第二章 中章2 修正版続き
閉まっている校門を乗り越え、部室棟へと向かう。ボロボロの新聞部の部室へと侵入する。散乱している新聞を踏みつけ、左奥の本棚の前まで移動する。本棚から本を抜き、奥にあるスイッチを押す。
ガコン。
何かの噛み合う音がすると、本棚は横にスライドして、扉が現れる。扉を開き、細い通路を抜けた先に――一つのワンルームがあった。
そこには、整然と並んだモニター群。
複数のカメラ映像が、薄暗い部屋を淡く照らしている。
スピーカーからは、クラシック音楽が静かに流れていた。
この部屋の住人は、椅子にふんぞり返りながら、画面を睨めつけている。
モニターの青白い光に照らされたその顔は、無感情のようでいて――どこか楽しげでもあった。
「よう、遅かったな。言葉」
クラシックの調べが流れる中、彼は一瞬も画面から目を離さずにそう言った。
「……久しぶりだな、雄也」
空いている椅子にどさりと腰を下ろし、俺はそのまま背もたれに体重を預ける。
一日中歩き回ったせいで、足にじんじんと疲労が残っていた。
「一日中、現場を駆けずり回ってたみたいだな。モニター越しに見てた」
「そうなんだよ。今回は……ちょっと厄介でな」
「そうみたいだな」
ゴクゴク、と音を立ててエナジーリングを一気に飲み干し、無表情のまま応じる。
まるでこの状況すら、計算に入れていたかのように。
「で、悪いけど――犯人に関する情報は、持ってねえよ」
「……は? 情報屋なのに? 廃業でもしたか?」
「おいおい、お前、情報屋を神か何かと勘違いしてないか?なんでも知ってるわけじゃないぞ。知らないことの方が多いんだよ」
「“普通の”情報屋だったら、な。お前は違うだろ、乙金雄也」
乙金雄也。
現在はアングラの情報屋として異能殲滅会とも関わっているが、その正体はかつて“神童”と呼ばれた存在。
未解明の公式を紙の裏に書き出し、
既存の細胞論を半ば冗談のように覆した異端の天才。
学会はこう言ったという――
「彼が理解できないなら、私たちが理解できるはずもない」と。
そこまで言わしめるほどの超がつくほどの天才だ。
「天才も形無しかよ。……徒労だったな」
思わず、ため息混じりに呟く。
「俺は別に、自分のことを天才だなんて言った覚えはねぇよ」
雄也はそう淡々と返すが、その声音に悔しさは微塵もない。
それが逆に、事態の深刻さを際立たせていた。
「はぁ……どうしたもんかな」
独り言のように呟いて、椅子の背もたれに体を預ける。
頭の中は真っ白で、何かを思いつく気配すらない。
――天才でも解けない事件。
それなら、俺にわかるはずがない。
探偵役としては頭の出来が足りなすぎる。
分析も理論も、人より劣ってる自覚はある。
異能を“殺す”力があっても、“見つける”能力なんて最初から持ち合わせていなかった。
「……俺、こういうの向いてないんだよな」
独りごちた声は、部屋のクラシックとモニターの明滅にかき消されるように、ゆっくりと溶けていった。
「……はぁ、そこまで言うなら手伝ってやるよ。
犯人はわからんが――頭の整理ぐらいは付き合ってやる」
モニターから目を離さず、乙金が淡々と告げる。
「整理? ……整理か。どうすりゃいいんだ?」
「簡単なことだよ。
何が起きたのか、そしてその結果どうなったか――順番に言ってみろ」
「……まぁいいか」
椅子に座り直しながら、俺は改めて声に出す。
「昨日……というか、今日の深夜2時。
都内で200人が同時に飛び降り自殺を図った。死亡推定時刻は、秒単位で一致。
目撃者も証拠もゼロ。手口も動機も一切不明。
ただ、自然では説明できない以上、異能者の関与が濃厚。……そういう事件だ」
部屋の中に、クラシックだけが静かに流れる。
「――ふむ。なるほどなるほど、よくわかったよ」
乙金がエナジーリングを傾けながら、妙に満足げに頷く。
「本当か? じゃあ、誰が犯人か――」
「それはわからん」
「…………」
言葉が詰まった。
突き放すような一言だったが、悪意も虚勢もなかった。
それが逆に、重い。
「おい……わかったって言ったろ?」
「わかったさ。“何もわからない”ということがな」
「は? それじゃ結局、“何もわかってない”って言ってるだけじゃないか」
「はぁ……」
乙金は頭をかきながら、少しだけ表情を歪める。
その仕草には苛立ちでも呆れでもなく――“知っている者”の諦観がにじんでいた。
「お前、何を勘違いしてるんだ?」
「……?」
「“わからない”ってのは、無能の証明じゃない。
それはな、自分の視野の外にあるものに、“気づいている”ってことなんだよ」
言葉は返せなかった。
「俺にも、この事件の全容は見えない。犯人の動機も、手段も。だが――ひとつ、仮説は立てられた」
乙金の目が、モニターの明滅を反射して淡く光る。さっきまでの気だるさが、わずかに消えていた。
「確証はないが、構造としては成立する。理屈は通る。だが……」
そこで言葉を切る。
「――無差別すぎる。パターンが読めない。だから、次にどこで、誰が、何をされるかがまるでわからん」
その声は淡々としていた。だが、
その裏に滲む“違和感”――いや、“不安”とも呼べるものが、じわじわと胸を圧迫してくる。
「とりあえず、俺の仮説はデータとして送っておく」
数秒の操作音が響く。
複数のファイルが、言葉の端末に転送された。
「お前がやるべきことはひとつだ。現場に行け。空気を嗅げ。血の跡を踏め。どんなに豆粒みたいな情報でも、拾ってこい」
「もしかして」
「あぁ、今回は俺が探偵役をやってやる」