第四章 後章2
何分――いや、何時間が経ったのだろうか。
俺は、あれからずっと――**“受ける側”**だった。
殴られ、蹴られ、投げられ、折られ。
腕が、脚が、肋が、首が。
何度も。何十回も。壊されては、再生した。
貫地谷は笑いながら、それを繰り返す。
俺の体が“軽微な損壊なら即座に再生する”と知っているからこそ、壊れないおもちゃとして、延々と、執拗に。
「ヒャハハハ! こうなっちまえば、異能者も形なしだなぁッ!」
ゴキィッ!
鈍い音とともに、頭部に蹴りが叩き込まれた。
首が、直角に折れる。
「何が“異能者”だよ……ただの! ストレス! 発散用の! おもちゃじゃねぇかよぉッ!」
言葉に合わせて、リズムよく骨が砕かれていく。
まるで楽器を叩くように。
まるで――音楽を奏でるかのように。
「……っ……!」
耐える。叫びも、息も、血も、喉に押し込めながら。
「いいねぇ、実に鬱陶しい。
そこまでされて、そんな姿になって、まだ闘志を失わない。……そういうとこが、一番気に食わねぇんだよ!」
痛い。痛い。痛い。
骨が折れる痛み。
内臓が裂ける痛み。
再生されて、また砕かれる痛み。
――痛すぎて、もはや“痛い”以外の感情が、追いつかない。
でも、それがどうした。
関係ない。
「ほらほらぁ、どうしたぁ? なあ、“異能殺し”さんよぉ!反撃してみろよォ!? なぁ!? できねぇのかァッ!」
ドガッ!
腹部に蹴りが叩き込まれ、身体が宙を舞う。
そのまま背中から地面に叩きつけられた。
「……がっ、……カハッ……!」
喉から血が滲む。吐息が詰まる。
「はっ、いいご身分だなぁ? 一丁前に“痛み”を感じてやがる。人間でもねぇ癖によ、人間ヅラしてんじゃねぇぞ!」
「言ちゃん! 私のことは……いいから!」
縛られた凛の声が、必死に響く。
「黙ってろ……!」
呻くような声で、俺はそれを制する。
「……いいんだ。お前のせいじゃねぇよ」
その一言に、凛の目が大きく見開かれる。
「ヒャハハッ、出た出た!そういうの、“愚者”って言うんだぜぇ? でも、ここまで徹底すると――もはや立派だな、オイ!」
貫地谷の足が振り抜かれる。
グシャリ。
顔面が陥没する音がした。
鼻も、頬骨も、前頭葉も――全部、潰れた。
頭が弾け、血と脳漿が隙間からドロドロと流れ出す。肉と骨と器官の境界線が、消えていた。
「言ちゃん!? 言ちゃん!! ねぇ、ねぇってば、返事してよ!!」
凛の声が、喉を裂くように響く。
「きゃあきゃあと――やかましいんだよ」
貫地谷が、面倒そうに振り返る。
「どうせこいつは生き返るんだ。
だから、おとなしく――黙って、見てろ」
その目は、何の躊躇いもなかった。
まるで、命を消耗品としか思っていない様に。
「……たしの、せいで……」
「……あん? なんだって?」
貫地谷が聞き返すが、凛はもう聞いていない。
「……私のせいで……砕ちゃんが……
私のせいで……言ちゃんが……
私のせいで、私のせいで、私のせいでぇ……!」
ドクン、ドクン。
心臓が、速くなる。
まるで――全力で走っている時のように。
でも、身体は動いていない。
なのに――拍動は、どんどん速くなる。
「私のせいで……私のせいで……私のせいで――!」
ドクン!
一際大きな鼓動が、胸を突き破るように鳴り響いた。
そして。
凛は――そのまま、意識を失った。
崩れ落ちるように、うなだれた身体。
けれど、その周囲に、かすかに揺れる“何か”があった。
空気が震える。
重力が歪む。
始まりの音が、静かに、鳴った。
「……あ、あぁ。いい気分。うん、本当に――清々しい。」
凛が、ぽつりと呟く。
その顔には、怯えも、悲しみも、怒りもなかった。
ただ――不気味なほど、静かで、冷たい“笑み”だけが浮かんでいた。
「は、はぁ? お前……何を言って――」
ブチィン!
乾いた音が、空気を裂いた。
凛を縛っていたはずのロープが――音もなく、バラバラに崩れ落ちる。
「……な、っ……おま、お前、まさか……」
「ん? ああ、そのまさか、よ」
凛は、首を傾げるように笑う。
「実に、清々しい気分――体が、軽いの」
「はっ、覚醒したてのガキが……俺に勝てるとでも思ってんのかよ?」
「思う、じゃないよ」
凛の声が、すっと冷える。
「できる、って言ってるの」
「……なめやがって!! なら――これを避けてみろやァ!!
――《爪撃》ッ!!」
貫地谷の腕が振るわれる。
その異能は、爪がなぞった軌跡を斬撃として飛ばす能力。鋼鉄も断つその爪撃が、空を裂き――凛に向けて一直線に迫る。
だが、その斬撃はすべて、凛には届かなかった。
まるで見えない手で逸らされたかのようにすべてが、明後日の方向へと弾かれていた
「私を中心として、展開できる盾。名前は円盾ってところかな」
「た、盾だと?な、舐めやがって。これでも喰らえ!」
両腕を振り下ろし、十の爪撃が円盾へと向かう。しかし、柔軟性を持ったその盾は斬撃を軽々と弾く。
「……終わり?」
凛は、ほんの少しだけ、手を上げた。
「じゃあ、こっちの番だね――展開。」
ドンッ!
見えない“盾”の境界が一気に広がる。
貫地谷の体が、目に見えぬ力に吹き飛ばされ、
工場の壁へと叩きつけられた。
「ぐっ……ああっ……な、なんでだ……!
言葉の奴は……どこにも移動してないのに、なんで……!」
「当たり前じゃん」
凛は、くすっと笑ってみせた。
「私の盾なんだよ。だったら――**“守る相手”を、選べるに決まってるでしょ?」
「ま、待てっ……このままじゃ、テメェは殺人犯だぞ……っ!」
貫地谷が、壁に押しつけられながら喘ぐように言う。
「こ、言葉は……そんなこと、望んじゃいねぇ……だろ……?」
声が震わせながら、必死に哀願する。
凛の眉が、わずかに歪む。
「……なんで、そこで言ちゃんが出てくるの?」
静かな声だった。
だが、その声音の奥にあるものは――怒りだった。
「これは、私が選んでること。“言ちゃん”の意思じゃない。私の意思で、私が“決めた”のよ。」
その瞬間――
ギチギチギチ……ッ!
空気が、ひずむ。
盾の力が展開し、貫地谷をさらに締め上げていく。骨がきしむ音が、音圧のように響いた。
「や、やめろっ……やめ……やめてくれぇッ……!」
「言ちゃんを――ズタズタにしたことは、絶対に許さないッ!!」
凛の声が、はじめて怒りに染まった。彼女の異能が“守るため”の力から、“裁くため”の力に変わりかけた――その時。
「――やめろ、凛ッ!!」
その声が、空間を引き裂いた。まるで、神経に電気を流されたように、凛の身体がピクリと反応する。
「……っ!」
振り返る。
そこには――
全身を血と泥に塗れながらも、確かに立ち上がった“言葉”がいた。
「……やめろよ」
立ち上がった言葉の声は、掠れていた。
けれど、その言葉に、空気が凍る。
「やめろよ……なんでだよ……」
震える手が宙を掴む。
「……お前まで……お前まで、なんで……なんで“異能者”になってんだよ!!」
凛の目が揺れる。
その声に、怒りと悲しみと――
どうしようもない絶望が混ざっていた。
「どうしてだよ……ッ!」
言葉が、吠えるように叫んだ。
「俺は……お前みたいなやつを出さないために!
お前みたいな普通の人間が、絶望して、壊れて、殺されることがないように!だから俺は……身を削って!命を削って!戦ってるってのに!」
拳を何度も叩きつける。
地面が裂けても、指の骨が砕けても、止まらない。
凛の声が、かすかに届いた。
「違うよ……私が、選んだんだよ。
“異能になること”を……自分で、選んだの」
「……違う」
声が、震える。
「違うんだよ、それは……選ばされたんだよ。
……俺が、選ばせたんだ。俺が……俺が、そう仕向けたんだ……ッ!!」
言葉の肩が震える。
「全部、俺のせいだ……
俺が……お前を守れなかったから……
守ったつもりで、守った気になってただけで……結局、お前に、選択させちまったんだよ……!!」
凛は、静かに膝を折った。
そして、震える言葉の背に――そっと手を添えた。
「……そうだよ」
その声は、まるで、諦めでも責めでもなかった。
ただ――事実を認める、やさしい声だった。
「私は、守られてた。ずっと……言ちゃんに」
「……っ」
「でもね、守られるだけじゃ、生きられないんだよ。誰かが命を懸けてくれるのを、ただ見てるだけじゃ“誰かが壊れるのを、見ていく世界”を変えられない」
静かに、言葉の背中に、もう一度手を置く。
「だから、私は選んだの。“守られてるだけの私”を、終わらせるって」
その手が、あたたかい。
その声が、痛かった。
そして――なにより、救いのようだった。
「ちくしょう、ちくしょう」
俺はただ赤子のように泣き続けることしかできなかった。
「はん、感動ドラマなら勝手にやってろっての」
工場を一人抜けて、山道をひたすら駆け降りる。
「次だ。次で確実に、あいつを殺して見せる」
「次なんてないよ」
ドシュッ!
「え?」
下を見るとそこには心臓があった。
「それ…俺の」
そう言って、貫地谷は静かに死んだ。
「はぁーあ、ったく所詮はこの程度だったか。まぁ、なーんの期待もしてなかったけどね」
頭をボリボリと掻きながら、百道はつぶやく。
「あの男が異能殺しか。今回はか、かん、かんじ、まぁいいや。能無し君のおかげで見られなかったけど、女の子の方も強いみたいだし、張り合いがありそうだね」
心臓を握りつぶし、血を木にベッタリとなすりつける。
「さぁてと、帰って実験の続きでもしようっと」