第二章 中章3 修正版続き
雄也の部屋を後にすると、時間は夜の9時を過ぎていた。
「徹夜するか」
俺は携帯で送られた仮説のデータを注視しながら、ふらふらと街を歩いた。
『物理的情報が一切無く、殺された人にも共通項が存在しない。目に見えない何かによって操作の疑いあり』
文書の文字列を目で追っていたとき。
ドンッ。
人にぶつかってしまい、俺は思わず尻餅をついた。
「…すいません!」
咄嗟に謝る。しかし、
「…………」
相手は立ち止まりもせず、何も言わずにそのまま歩き去っていった。
まるでこちらの存在が視界に入っていないかのように。
「……歩きスマホは危ないな」
そう反省して、俺はスマホをポケットにしまう。
「……晩飯でも食うか」
そう思ってスマホをしまい、近くのファミレスチェーンへと足を向けかけた――その時だった。
視界の端、異様な“密”を感じて立ち止まる。
「……なんだ? あれ……」
通りの先。
高層ビルの前に、人だかりができていた。
何かに吸い寄せられるように、群衆がビルを見上げている。
「……っ! まさか……!」
嫌な予感が脳を貫く。
思わずビルの屋上に視線を移す。
――そこに、いた。
柵の向こう。今にも落ちそうな位置に、誰かが立っていた。
「チッ……もう次が来るのかよ!」
思考より先に体が動いた。
咄嗟に走り出し、信号など構わず交差点を突っ切る。
「おい危ない!」「信号見ろバカ!」
罵声が背後から飛んでくる。
だが今、そんなものに耳を貸している暇はない。
「どうする……どうしたら……」
街中で《異能》を使えば、一般人に知られるリスクがある。
かといって、あの高さから飛び降りたら、即死は確実だ。
この場で階段をのぼってる時間は――ない。
足が止まる。思考が煮詰まる。
「……間に合うか、こんなんで」
頭の奥で警鐘が鳴り響いていた。
「チッ、思案してる時間が惜しい。……リスクはあるが、やるしかない」
即座に踵を返し、ビルの裏手へと走る。
周囲に誰もいないことを確認すると――
「――『吹っ飛べ!』」
言霊を、自分自身に叩きつける。
ドンッ! と空気を弾いた音と共に、身体が跳ね上がる。
細かな調整は利かない。それでも――階段を上るより、はるかに速い。
もう一度。
「『吹っ飛べ!』」
屋上を目指し、言葉を重ねる。
異能を使えば、位置は悟られるかもしれない。
だが今は、時間の猶予が命取りになる。
――そして、三発目の言霊で、ようやく屋上の端にたどり着いた。
「……間に合った、か……」
屋上の端。
そこに、人影はあったが、まだ飛び降りてははなかった。
胸をなで下ろす余裕もないまま、周囲を素早く見渡す。
だが――誰もいない。
「……やはり、“直接”操ってるわけじゃないのか」
乙金の仮説が頭をよぎる。
目に見えぬ“影”が、どこかで動いている。
けれど、それを追っている暇はない。
俺はまっすぐ、その人影に向かって手を伸ばす。
「おい、あんた!そんなところにいたら危ねぇぞ! 死にたいのかよ!」
すると、男は――
勢いよく、異様な速さで、首だけをこちらに向けた。
まるで、人形のような関節の動き。
その目が俺を捉えた瞬間、口が開く。
「死にたいんですよ。僕は」
ゾクリ、と背筋を冷たいものが這い上がる。
その声には、怒りも、悲しみも、苦しみもなかった。
ただ――空っぽだった。
無軌道に。
無感情に。
無関心に。
「死にたい」と、それだけを口にする。
俺は思わず、言葉を失っていた。
「だ、だったら――そこから引きずり出してやる!」
声を張りながら、俺は屋上の柵を乗り越える。
風が強い。足場は細く、下を見れば吸い込まれそうな夜の闇が広がっている。
ジリ……ジリ……と慎重に近づく。
うまくバランスをとりながら、ようやく男の横へとたどり着いた。
「おい、おっさん。とりあえず帰るぞ」
そう言って、手を伸ばした――その瞬間だった。
「……引っかかったな」
「……は?」
男の表情は、変わらない。
ただ、口元だけがわずかに、冷たく吊り上がった。
男の手が、俺の手首を掴む。
次の瞬間――
ズンッ!
重力がひっくり返る感覚。
「――ッ!?」
視界が反転した。
地面が迫る。風がうなりをあげて鼓膜を突き破る。
男が俺を巻き込んで――ビルから飛び降りた。
「諸共殺す気か。意地が悪いにも程がある」
飛び降りても俺は復活するが、それは異能に関する情報じゃないから記憶処理時の面倒になる。
ということは、やるしないということ。
「……後で土下座して謝ろう。うん」
自分にそう言い聞かせて、狙いを定める。
目標は――隣の高層ビルの、強化ガラス。
ギリギリで声を張る。
「――『吹っ飛べッ!!』」
全身に言霊を叩き込み、体ごと空中からガラスへ突貫する。
ドガァン!!
爆音と共に、ビルの窓が粉砕される。
ガラスの破片が閃光のように四散し、空気が一気に押し出された。
俺はそのままフロア内の床に転がり込む。
「……っは、頑丈で助かった」
肩を叩きながら、軽く息を吐く。
「死にたかったのに、死ねなかった。死ねなかった、死ねなかった、死ねなかった」
壊れたロボットのように男はそう呟く。
「イかれてんな、完全に」
正面玄関にはマスコミが大量にいたため、裏口からこっそりと逃げた。火憐に電話してブツクサと説教を受けた後、サンプルとして男の回収をお願いした。
疲労から何かをたべる気分にもなれず、俺は家に帰ることにした。
「はぁ、疲れるな」
俺はそうぼやきながらスクランブル交差点の信号を待つ。疲労から思考を放棄していたところ、後ろからガッと手を掴まれた。
「お、お前、お前を殺す」
「は?何言ってんーー」
抗議しようとしたが、もう一人が俺の背中を蹴り、ふらふらと俺はスクランブル交差点の真ん中へと押し出された。
「「「「「殺す、殺す殺す殺す殺す殺す」」」」」
信号を待っていた群衆が――一斉に、叫び出した。
それは“言葉”ではなかった。
呪詛だった。
世界そのものが、俺の存在を否定してくるような――
「……な、んだこれ……!」
まるで、大合唱。
一糸乱れぬ“殺意”が、街全体を揺らしていた。
「殺せぇ!!」
男が叫んだ瞬間、四方八方から人が一斉に押し寄せてくる。
その誰もが――白目をむき、唾を飛ばし、狂ったように暴れていた。
まともな人間じゃない。見ればすぐにわかる。
「チッ……迷ってる暇はねぇ! ――『止まれ!!』」
言霊を叩きつけるように放つ。
瞬間、群衆がぐるりと凍りついたように動きを止めた。
だが、止めていられる時間は10秒。
「くそ、どこだ。どこにいるんだ」
周りは操られた人だらけで、それらしい影は一切見えない。
「後4秒か。くっそ、逃げるしかない『吹っ飛べ!』」
足元を蹴り飛ばすように言霊を放ち、頭上の空間を抜けて跳躍する。
群衆の上を通過して、そのまま夜の闇への消えた。