第二部 第二章 前章
カラン。
休日でやることがなかったため、いつものように喫茶店の扉を開く。
だが、そこには常連ではなく、知らない人が星華さんと談笑をしていた。
「いらっしゃい、砕ちゃん」
「はい…って、そこの人は誰ですか?」
鮮やかすぎる赤髪に、誰もが振り返るような気品を纏った体躯。まさしく、絶世の美女だった。
「お、君が砕破ちゃんか。隣に座りな」
「は、はい」
何というか、圧をかけてくるわけではないのに、言葉だけで人を動かしてしまうような不思議な力を感じた。
まるで、言葉の《言霊》だ。
「誰…と言ったな、砕破ちゃん。私の名前は紅、歴木紅だ」
「歴木…って、まさか」
「あぁ言葉のーー母親だよ」
言われてみれば、確かに目元が少し似ている気もする。――いや、気のせいだろうか。
「ここで世話になってるって聞いてね、母親としては挨拶しなきゃと思ってさ」
「そう…ですか。私は言葉を…」
「気にすんな、私が一番何もできなかったんだから」
フッと自嘲するように笑い、誤魔化すようにコーヒーを飲む。
「言ちゃんから聞いてたけど、病気で寝込んでいたんじゃないんですか?」
「病気なんて、唐突に治るもんなんですよ」
さらりと当然のことかのように言う。
「さて、今は言葉はどこにいるんだい?」
「今は…暮らしてた家のベッドへと寝かせています」
「ん?あの子、死んだんじゃないのか?」
「それが…臓器は何も動いていないのに、体が妙に暖かくて」
「成程…まぁ色々不思議はあるもんだよな」
コーヒーを一気に飲み干し、紅は勢いよく立ち上がる。
「だったら、お見舞いに行くとするかね」
お金をカップの横に置き、ゆっくりと出口へと向かう。扉に手をかけ、紅は首だけを後ろに向ける。
「美味かった、またくるよ」
まるでドラマのワンシーンのようだった。
……病気の前は、女優でもやっていたのかもしれない。
「言ちゃんと同じで優しそうな人ね」
「優しいというよりも、圧倒という感じが強いですかね」
容姿、言葉、動作。
全てに魅了されていた。
見逃すことが許されず、魅入られることしかできなかった。
「そういえば、闘華さんはどこに行ったんですか?」
「識ちゃんとドライブに行くって言ってたわよ。寧々ちゃんも朽網さんも基本遊びに行かないから、見るに見かねてね」
闘華さんはグルメであるらしく、界隈では有名なレビュアーらしい。言葉曰く、1日で胃がはち切れるほど食わされるらしく、識ちゃんの前途を祈らずにはいられない。
「無茶…させないですよね」
「散々言い含めてるから、大丈夫だと思うけどねぇ」
基本世話を焼きたい人だから、色々食わせたりするんだろうな。
「砕ちゃんは今日は休みなの?」
「はい、一旦落ち着いたようで」
粛清軍は異能狩りの中でもかなりの組織だったらしく、そこが潰されたとあって、ここ一週間はおとなしい。
「そう、ならゆっくりしていってね」
「はい」
差し出されたカフェオレを飲み、穏やかな時間は過ぎていく。
こうやって、何もない日々が過ぎればいいと思う。
「そういえば、凛は何をしているんだろう」
カフェオレを飲みながら、私は親友へと思いを馳せる。
「…言葉」
家へと入り、ベッドに横たわる言葉を眺める。
血色はなく、死んでいると言ってもいい。
だが、死後硬直もしておらず、僅かに温もりが残っている。
「当然だけど、今度はお前が寝る番か」
全く、世界を救って自分を殺すなんて。
親不孝ここに極まれりだ。
「お前に生きて欲しくて、私は寝ていたんだけどな」
こんなの死んでるのと同じようなもの。
いや、死んでいる方がまだマシだ。
「こんな世界…壊した方がいいのか?」
息子に全責任を負わせ、壊れ続ける世界なんて。
そんな乱暴な思考がよぎる。
だが、それを実行に移すことはできない。
「こんなになっても、お前が守ろうとした世界だもんな」
頬を触り、頭を撫でる。
だが、反応は一切返ってこない。
ポケットからトランシーバーを出し、音声を再生させる。
日々の雑談の録音が終わった後、数秒の沈黙のあり、音声が再び流れる。
「母さん…俺に何かあればこれを聞いているだろう。もしかしたら、母さん以外の誰かかもしれないけど。とりあえず、これを持っている人間に全てを託す。何かあればこの続きを再生してくれ。俺に"何か"あっても、"強制的"に叩き起こすことができる言霊を残しておいた。だから、何かあれば呼んでくれ」
こんなもの呪いと何ら変わりがない。
死んでいないだけで、生きながらえさせて、戦うと言っている。
「…何であろうと、私は起こさない。これを持っている限り、言葉を起こさせはしない」
ふざけている。
私の息子は戦闘機械でも何でもない。
「…ッ」
防ぐにはこれを壊せばいい。
だけど…言葉の声が聞ける唯一のものだ。
「私は…私はどうしたらいいんだ」
紅は言葉を前にして、ただ項垂れるしかなかった。




