第三章 前章1
屋上から教室へ戻ると、そこにはもう誰もいなかった。机の上に置いていたはずの荷物もなくなっている。終業式が終わり、みんな家路についたのだろう。
静寂。
まるでこの世界に、自分だけが取り残されたかのような錯覚すら覚える。
そんな空気を、低い声が切り裂いた。
「お前が、『異能殺し』だな」
「……誰だ」
視線を向けると、教室の入り口に一人の男が立っていた。
背は俺より遥かに高く、筋肉質な巨体が圧を伴って迫ってくる。
「ハハ、否定はしねぇんだなぁ。潔くて助かるよぉ。俺は四皇子。百道様の命令でお前を殺すぅ」
「……殺すとか言われてもな」
そんな宣言をされたところで、どう返せばいいのか分からない。
「じゃ、殺すわ」
言葉と同時に、空間が裂けるような音。
振りかぶられた腕が、空気を切り裂く軌跡を描いた。
ビュン!
「……何を」
視界が揺れ、天井と黒板が逆さまになる。
次の瞬間、俺の胴体が視界に映った。
「は?」
転がる感覚。俺の首が、教室の床を転がった。
「ハッハ、なんだよ異能殺しって。案外、簡単に死ぬじゃんかぁ」
「『止まれ』」
声が響いた瞬間、四皇子の動きがピタリと止まった。
「な、なんで……首、落ちたはず……なのに……」
俺は無言で首を拾い上げ、胴体に接合させる。
すう、と馴染むように繋がり、首の可動が戻る。
「油断して異能を晒すかと思ったが、やっぱり甘くはなかったか」
俺は軽く首を回す。骨が鳴る音が、静寂に響いた。
「……とりあえず、場所を変えるか」
「なに──」
「『吹っ飛べ』」
次の瞬間、教室の天井が爆音とともに砕け、四皇子の巨体が文字通り吹き飛んだ。
重力を無視したような力が、そいつを一直線に空へと放り上げていく。破片が舞う教室で、俺は小さく息を吐いた。懐から銃を取り出し、銃口を四皇子へと向ける。
「…死」
引き金を引こうとした瞬間、異変に気づいた。
「糸?」
銃全体に、いつの間にか無数の細い糸が絡みついていた。動かない。トリガーが、まるで接着されたかのように硬直している。
「少しびっくりしたが、空中にいるのも存外悪くねぇなぁ!」
空中で大の字になりながら、四皇子が楽しそうに笑う。
「……っ!」
嫌な予感が背筋を這う。俺は予感を信じ、窓へと突っ込む。教室の窓ガラスをぶち破り、俺は校庭へと飛び出した。
空から振り下ろされる、両腕。
次の瞬間ーー。
両手から伸びる糸が容赦なく校舎を細切れにする。
「…いい判断をするじゃないか」
見上げると、四皇子が蜘蛛のように糸を張り、空中で宙吊りになっている。
「もうわかっていると思うけどぉ、僕の異能は《操糸》。こうやって糸を操って、殺すんだよ!」
いつのまに捕っていたのか、四方八方から糸で操られた椅子や教卓が迫ってくる。
「空中だから逃げ場がないよねぇ、このまま押し潰れろ!」
絶体絶命の最中、言葉は冷静に言葉を紡ぐ。
「『吹っ飛べ』」
言霊で自らを射出し、四皇子との間合いを一気に詰める。
「なっ、そんな器用な──」
「借りるぞ、修多羅。『非天無獄流亜式・風車』」
遠心力で強引に糸から引きちぎり、四皇子の体を渾身の投げで校庭へと叩きつける──
……はずだった。
だが、その巨体は地面すれすれで、糸によってピタリと静止する。
「危ない危ない、間一髪ぅ」
「なら、ダメ押しだ。『吹っ飛べ』」
言霊の衝撃が、容赦なく襲いかかる。
張り巡らされていた糸ごと、四皇子は地面へと叩き落とす。
「いやぁ、負けたなぁ。いやぁ、負けた負けたぁ」
血を口の端に滲ませながら、四皇子は敗北を宣言する。
「潔くて助かる。そのまま殺してやるよ」
「いやぁ、賭けに負けた……俺一人で勝てる、っていう賭けに」
「つぶれ──」
言霊を放とうとした瞬間、横から激しい衝撃が頬に走った。
「っぐ──!」
蹴り。直後、俺の体は無防備なまま、矢が放たれるような勢いで校舎へと激突する。
瓦礫を押し除け、血混じりの痰を吐きながら、敵の姿を睨む。
「……ちっ、二人目かよ」
その場に降り立ったのは、細身の女。
長い脚でバランスをとりながら、ニヤリと笑う。
「こんにちはぁ、相馬っちゅうもんです。よろしゅうな?」
「俺、少し休むからぁ……相馬、頼んだぁ」
「……あんだけ調子こいとったくせに、あたしに丸投げかいな。まぁ、ええけど」
──次の瞬間、姿が消える。
「っ──!」
視界の端、異変。
気づいたときにはもう遅かった。
「あんさん、遅いなぁ」
声とともに、目の前に女が現れ、膝蹴りが顔面にめり込む。
ガツン!!
意識が飛びそうになる。さらに──。
「ついでにくらっていき!」
ドロップキック。
体ごと吹き飛び、向かいの校舎の壁へと激突する。
「っくそ……めちゃくちゃしやがる……!」
朦朧とする視界の中で、何かが迫ってくるのが見えた。
──椅子?
「ウッソだろッ!?」
咄嗟に教室へと飛び込む。椅子は紙一重で回避したが──。
ガン!ガン!ガン!
次の瞬間、向かい側の校舎から、無数の椅子が弾丸のように襲いかかってくる。
「どんな異能だよ……めちゃくちゃだろ……!」
椅子の嵐を縫うように走り、渡り廊下へと駆け出す。
視線の先、相馬の姿を捉えた瞬間──
蹴りが、腹を貫いた。
「──ッ……!」
「私の異能は《加速》ゆうてな。あたしが触ったモンには、自分のスピードをどばっと乗せられんねん。つまり、蹴るのはめっちゃ速い、蹴ったものはぶっ飛ぶ、そういうことやんな」
「人の腹貫いて……能力解説か、随分と余裕だな」
「それじゃ、もうい──あれ? 抜けへん」
腹を貫いたまま、相馬が眉をひそめる。
「いい男はな、別嬪を逃さねぇもんらしいぜ」
腹筋に全力で力を込める。同時に両腕で相馬の足をがっちりと掴み、引き抜こうとする動きに逆らう。
「へぇ、根性あるやん。……ほな、あんさんごと、どっかに叩きつけるだけや」
ビュン!
次の瞬間、世界が一気にブレた。
──視界が流れる。音が消える。風圧で頬が裂けそうだ。
背後にあるのは、先ほどの戦闘でえぐれたままのコンクリ壁。そこから突き出た剥き出しの鉄筋。
「このスピード……あんたも、ただじゃすまねぇだろ」
「何を──」
「『吹っ飛べ』」
言霊が炸裂した直後、反動で俺の体がわずかにズレる。
しかし、落下の角度は変えることできず、脇腹を鉄筋が抉る。
「──っぐ……!」
一方の相馬は、放たれた勢いを制御できず、四方八方の壁にぶつかりながら弾かれ、瓦礫の中へと沈んでいった。
静寂。
風だけが校舎を吹き抜ける。
「……てぇな」
あまりの痛みに、俺は顔をしかめる。
痛みに悶えながらも、鉄筋を雑に引き抜く。
……ブシュッ。
血が吹き出し、ボトボトと血が流れていく。
「『治れ』」
時間が逆行するように、血が体へと収まり、体の穴は綺麗に消える。
「はぁ、はぁ……やるやないか、あんさん。おかげで……肋骨、何本か逝ったわ」
瓦礫の中から、苦しげに息を吐きながら、相馬が起き上がる。口元は血まみれだが、笑っていた。
「そのまま死んでくれると、助かるんだけどな……」
……視界の端が、黒く滲んでいく。
ここで倒れたら、終わりだ。
集中を切らすな。まだ、終わってねぇ。
「ほいじゃ、二人でいこか。四皇子」
呼応するかのように、後ろからぬっと四皇子が出てくる。
「そうだねぇ、二人でやろうぅ」
「ちっ、めんどくせぇ」