(5)血の復讐
ミズノコがいなくなって3日が経った。
それはつまり、梅雨の晴れ間が3日続いたということになるのだろうか。
そんななか、ある不思議なことにマアヤは気付いた。
スマホをいじり「おかしいなあ」とつぶやきながら、しきりと首をひねっている。
「どうしたの?」
カズキがスマホを覗き込むと、マアヤはスマホをそのまま彼に手渡した。
画面には、お客がSNSに投稿したカフェの店内が映っていた。
ミズノコたちが子供たちとブロックで作ったお城を囲んでの、集合写真。
カズキはすぐに、どこがおかしいのか分かった。
映っているはずのミズノコの姿が、どの写真を見てもなかったのだ。
そこで思い当たるのが、どうやらミズノコはカズキとマアヤのふたり以外の者の記憶に残っていないらしいことだ。
カフェの常連さんの誰もが、ミズノコがいなくなったことを気にしていない。
やはりミズノコはこの世の者ではない・・・今さらほぼ分かりきったことではあったが、あの子がいない寂しさを感じているこの最中にはその事実が重かった。
この世の者でなくても、いつの間にか「自分たちの子」という意識が心のなかに芽生えていたことに気付かされた。
すでにかけがえのない存在になっており、その不在は心にぽっかり穴が空いたような思いにもさせた。
朝にはふたりで、あの雨の日にミズノコがいた古井戸のあたりでその姿を探そうとした。
しかしやはりひょっこりと姿を現すようなこともなく、ふたり水神様の前で手を合わせるしかなかった。
ひょっとするとミズノコは、水神様の遣いかもしれないと思うようになっていた。
いやまた別の可能性・・・以前ミズノコは自分のことを親に「ポイされた」と言っていたが、まさか・・・とそれは努めて考えないようにしていた。
そしてその日の夕方も、ふたりで納戸の襖の前に寄り添うように並んで座ってミズノコが残した大きな落書きを黙って眺めた。
拙いながらもエビやカニやカエルが遊んでいるかのように集い、それを見守る人物・・・老人のように見えるが、ミズノコが言うところの「カミサマ」だろうか。
明るい色彩でおおらかに描かれ、みんな楽しそうに見える。
そんななか、ミズノコもまた楽しく普段は暮らしているのだろうか・・・。
外は日が沈んだようにだいぶ暗く、カエルの声も何やら騒々しい。
雨が近いのだろうかと思っていたら、たちまちパラパラと雨粒の音がし始めた。
ハッとしたように、マアヤが立ち上がった。
カズキも心が急くような感じがして、彼女よりも先に玄関に走った。
雨はあっという間に、ザアザアと強くなってきた。
ふたり傘をさして、古井戸の水神様の方へ急ぐ。
すると・・・ミズノコが、いた。
白いワンピースの姿で雨に濡れながら、「エヘヘェ・・・」とはにかんだような笑顔を見せる。
「ミズちゃん・・・おかえり・・・」
マアヤが、声をかけた。
ミズノコは、笑いながらも目をふたりから逸らしながら聞いてきた。
「ね・・・怒ってな〜い?」
「なにを?」
「・・・お絵かき」
どうやら、襖の落書きのことを言っているらしい。
カズキもマアヤも、思わず吹き出した。
「全然。怒ってなんかないよ」
「よかったぁ〜」
ミズノコは、マアヤに抱きつく。
マアヤも、ミズノコをギュッと抱きしめながら頭を撫でる。
「ね、ミズちゃんを、マアヤさんとカズキさんところの子にしてくれる?」
「いいよ、いいよ。いつまでも私たちの子でいてちょうだい」
ミズノコに答えながら、マアヤはなおも髪を撫でる。
カエルの声がひときわ大きくなり、雨も強くなってきた。
3人は並んで、水神様に頭を下げた。
そして、本当の親子のように並んで家に帰ったのだった。
・・・
朝になると、ミズノコは目を覚ます。
布団から出てきたミズノコに、ふたりは「おはよう」と声をかける。
ミズノコも、ニタァと笑いながら「おはよう」と返す。
そのまま着替えもせずにテレビをつけて、Eテレの子供向け番組など楽しそうに眺めてる。
早朝から一日の準備で忙しいカズキとマアヤにとっては、手がかからない子だった。
そして一段落してからの、朝食。
営業日は忙しいからどうしても、買い置きしてあったヤマザキのチョコチップスナックとかの菓子パンを中心としたものになってしまう。
さもなければ、売れ残りのクッキーとか。
それにインスタントのスープを付けたような食事でも、ミズノコは喜んで美味しそうに食べてくれる。
スープは、ミネストローネが特にお気に入りのようだった。
昼は昼で、お客の子供たちと遊んでいる。
やってくる子供たちはその子それぞれでいろんな個性があったが、ミズノコは誰とでも溶け込んで遊んでいた。
夜になると、マアヤとのお風呂の後に食事。
カレーにハンバーグにスパゲティ、子供が好きそうなものはミズノコも大好物のようだった。
すっかり子供向けの献立が中心となったが、まだ本当の子供を持たないカズキにとってもそれで幸せだった。
カレーの野菜を星型に切ったり、ハンバーグにケチャップでお絵描きしたりと、マアヤも楽しそうだ。
そして夜になると、歯を磨いた後にカズキが絵本の読み聞かせをしているうちにミズノコは寝入ってしまう。
相変わらず、平和で幸せそうな寝顔で。
・・・
ミズノコは、やはり雨の日にしかふたりのもとにやってこなかった。
しかし逆に言えば、雨が降ればふたりのもとにやってくるのだった。
7月に入り梅雨も終りが近づいてくると、雨がちの日も増えてきた。
だからそれは、ミズノコと過ごす時間が長くなってきたというのも同じだった。
となれば、梅雨が開けて晴天の日が続くようになればミズノコも現れなくなってしまうのだろうか。
理屈で言えばそうなるのだが、カズキもマアヤもふたりともそれには意識して目を背けて考えないようにしていた。
ミズノコのいない毎日など、考えたくもなかった。
それくらい、ミズノコの存在感が増していた。
そんな梅雨も終わりのある日・・・前日の午後から梅雨の晴れ間でミズノコはいなくなったのだが、未明にまた雨が降り出した。
開店準備の合間にカズキとマアヤが水神さんのところへ迎えに行こうとした時、来店客があった。
17歳か18歳くらいの美少女で、白いワンピースを着ていた。
彼女にカズキは声をかけた。
「申し訳ありませんが、まだ準備中で・・・」
しかし美少女は、キッと鋭い目でカズキを見据えた。
そのままマアヤに視線を移したが、鋭い眼光はそのままで口を開いた。
「私は、あなた方が『ミズちゃん』と呼んでいる者のもうひとつの姿です」
それにはカズキもマアヤも、驚きのあまり言葉を返せなかった。
確かによく見れば面影も残しているが、天真爛漫なミズノコとは異なった冷たい印象を与える表情だった。
「・・・でも、どうして、こんなに大きくなって?」
マアヤがやっとの思いで、言葉を絞り出す。
少女になったミズノコは、あくまで落ち着いて返事をした。
「今日、ある人がこのお店に来ます。正しくは、ここに来るように仕向けました。・・・大事な人です。その人が来るまで、お茶の間にいさせてください」
カズキもマアヤも、混乱しながらも受け入れるしかなかった。
どうして成長した姿になって・・・そんな疑問を、胸の奥で抱きながら。
・・・
その日は梅雨もいよいよ終わりかと思わせるような、激しい雨が一日じゅう降り続いていた。
ミズノコはずっと茶の間にこもって、出てこない。
彼女が言うところの「ある人」を、待っているのだろうか。
来るように仕向けたと言うが、もう閉店時間も間際になっている。
店内には、子供連れのお客が2組残っていた。
子供たちはめいめい勝手に客間を走り回ったり、親たちにちょっかいを出して話を遮ったりしている。
小さいミズノコがいれば、磁石が鉄を引き付けるみたいに子供たちをひとつのところに集めて遊んでいるのだが。
大きいミズノコは、午後の情報番組を見るともなくテレビを眺め続けている。
グループのうちひとつがそろそろお開きにしようとなったようで、ひとりのお客がトイレに立った。
40前くらいの女性だったが、ミズノコは茶の間から出てきて短い廊下の先にあるトイレの前に立ったようだ。
カズキは廊下の脇にある厨房で皿洗いをしていたが、しかし何かただならぬものを感じて手を止めた。
あのお客が、ミズノコが言うところの「ある人」なのだろうか。
すぐにそのお客は、トイレから出てきた。
ミズノコが何事か言い、お客が短い悲鳴を上げるのが聞こえた。
お客になにか失礼なことをしてないか・・・? カズキはいささか慌ててそこへ駆けつけようとしたが、お客は真っ青な顔を両手で覆いながら客間へ足早に戻るところだった。
ミズノコは美しい顔に夜叉のような表情を浮かべ、無言で微動だにせず立ち尽くしていた。
カズキはミズノコを一瞥する間もなく客間に向かったが、ミズノコになにか言われたお客は「はやく、帰りましょ、さ、さ!」と他の仲間を急かし、自分の子供の手を引っ掴んで会計に向かった。
そのお客の異変に他のメンバーは気が付かない様子で、話の続きに花を咲かせながらそれぞれの子供達の手を引いて出口に向かう。
カズキが厨房脇の廊下に戻ると、ミズノコはまだそこにいた。
怒りの感情をオーラのように放出し、カズキはそれに当てられそうになりながら問いただした。
「ミズ! ミズノコ! 君はあのお客に、何をしたんだ・・・何を言ったんだ!」
ミズノコは、カッと見開いた目でカズキを凝視しながら言った。
表情とは裏腹に、落ち着いた声で。
「あの人は、私の母親です。かつて犯した過ちについて、ちょっと言っただけです」
「なにを言ったんだ! ええ?」
「あの人は・・・産まれたばかりの私を殺したのです」
ミズノコがなにか非業の死を遂げた霊ではないかとは、心のどこかで恐れていた。
しかしこのような形で改めて知らされると、カズキは愕然とするしかなかった。
そんな彼が立ち直る間もなく、外から甲高い悲鳴が飛んできた。
それがトリガーのようにカズキは鉄砲玉のように外に飛び出し、傘もささずに悲鳴が上がった駐車場へ走る。
そこで見たのは、目を背けたくなるような凄惨な光景だった。
あのお客が連れてきていた子供が、車のリアバンパーの下から上半身を出しながら口から血の泡を吹いていた。
どうやら、そのお客がなにかの不注意で自分の子供を轢いてしまったらしい。
誰もが混乱しオロオロとする中で、カズキはこれはミズノコの仕業に違いないと確信していた。




