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異能奇譚  作者: レム睡眠
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第一章 前章 1

「……んが」

重たい瞼を無理やりこじ開けた瞬間、まず飛び込んできたのは、薄暗くなった教室だった。窓の外はすっかり夜。

無人の教室にただ椅子と机が並び、静寂だけがぴたりと張り詰めている。

ぼんやりと視線を上げ、教室の時計を見やる。

短針は……夜の七時を指していた。

一気に眠気が吹き飛ぶ。放課後どころか、完全に夜だ。目を閉じたのが何時だったかは覚えていない。周囲を慌てて見回すと、教卓の近く──そこに、一人座っている少女がいた。

長い黒髪に、鋭い目つき。制服の上からでも隠しきれない研ぎ澄まされた雰囲気。

本を静かに開きながら、まるで待つことなど当然だとでも言うように、悠然とそこに座っていた。

「お、おはよう。修多羅(すたら)

「おそよう、言葉」

視線を上げることなく、修多羅は短く応えた。

相変わらずぶっきらぼうな返しだ。

だがそれが、どこか安心する。

(……3時間以上、待たせた)

なぜ起こしてくれなかったのかという疑問を投げかけたいが、──言葉に出すのをやめた。

俺がアラームもかけずに爆睡してたのが悪い。

そしてなにより、起きていればそんな議論は不要だ。

「よく寝るわね、また仕事?」

「そうそう、ちょいと大変でな」

「月に一度しか登校できないような仕事をちょっとで済ますとわね。流石、空前絶後の不良ね」

「そう聞くと、超弩級の問題児みたいだな」

「あってるじゃない」

俺、歴木言葉(くぬぎことは)の学校での評価は不良だ。月に一度という極端な登校頻度に加えて、授業中は寝て過ごし、目覚めるのは放課後という馬鹿げだ生活態度だ。そんな日常を送っているが、成績はいつもど真ん中というあり得ない事象を起こしている。つまり、成績を出している以上ある一定の評価は下さねばならないという教師からすると超がつくほど気に食わない生徒だ。そのため、心ばかりの反抗として、学校中に「歴木言葉は不良であり、このような生徒になることを禁ずる」なんてお触れを出すぐらいだ。やり口が完全に江戸時代なんだよな。

「あなたみたいなのを厄介だっていうのよ」

「厄介ねぇ。つまり、あんなことを言っているのは厄介払いをしたいってことなのかね」

「厄介払いどころか怨敵退散ってところじゃない?」

修多羅は読書をしながらぶっきらぼうに答える。

修多羅砕破(すたらさいは)は読書家だ。と言ってもそれは最近仲間入りした話であり、中学ではバリバリの運動家だった。それも空手という日本の武道の代表例みたいなものをやっており、それで世界大会の2連覇を果たしている。三連覇を嘱望されていた彼女だが、市内大会で歴史的黒星を味わったらしく、引退を余儀なくされたらしい。故に、高校に上がってから彼女は読書家に転向したのだ。

「今なに読んでいるんだ?」

「英雄の証明っていう本よ」

「エーユーノショーメイ、どんな内容なんだ?」

「あなた本を読まないのね。それとも、本屋に行かないだけなのかしら。これ、本屋大賞に選ばれるほど有名な作品なのだけれど」

「え、そうなの?」

『第三十回本屋大賞受賞!賛否激論を巻き起こした空前絶後の問題作!さぁ、あなたも論者になりたまえ!』

現代の高校生らしくスマホを操作して調べたのはいいものの、ここまで調べたことを後悔するようなものは見たことがない。

なんだこの文言は。出版会社の広報担当はイかれてんのか。

「賛否激論って書いてあるけど、修多羅はどっち側なんだ?」

「どっち側なんて失礼な聞き方ね。もちろん否の方よ」

「は?ひ?」

「ふへほ」

典型的なボケをかましてきた。そんなキャラじゃないのに。

「いやじゃなくて、どうして否定側なのに本を読んでいるんだよ」

「肯定したいからよ」

即答だった。

「これは持論だけど、本やアニメなどの作品群を見るにあたって、人ってのは一定の面白さを求める。だけど、私はその作品群に対して面白さを期待しているのではなく、私自身が面白いと感じる感性に期待をしている。つまり、否定をしているということは、その作品がつまらないと思っているということは、私自身の感受性がないと認めることになることだからよ」

「だから、読んでいると」

「ええ、かれこれ86周目じゃないかしら」

言い方として二、三周はあり得たと思っていたが、そんなものはとっくに過ぎていたようだ。

「そこまで読んでいるってことは、少なくともつまらないってことはなさそうだな。どんな内容なんだ?」

「普通よ。神話や伝記みたいな御伽話の話で、化物を主人公が退治する話」

「ありきたりだな」

ありきたりというよりもチープだ。これだけなら俺も否定派だ。

「まぁね。でもここからよ、この作品の問題点は。こういう作品のテンプレとして、ラスボスを倒したから英雄になるんじゃなくて、ラスボスを倒したから英雄と決定づけられるが多い。でも、これの場合は最初から最後まで徹頭徹尾英雄と認められないのよ」

英雄と見られないから、英雄と決定づけられない。力と名声の両方たり得なければ英雄ではないと言いたいわけか。なるほど、痛烈な批判だ。

「作者は英雄的思想や英雄的行動を愚かだと言いたいのよ。国とか世界とか他人とかを救うために命を賭けられるなんて、ただの自殺志願者であり、愚者と断言できるとね」

「随分と捻くれた思想だな。まぁわからなくもないけどな。んで、なんで修多羅は否定側の人間なんだ?」

「作者が英雄に憧れていると思うからよ」

「は?英雄を批判しているんじゃないのかよ」

「嫉妬をしているのよ。強い憧れを抱いているのに、自分では決して成れないという諦観を感じるのよ」

捻くれた思想ではなく、捻くれた人格像というわけか。

「哲学的というか、小説らしからぬ本だな」

「何を言っているのよ。小説ってのはそういうものよ」

ヒューと夜風が教室を抜け、彼女の長い髪を靡かせる。改めて見ると修多羅は美人だ。身内の贔屓目と言えばそれまでだが、本を読んで俯いてなければマドンナ的存在まで認知を広げていたのではないかと思う。

「へーい、そこのお二人さん!何してるの!」

「久しぶり、凛」

「みんなご存知凛ちゃんだよ!」

バーンという効果音が聞こえそうな決めポーズを決める彼女は勾金凛(まがりかねりん)。修多羅の友人らしく、最近仲良くなった友達だ。

「陸部の帰りか?」

「そうそう、大会近いからこの時間まで練習してんの」

「そう、あまり無茶しないでね」

「大丈夫だよ!私頑丈だからね!」

確かに凛の足は鍛え上げられてとてもいい。足が決して太くないため、あまり鍛えられていないと思われるが、彼女の足はとてもいい。

「こんな時間まで本を読むなんて、サイちゃんは本当に本が好きなんだね」

「やることがないだけよ」

「でもさ、好きなことがあるって、いいことじゃない? 本って静かだし、落ち着くし」

「……まあ、そうね」

凛の明るい声に、修多羅がふっと小さく笑う。

その笑みを見て、俺は少しだけ胸の奥がむず痒くなる。

「……ふたりとも、仲良くなったんだな」

何気なく口にした言葉に、凛がぱっと顔を上げる。

「え、なに? 嫉妬?」

「いやいや、誰がだよ」

「ほら〜、言葉くんってば~、ほんとは寂しがり屋なんでしょ〜?」

からかうように笑う凛に、思わず苦笑いが漏れた。

「寂しがり屋って柄じゃないだろ、俺は」

「そう? でも、サイちゃんのことよく見てるし」

「観察だよ、観察。職業柄な」

「怪しい仕事だなぁ〜……ほんとに何の仕事してるの?」

「それは国家機密なんで」

「えー、うそだ〜」

冗談半分の応酬が続く中で、修多羅は黙って本を閉じた。

それに気づいた凛が目を丸くする。

「サイちゃん、どうしたの?」

「……いい加減、図書室に返さないと。期間すぎてるし」

「もう夜だけど、まだ開いてるの?」

「職員室前に返却ボックスがあるわ。ついでに、部室にも寄っていく」

そう言って立ち上がる彼女の横顔は、どこか柔らかかった。

以前の修多羅砕破なら、こんなふうに誰かと日常会話をして、冗談を交わすなんて考えられなかった。

「……じゃあ、俺はそろそろ帰るわ」

「もう? せっかく目が覚めたのに」

「目は覚めたけど、体はまだ半分寝てるからな。

それに、お邪魔虫になるのもアレだし」

「お邪魔虫って……何それ、誰もそんなこと思ってないよ?」

「気にすんな。俺の問題だからさ」

荷物をまとめ、立ち上がる。教室の扉へ向かう途中で、ふと足を止めた。

「──なぁ、修多羅」

「なに?」

「その本、読み終えたら……俺にも貸してくれよ」

「……いいけど、途中で投げ出すようなら、容赦なく殴るわよ」

「そのときは、せいぜい加減してくれ」

笑いながら手を振る。

ふたりの返事を背に受けながら、夜の廊下をゆっくり歩き出した。

──夜風が、まだ少し肌寒い。

けれど、教室に残った二人の声が、遠くからほんのりと聞こえてきて、少しだけ、心が温かくなった。

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