第二章 前章1
「…涼しい」
6月を過ぎて、7月に差し掛かった今日。
喫茶店内の冷房は忙しなく働いている。
「なんだ、珍しくだらしないじゃねぇか」
全体重を椅子に完全に預け、回るプロペラをぼーっと眺める。
「夏なんて消え去ればいいのに」
ボソリと毒づく。
ほんの数時間前。沖縄に異能者が出現したので、かんかん照りの中戦ってきたのだ。その戦闘で死にはしなかったものの、熱中症で死にかけた。
「マジでだらしねぇな」
水をガブガブと飲みながら水分を補給していると、店の扉が開く。
カラン――と小さな鈴の音。
喫茶店の扉が開いた瞬間、そこには中年の男性がいた。
「お、珍しく言葉君がいるじゃないか。久しぶり」
「朽網さんじゃないですか、お久しぶりです」
朽網さんは俺の隣に腰を落ち着け、コーヒーの注文をした。
「最後に見たのはいつかなぁ?身長少し伸びたんじゃない?」
「3ヶ月ぶりぐらいですかね。ていうか、親戚のおじいちゃんみたいなことを言わないでくださいよ」
「いいじゃないか、君は僕達にとっては子供みたいなものなんだから」
姉の次は子供か。店員然り常連然り、ここでは子供扱いだな。
「誰が僕達よ。私たちはあなたより若いわよ?」
カウンターの奥から、すかさず星華さんのツッコミが飛んできた。
「若いって、二人とも僕とあんまかわ」
ダン!
言葉の途中で、星華さんがコーヒーが“強め”にテーブルに置かれた。
朽網さんがピクリと肩をすくめる。
「あらぁ、そんな歳になっても女性は若く扱うことを知らないのかしら」
ゴゴゴゴゴ。
温和な人は怒らせないほうがいいと世の中では言われているが、それは本当にそうだと思う。これほどのオーラを放てる人は星華さんぐらいだろう。
「す、すいません。お二人は大変お若い」
「わかればよろしい」
ようやく訪れた平穏に、俺はコップの水をひと口飲んだ
「そう言えば、奥さんはどうしてますか?」
「寧々ちゃん?まだ仕事でしてるんじゃないのかな?呼ぶ?言葉君にあったら喜ぶよ」
「いや、いいです。遠慮しておきます」
どんな説教が飛んでくるか想像もできない。
想像したら思わず身震いをしてしまった。
「まだ…仕事をしているんだってね」
俺に目を合わせることなく、朽網さんはコーヒーを飲みながら聞く。
「ええ、まぁしなきゃいけないことですから」
闘華さんはなんとなく察しているが、星華さんは知らない。だが、朽網夫婦は俺の仕事の内容を知っている。寧々さんのところに殲滅会から支給されている修理にちょくちょく行っているからだ。
「君みたいな子供にそんなことをさせているなんて、僕は正直心苦しいよ」
「しょうがないですよ。俺しかいないんですから」
互いに気まずくなってしまい、喫茶店内は微妙な空気になる。そんな中、テレビの音声が沈黙を破る。
「血人豪雨災害から五年が経った現在。現場となった山には未だ色濃く被害が残っており、森は赤黒く染まったままです」
「そうか、もう五年も経ったのか」
血人豪雨災害。
それは、ある山の上層部をまるごと消し飛ばした、正体不明の“大災厄”である。
名目上は「災害」とされているが、実態は明らかに“人為的な破壊”によるものだ。
あらゆる自然現象にも該当せず、気象や地殻活動の記録にも異常は見られなかった。
つまり――自然災害ではない。
にもかかわらず、それを“事件”と断定することも許されなかった。
なぜなら、その被害範囲が常識を超えており、「災害」と呼ばねば現実として成立しなかったからだ。
「五年か…言葉君がきたのもそれぐらいじゃなかったっけ?」
「そうですね、母の入院を機に移動をしてきたので…それぐらいですね」
「うんうん、坊も大きくなるわけだな。って、坊の母親って入院してんの!?」
「そうです、謎の病らしくて今も病院で寝たままですね」
臓器の機能に異常はない。
血流も、呼吸も、医師の目から見れば“生きている”としか言えない。
――けれど、意識は、いまだに帰ってこない。
前例も原因もなく、医学では手が出せない。
病名さえつかないそれを、医師たちは「謎の病」としか呼べずにいる
「そっか、それで入院費を稼ぐために」
「まぁ、それもありますね」
あっさりと答える俺に、朽網さんは何も言わなかった。
時刻は、すでに14時。
学校では五時間目が始まっている時間だ。
けれど、俺の腰は、椅子に沈んだまま持ち上がる気配がない。
ブー、ブー。
ポケットの中の携帯が振動して、着信が来たことを知らせる。
「はい、言葉です」
電話の相手は火憐だった。どうやら殲滅会に新人が入ると言うことで、顔合わせをして欲しいとのことだった。なぜ自分かと問うたら、新人を俺に部下にするとのことだった。
「はぁ…闘華さん、下を借りてもいいですか?」
「いいぜ、しっぽりと新人ちゃんと話してこいよ」
「変なこと言わないでください」