(4)ミズノコの不思議な能力
ミズノコ・・・マアヤは「ミズちゃん」と呼んでいるが、一緒に暮らし始てみると思っていた以上に愛らしい子だった。
カフェの営業中は、店の中をチョロチョロと歩き回った。
あまりに天真爛漫な笑顔で愛嬌を振りまくものだから、お客たちはみんな笑顔で喜んだ。
初めは「店の中に入らないように」と注意して奥の茶の間に連れ戻していたカズキとマアヤだったが、お客の反応があまりに良いものだから放っておくことにした。
馴染みの客からは「可愛いねぇ」「賢そうねぇ」の褒め言葉に続き、「ひょっとして預かったの?」と聞かれたりした。
「ええ、まぁ、遠い親戚の子を」と、その度に言葉を濁すマアヤだった。
馴染みでない客からは、「お宅のお子さん?」と聞かれることもあった。
「いえ・・・だったらいいんですけどね」と、マアヤはバツが悪そうに答えた。
子供がほしいと熱望するマアヤにカズキは掛ける言葉がなかったし、彼自身もやはり子供も一緒の生活に憧れていたから彼女の気持ちも痛いほど分かる。
そんなふたりが茶の間でテレビを見ていると、ニュースでまた児童虐待を報じていた。
「どうして・・・子供が欲しくてきっと可愛がれる親たちのところでなくて、あんな親のところに行っちゃうんだろ」
そばに敷いた座布団の上で寝入ってしまったミズノコを優しく撫でながら、マアヤがこぼす。
それは実の親に棄てられた彼女の自分自身に対する問いかもしれず、カズキは押し黙るしかない。
ミズノコはすやすやと可愛い寝息をたてているが、その顔は平和そのものだ。
繊細でつややかな髪の毛を撫でながら、マアヤはつぶやく。
「このままミズちゃん、うちの子になってくれないかな」
それはカズキも、思いは同じだった。
ミズノコがやってくる前にも、「このまま子宝に恵まれなかったら、里子を迎え入れようか」とも真剣に話し合うこともあったふたりだった。
しかし・・・もしミズノコが遺棄された子供だったとして、役所の手続きはどうなるのだろう。
それより警察にはどう説明したらよいのだろう・・・などと、現実的なことが気がかりになってきたこの頃だった。
・・・
しかしやはり、ミズノコはこの世の者ではないと思わざるを得ない場面もあった。
どうやらミズノコは、不思議な力を持っているらしかった。
赤ちゃん連れのお客の中には、子供が泣き止まずにオロオロしたりする親もいた。
子連れ歓迎の店だからカズキたちもさほど迷惑とは思わないが、親は周りに気を遣ってだんだんイライラしてきたりする。
ミズノコはそんな赤ん坊の所に寄っていき、いないいないばあや変顔をしたりする。
するとたちまち赤ん坊は泣き止み、手足をばたつかせて笑うのだった。
あまりの事に、たいていの親は驚いたりキョトンとしてしまう。
けれどもミズノコはもうそれには構わず、縁側で自由帳を広げてお絵かきなどしたりする。
そういえばミズノコは自分と同じくらいの年齢の、3歳か4歳の子供たちと特に親和性が高いようだった。
親たちがおしゃべりに興じている間、縁側に子供たちを集めてお絵かきしたりブロック遊びしたりする。
ミズノコがあまりに笑顔を振りまくからかもしれないが、子供たちはみんな笑顔で遊んでいる。
それでもまれに、乱暴なままの子供もいた。
ある日も、他の子からブロックの玩具を強引に奪って遊ぶ子がいた。
しかもすぐに飽きて、また別の子が遊んでいる玩具を取ろうとした。
その子の親はおしゃべりに夢中で、気が付かない。
マアヤが見かねて、そこへ行って止めようとした。
すると別の子とお絵かきをしていたミズノコが立ち上がり、乱暴な子の肩に手を添えた。
乱暴な子は「なんだおまえ!」とミズノコを向いたが、しかしミズノコはじっと乱暴な子の目を見つめた。
諌めるでもなく、怒るでもなく、ただ無表情に。
ミズノコがあんな人形のような無機質な表情を見せるのを、マアヤは初めて見た。
2秒か3秒、そのままミズノコと乱暴な子はそのまま見つめ合った。
すると乱暴な子は「ふうっ」と息を吐き、初めに放っぽりだしたブロックのところに戻ってひとりで遊び始めた。
表情を取り戻したミズノコは乱暴だった子についていき、笑いながら「ミズちゃんも一緒に遊ぼ」とその子に語りかけたことだった。
驚いたことにその子も「いーよ」と応じ、何やら作り始めた。
そのうちに他の子たちもひとり、またひとりとそこに加わっていった。
そしてついにブロックだけでなく他の玩具も組み合わせて、大きなお城・・・のようなものを完成させた。
子供たちは「やったぁ!」と歓声を上げ、それぞれの親のもとへ「見て、見て!」と知らせにいった。
「わぁ、すごーい!」と親たちも声を上げ、スマホを向けて写真や動画を撮ったりする。
ミズノコは他の子たちと一緒にワイワイとはしゃぎ、一緒に写真や動画に収まったりしていた。
その後ろの方で、カズキとマアヤのふたりだけが不思議なもののようにミズノコを見ていた。
そして、極めつけと言える出来事があった。
カフェには子連れでない客も、それなりに来店した。
その日、ひとりの老人が読書をしながらゆっくりコーヒーを楽しんでいた。
もう何日も雨が降り続き、客室から見る庭もみずみずしく濡れていた。
蛙の歌も聞こえてくる、のんびりとした午後だった。
席も半分以上が空いていて、珍しく静かな時間が流れた。
ミズノコや他の子たちも、絵本を眺めていた。
いちばん年長の子がたどたどしく文字を読み上げ、その声が厨房まで聞こえてきた。
そんななか、異変が起きた。
読書をしていた老人がいきなり苦しみだし、胸を抑えながら畳の上で悶えた。
カズキとマアヤ、それから近くのテーブルにいた女性3人が駆け寄る。
ゼイゼイと息をする老人の顔は真っ青で、呼びかけにも応答できないほど切迫していた。
カズキは慌てて電話に飛びついて、119番する。
「私、看護師です!」と女性客の一人が名乗り出て、老人を介抱するのが電話のところから見えた。
看護師という女性も含め3人がかりで老人を壁際に座らせ、衣類を緩める。
老人の胸元を探っていた女性は「あった! やっぱり!」と、筒型のペンダントのようなものを引っ張り出した。
そこから錠剤のようなものをひとつ取り出し、老人の口をこじ開けて舌の下に押し込んだ。
「この人、たぶん狭心症の発作です。発作に備えて舌下錠を身に着けていました」と看護師は周りに説明する。
しかし老人は若干落ち着いた程度で、なおも苦しそうに息をしている。
顔色も、なかなか良くならない。
「もうしばらく待っても良くならない場合、舌下錠を追加します」
みんな無言で、老人と看護師を見守るように取り囲む。
その隙間を通り抜けて、ミズノコが老人に寄り添った。
「ミズちゃん、やめなさい」
マアヤが止めようとしたが、看護師は何も言わずに老人を前かがみにさせる。
すると、ミズノコが老人の左側の背中に手を当てた。
「大丈夫ですか・・・この子のトラウマにならなきゃいいですけど・・・」
そこで初めて、看護師の女性が不安そうにカズキとマアヤを見上げた。
決してミズノコが邪魔だと言っているのではなく、むしろミズノコを心配していた。
「ミズちゃん、ここは大人に任せて、離れなさい」
マアヤが、ミズノコを老人から引き離そうとした。
しかしミズノコはキッと怖い目つきで返して、なおも老人の背中に手を当て続けていた。
子供も含めて店にいた全員が集まり、誰もが固唾をのんで見守った。
それから数秒間経過し、奇跡が起こった。
「ふぅ〜っ・・・」
老人が深いため息とともに、体を起こした。
額に浮かんだ脂汗を手の甲で拭ったが、顔色は生気を取り戻していた。
「おお〜っ・・・」
全員の嘆息が、一斉に重なった。
その中でミズノコはみんなに「にい〜っ」と笑って見せて、人垣をすり抜けて縁側にトコトコと走っていった。
他の子供達もそれに続き、遊びの続きを始めた。
救急車の音が、近づいてきた。
・・・
老人は、自分で歩いて救急車に乗りこむことができるほどに回復した。
看護師の女性が、付き添いで同行した。
閉店後に、女性は置きっぱなしになっていた車を取りに来た。
子供は一緒に来ていた友人に預けており、これから迎えに行くのだという。
早めの処置が功を奏して、老人は短期間の入院で済みそうだとも聞いた。
偶然この女性が来店してくれていて、本当に良かったと思い感謝した。
この女性の処置がなければ、手遅れになっていた可能性が高いのだ。
その場にいた者の多くは、ミズノコの不思議な力が印象に残ったかもしれないが・・・。
しかし奇妙なことに、この女性はミズノコについてひとつも言及しなかった。
あの時は確かに、『この子のトラウマにならなきゃいいですけど』とミズノコのことを気にかけていたのに。
ただ、それはどうでも良い些細なことにも思われた。
マアヤはお礼にとクッキーの包みを女性に渡し、女性は恐縮しながらそれを受け取って帰っていった。
・・・
その夜、カズキは思わずミズノコを強く叱りつけてしまった。
原因はそれこそつまらないことだったのに、彼はついカッとなってしまった。
どうしてそんなことをしてしまったのか・・・思い当たることが、ある。
ミズノコの不思議な力に対する戸惑い、そしてやはりミズノコはこの世の者ではないのではないかという恐れ、そして不安な気持ちが心のなかにわだかまっていた。
ミズノコは、カフェの客室と納戸とを仕切る襖にいっぱいの大きな落書きをしていた。
彼女が言うところのカミサマ、エビさん、カニさん、カエルさんといった「水の中のお友だち」の絵だった。
彼女が本来住んでいる、この世とは違うまた別の世を描いた絵。
それに不安な思いが増幅されて、思わず怒鳴りつけてしまった。
ミズノコは「ごめんなさい」と泣きながら、マアヤに抱きついた。
マアヤは「いいの、いいの、大丈夫」と言いながらその頭を撫でた。
そして翌朝、ミズノコは姿を消していた。
カズキは自分のせいだとうろたえたが、マアヤは涙を浮かべながらも「きっとすぐにまた戻ってくるよ」と独り言のように呟いた。
「ほら、雨が上がった・・・。また雨が降れば、戻ってくるよ」
そしてエプロンを締めて、一日の準備を始めた。
庭の木々には虹色の水滴が、無数に輝いていた。




