにとってミズノコはそれほど大切な存在で、そんな彼女のたましいのために。
・・・
カフェに戻ると、マアヤが眉をひそめカズキに寄ってきた。
彼女は1枚の名刺を彼に渡しながら、声を落として言った。
「警察が、来たの」
カズキはてっきり、先日の事故の関連かと思った。
しかし名刺を見ると、交通課ではなく捜査一課の刑事だった。
彼は客間の奥に目立たず座る、その刑事の方に向かう。
捜査一課とは、ただごとではない・・・そんな緊張を覚えた。
「こんにちは・・・はじめまして。ここの店主です」
「いやこちらこそ・・・なかなか美味いコーヒーですねぇ」
少しも美味そうでなく、苦虫を噛み潰したような渋い顔で刑事は警察手帳を示した。
また少し緊張が深まるのを感じながら、カズキは刑事の向かいに座る。
「こないだの事故のときには、お世話になりました・・・いや、お手数を取らせましたと言うか・・・」
事故とは関係のない要件で来ているのは明らかだと思われたが、とぼけてとりあえずの話を向けてみる。
しかし刑事の返事は、意外なものだった。
「いえ、お宅さんも大変でしたねぇ。しかし今回お伺いしたのは、その事故から出てきた話でして」
「・・・と、言いますと?」
「事故を起こした女性から、ある事件についての『告白』がありまして」
「はぁ・・・」
「それで、この敷地の隅にある古井戸を私達に調べさせてもらいたくて、そのご相談に参ったという次第です」
あの女性・・・ミズノコの母親は、どうやら自分から白状したらしい。
怨みを持ったミズノコからの報復を恐れたのかもしれないが、となれば話は早い。
「けれど・・・ひょっとして、今、古井戸で何かをしようとしていますか?」
「実は、古井戸が使えるかどうか、そして水質が美味しいコーヒー向きかどうかの調査を業者にお願いしたところで・・・」
「しまった!」
舌打ちしながら、刑事は立ち上がった。
殺人の証拠が眠る井戸を、荒らされようとしていると思ったようだ。
そこへ、マアヤがやってきた。
先ほどよりも、明らかに困惑の度合いを増した表情だった。
「あの・・・井戸の業者さんが、大急ぎで相談したいことがあるって・・・いま来客中だって言ったんだけど・・・」
向こうのレジ脇には、マアヤよりも困惑顔の現場監督がソワソワしながら立っているのが見えた。
早くも「証拠」を見つけたか・・・カズキは言った。
「ここに通して。刑事さんも一緒に聞いていい話かもしれない」
マアヤは急ぎ足で、現場監督のところへ向かって話を伝える。
そして現場監督がこちらに来るまでに、刑事までソワソワしだした。
現場監督はカズキとは別に知らない者がいるのに一瞬の躊躇があったようだが、すぐに防水仕様のスマホの画面を向けてきた。
画面は反射してよく見えなかったのでカズキは手で覆って影を作り、刑事も首を伸ばして覗き込む。
「なんか、動物の骨みたいなものが出てきたんで・・・サルかな? とか思ったんですが、人の子供のようにも見えて・・・どうしたものかと」
うす青く透明な水の底に、白くてきれいな頭蓋骨が沈んでいた。
これが、ミズノコの実体か・・・カズキは震えながら、涙が出そうになるのを感じた。
「刑事さん、これですか?」
「・・・これです」
今度は刑事のほうが、困惑してきたようだ。
しかしすぐにポケットからスマホを取り出して、どこかへ連絡を取り始めた。
・・・
ミズノコの母親の『告白』と、それを裏付けるミズノコの遺骨の発見。
事件の概要は警察によって発表され、それにマスコミやネット民が飛びついた。
それまで闇に覆われていた真実が、一気に白日の下に晒された。
カズキたちの想像通りの内容だったが、しかし心から恐怖に震えるものだった。
当時は高校生の少女で、県内でも有数の名門校に通っていた母親。
彼女は同級生の少年との間で過ちを犯し、妊娠してしまった。
少女の腹は日に日に大きくなり、ついに両親の知るところとなった頃には中絶可能な時期を逸していた。
時期は夏の入口・・・両親は少女を池のほとりの自宅に軟禁した。
そのまま夏休みに入り、そして少女は出産した。
両親と少女の暗黙の了解のうちに、産まれたばかりの女児は井戸に生きたまま放り込まれた・・・。
警察の発表に、マスコミやSNSが好き勝手に詳細を肉付けしていた。
しかし状況が示すのは、おそらくそれは真実に近いだろうということ。
カズキたちの胸は、痛んだ。
あの天真爛漫なミズノコが背負っていた、あまりにも重い事実。
しかしそれらを明らかにし、母親たちを法の裁きの場に引っ張り出すことができたのだ。
それでミズノコも、いくらかは報われたと思いたかった。
けれども・・・もうあの明るい笑顔のミズノコは、もう戻ってこない。
それは、カズキとマアヤそれぞれの心に、大きな空洞を残した。
・・・
そんな空虚なものを心に抱きながらも、ふたりは夫婦の行為を続けた。
それは子孫を残すという本能的な目的だけでなく、ましてや快感と心の充足を求めるというものでもなく、ミズノコのような子とまた出会いたいという思いも秘めていた。
蒸し暑い夜が続き、扇風機の風を浴びながらでもふたりは汗みどろになった。
熱いからだどうしなのに、ふたりは素肌と素肌で密着してそのまま一緒に眠りに入っていった。
浅いまどろみの中、ふたりは同じ夢を見た。
夢の中で、玄関の扉を遠慮がちに叩く音で目が覚めた。
ふたりは慌てて布団の周りに乱雑に散らばった衣服を集めて身に付け、玄関に向かう。
明かりを点けてすりガラスの格子戸を引いて開けると、そこには老人に付き添われたミズノコが立っていた。
「ミズノコ!」
「ミズちゃん!」
ふたり同時に彼女を呼ぶと、きまり悪そうに老人の陰に隠れた。
白い髭を伸ばし明るい水色のジャケットを羽織った老人は、「これこれ、顔を見せてあげなさい」とミズノコを促してふたりの前に立たせる。
やっぱりあれだけの事をしたからか、ミズノコは顔を向けようとしない。
そんな彼女をふたりは、一緒になって抱きしめる。
そこでようやく、ミズノコの顔に笑みが現れた。
目からは大粒の涙を流しながらの、微妙な笑顔だったが。
しばらくミズノコをもみくちゃにしながら抱き合って、それからふたりは彼女と老人を客間に通した。
テーブルのひとつを部屋の真ん中寄りに移動させ、コーヒーを準備するには時間がかかるから冷蔵庫の麦茶と売れ残りの焼き菓子を出す。
老人は静かに麦茶を口に運び、ミズノコははにかんだように笑いながら焼き菓子にかぶりつく。
それにしても、この老人は誰だろう・・・いや、カズキにはなんとなく分かるような気がした。
「私は、あそこの井戸の『守り人』みたいなもんでな、まぁあなたたちの言葉では『水神』とも呼んでいますがな」
カズキの心の内を透かして読んだように、老人は笑って言った。
それではなぜ、ミズノコを伴ってやって来たのだろう?
「実はな、折りいっての頼みがあってこの子を連れて来たわけですがな」
「はぁ・・・」
水神様の頼みとは、ただ事ではあるまい。
カズキは膝の上に置いた両の拳に自然と力が入るのを感じ、そんな彼にマアヤが心なしかからだを預けるように寄ってきた。
「この子を、あなた達の子供として育ててくれないかな?」
「えっ・・・」
カズキとマアヤは、顔を見合わせる。
ミズノコはすでにこの世になく、たましいだけが彷徨っている存在ではないのか。
「説明が悪かったようだが・・・この子をもう一ぺん生まれ変わらせてやる、その加勢をしてくれないかと」
「・・・!」
そこで水神様の化身の老人が言わんとするところが、分かった。
ミズノコのたましいを、これからふたりが創りだす新しい命に宿らせようということらしい。
ミズノコがまた、ふたりのもとに戻ってくる・・・。
カズキは躊躇したが、いっぽうでマアヤは、きっぱりと言った。
「いいです。喜んで!」
「ちょ、ちょっと待って!」
ミズノコはいったん殺され、そしてその恨みを晴らそうと人に危害を加えようともしたではないか。
カズキはそれをマアヤに言い、慌てて彼女を止めた。
「でもそれは、ミズちゃんのせいじゃない! ミズちゃんは、生まれてくるところをいったん間違えただけ。それを、もう一度ちゃんと生まれ変わらせてあげるだけじゃない!」
「でもさ・・・」
「なによ、じゃぁ、里子を引き取って育てようかっていつか言ったこと、あれは心にもないことだったっての?」
「そんなこと、ない・・・」
矛盾を突かれて視線を落とした先に、不安そうに彼を見上げるミズノコの顔があった。
たちまちのうちに、短かったけれども楽しく充実していた彼女との日々が胸にあふれてきた。
生まれてそのまま命を絶たれた彼女に、今度こそ人間として生きる道を与えてやるべきではないのか・・・?
カズキは、決心した。
「分かった。ミズノコを、迎えてあげよう」
「良かった! ミズちゃん、いらっしゃい。あなたは私たちの子になるのよ」
両手を広げるマアヤの胸に、ミズノコはジャンプするように飛び込んだ。
そのまま彼女の姿は、マアヤのからだに取り込まれるように消えていった・・・。
・・・
あの夜から、1年が経った。
「乳児の遺体発見」からいったんは客足が遠のき、それが戻ってくる頃にマアヤが出産を控えて休んだ。
手作りスイーツの提供ができなくなって、業務用の冷凍に頼らざるを得ない時期もあった。
それでまた客足が落ち込んだが、それでもなんとか乗り切った。
その間にミズノコの母親とその両親は起訴され、法廷に立たされた。
当時の様々な事情が明らかにされ、それらが斟酌された結果、3人とも執行猶予付きの有罪判決となった。
そして夏もいよいよ終わりに近づき、泉のほとりに夕闇が訪れる時間も早まってきた。
林を抜けてくる風も、めっきり涼しくなった。
開け放された縁側から入ってくる風が、蚊取り線香の淡い煙をくゆらせる。
営業時間もとっくに終わり静かになった客間に、思い出したかのような赤ん坊の鳴き声が上がる。
いつかミズノコが描いた絵のある襖の前に、ベビー蚊帳。
声は、その中からだった。
「はいはい、おっぱいかなぁ〜、おむつかなぁ〜」
つい先日カフェの仕事に復帰したばかりのマアヤが、そこへ足早に向かう。
ひぐらしの声が幾重にも重なって聞こえてくる、静かな夕べだった。




