第二部 第三章 中章2
派手に負けたな、修多羅。
「ワン!?」
そうびっくりすることじゃないさ、私はお前の中にいるんだからよ。
「久しぶりに口を開いたと思ったら、説教でもするつもり?」
まぁ説教…みたいなものと思ってくれていい。死んだ人間が、生きた人間に説教するなんて、あいつに怒られそうなものだけど、まぁそれは内緒ってことにしといてよ。
「あいつ?」
気にすんな、少なくとも今はいない人間の話だからな。
「んで、何を話すのよ」
あー、顔を合わせないで話すってのも味がないよな。
「よっと」
「…っ!?」
目の前には白髪の少女がいた。
達観した口調もあり、自分よりも年上だと思ったが、下手したら自分よりも年下だ。
「何驚いてんだ?あぁ、死んだ時の姿だからな。これぐらいが今の姿か?」
ググッと突然体が成長し、高校生の容姿へと変貌する。
「白髪…なのね」
「ん?あぁ、ただのストレスだ。気にすんな」
白髪というよりも、色素が抜けたような感じに似ている。ストレスでここまでなるものなの?こう言っちゃ悪いけど、百道と同じみたいな。
「まぁ改めて、ワンだ。よろしく」
「ええ…っ!?」
握手をしようと手を伸ばすと、手が見事にすり抜けた。
「あちゃ、精神世界でも無理だったか。まぁ、死人だからな」
以前にも言ってたけど、死人なのに何で話せるんだろうか。
「さて、説教と行こうか。何を"躊躇っている"?」
「躊躇っている?私が?」
「うーん、私もそんなに説明得意な方じゃないからなぁ」
うんうんと唸りながら、修多羅の周りをぐるぐるとワンは回る。
「そうだ、何で本気を出さないんだ?」
「出してるわよ。少なくとも、手を抜いて戦ってはない」
「自覚なし…か。うーん、ますます難しいな。こんな時にあいつがいてくれると助かるんだが…」
再びワンは唸りながら、ゆっくりとあたりを歩く。
「恐れているって言えばいいのかな?お前の異能はそんなもんじゃないんだよ。制御するって、能力を制限するってわけじゃないんだ。何だったら、制御後の方がもっと力を出せるはずなんだよ」
「私は異能を使いこなせていないってこと?」
「使いこなせてないというわけじゃない。まだ上があるってことだ」
上?凛みたいに、完全に覚醒してないってことか?いや、まさかーー。
「わかったか?異能は進化するんだよ」
「進…化…」
「選ばれた異能者のみに許されたものであるが、お前は選ばれた側だ。だから、お前の力はそんなものじゃない。引き出している力は二割ってところか、まぁ人間で言えば火事場の力が出せてないってことだ」
たった二割。
そして、八割もの力を持て余しているの?
「これは受け売りだけど、異能ってのは意志力に依存している。つまり、精神状態がダイレクトに異能に現れる。恐れを捨てろとは言わないけど、命を捨てる覚悟はしたほうがいい」
命を捨てる覚悟。
死にたい…、わけではないが、自分の命を惜しんでいるつもりはない。
だが、それが私の限界というわけか。
「具体的にはどうしたらいい」
「まぁ最初は難しいからな、死にかけるのが一番じゃないか?」
死にかける…か。
今の私にできるだろうか、いやそんな悠長なことはきっと言ってられないんだろう。
「まぁそれだけだと流石に薄情だからな」
ワンは静かに構える。
修多羅がしている普段の構え、非天無獄流の構えを。
「…ッ!?」
「いちいち驚くなよ、人の真似をするなんて昔は"必須技能"だったんだよ」
必須技能?
そんな理由で私の拳法を真似できるようなものではない。だけど、それをしたという不思議な説得力がある。昔と言っていたが、こんな化け物がそう易々と生まれているなんて、全くたまったもんじゃない。
「修練ぐらいは付き合うよ、ここではいくら死んでも問題ないからね」
「拳法で私に敵うとでも?」
「何言ってるんだ、これは異能勝負だろ?」
「…は!」
ワンとの苛烈な修練を終え、私は目を覚ます。
あざだらけなのは現実でも変わらないが、血まみれにはなっていないようだ。どうやら、本当に死んでも問題なかったらしい。
「は、凛は!」
隣を確認すると、凛がすうすうと寝息を立てながら寝ていた。
「よかった…、ここは」
波の音が聞こえる。
窓の外を見ると、海が太陽の光を反射していた。どうやら、海の家へと来てしまったようだ。
「お、起きたか。砕破ちゃん」
部屋の向こうから体を少しだけ出す。
美しい赤髪に、綺麗な体躯。
間違いなく、紅さんだ。
「ここ、どこですか?」
「うん?まぁ隠れ家みたいなもんだよ。ちと、東京から離れているけどね」
「隠れ家ですか…」
「うん。ほら、そこに言葉もいるよ」
部屋の隅に言葉は寝ていた。
血色は薄いが、体温はある。
未だ、死んでいるか生きているかわからない。
「何を考えて寝こけているかわからないけど、そっとしておいてくれ。私は母親失格だけど、息子が傷つくのなんて見てられないからね。そうやって寝ている限り、無茶なことはしないだろ」
紅は寂しげな表情を浮かべながら、言葉の顔を見つめる。
「あ、これこれ、ご飯!まだ食べてないでしょ!」
目の前におむすびと漬物が添えられた小皿が置かれる。
「だしおむすびってのを作ってみたんだ。よかったら感想を聞かせてよ、言葉に作らなきゃいけないからさ」
「わかりました、いただきます」
目の前のおにぎりを手づかみ、口の中に入れる。少しずつその形を崩しながら、落とすことなく何とか食べ終わる。
「うまくは言えませんが、美味しかったです」
「そう、よかった」
髪を靡かせながら、紅は外を眺める。
「お腹も膨れたろうし、本題に入ろうか。勝てる見込みはあるのかい?」
「…」
わからない。
自分の天井が見えていても、相手の天井が見えない。
だが、ここで勝てないとも言えない。
「勝て…」
「勝てますよ、私と砕ちゃんなら」
ゆっくりと起き上がりながら、凛は紅を真っ直ぐ見据える。
「というか、勝たなきゃいけない。少なくとも、言ちゃんが頑張ったことをあんなふうに捻じ曲げられたら…」
凛はぎゅっと布団を握りしめる。
「誤魔化してもしょうがないですから言いますが、高く見積もっても五分あるかどうか」
こんな時言葉ならなんていうだろうか。
五分もあればいいって言うかな。
「五分もあればいいじゃない。0じゃないなら、勝てる可能性はあるってことじゃない。何だ、心配して損した」
あまりの楽観ぶりに、私と凛は二人してポカンと鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしてしまった。
「ハハッ、やっぱり言葉の母親じゃないですか」
「そうかい?そう言ってくれると嬉しいな」
紅は目を細めながら、修多羅と凛の頭を撫でる。
「…そろそろか。砕破ちゃん、これを着ていきなさい」
「…わかりました」
衣服を受け取り、身支度を整える。
「大丈夫だよ、今の砕破ちゃんなら勝てるよ」
「ありがとうございます」
海の家の扉を静かに開け、しばらく海岸沿いを歩く。朝日は海を照らし、海面を光らせる。
しばらく歩いていると、向かい側に一人の男の影がさす。
「不知火様にやられたと聞いたが、まさか熱海に先回りするほど元気だったとはな」
熱海か…どうりで海が綺麗だと。
「んで、あんたの名前は?」
「俺か?俺の名前は泗水だ。まぁどうせ死ぬんだから、覚えなくてもいい」
「そう、なら覚えとくよ。でも、私の名前は覚えなくてもいいわよ、どうせ死ぬんだから」
修多羅はいつも通りの所作で、いつものように構える。
だが、ワンとの修練の結果がここで顕著に現れる。
構えるだけで放たれた全身の圧力は鳴りを潜め、その構えには静けさが残った。
それは圧という強さの指標を奪っただけではなく、それを内包したという事実だった。
「さぁ、やりましょう」