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欠けたピーナッツ

作者: 野脇幸菜


大学生になると夏休みなど特別なものではなくなった。


暇な時間が増えるおかげでアルバイトと遊びに費やされる時間が、

益々増えるだけだった。


しかし、休みをグータラと過ごすことはなくなり高校とは違って

行動的な人間へと変貌した。


高校時代何かとグータラしていた自分にそうするくらいなら

文句を言わず勉強しろよと説教したくなる気持ちにさえなる。


今日はそんな私にしては珍しく何も予定が入っていなかった。


遊びたくても彼氏や友達と都合が合いにくくなることが大学生の夏休みの欠点だろう。


朝起きたときには十一時になっていた。


テレビをつけると通常には見られないアニメ映画が流されていたが

興味もないのですぐに情報番組に変えた。


今日の朝刊を紹介している。


テレビで新聞の記事を紹介することに矛盾を感じてしまうが取材に費やす時間を省け、

多くの情報を報じている新聞はテレビの情報番組には打ってつけなのだろう。


記事のキーの言葉を紙で隠してめくってみたり赤線を引いて読む仕事に

テレビ人としての誇りは持ち合わせているのかと時々考えてしまうが、

やりたくないことも仕事は仕事なのだろう。


アルバイトをするようになった今は素直にそう思える。


母は買い物に行っていたらしく、袋のヒモを両手に食い込ませながら帰ってきた。


「やっと起きたのね。今日は何もないの?」


「うん、今日は暇。」


「珍しい。おじいちゃんの所に午後から行くからあんたもついてきなさい。」


「えー。やだぁ。お盆に行った。」


「愛香に会いたがってるわよおじいちゃん。」


「えー行ってもやることないし。」


「家でも同じようなものでしょ。」


「それはそうだけどー。あっ運転させてくれるならいいよ。」


「えーあんたの運転母さん怖いのよ。」


「お母さん乗せたのは当分前じゃない。あれから上手くなってるんだよ。友達にも言われたし。」


「そう。わかったわ。」


「やった。でも、口出ししないでよ。」


「はいはい。」


親の生返事ほど、この世で当てにならないものは無いと私は思う。


私の運転中母は助手席から口を出し続けた。


止まるのよ!だの、黄色よ!だの、スピードをもっと落とせ!だの、こっちは

あんたのいきなりの大声で事故を起こしそうだよ。


祖父の家は私の家から車で約40分の場所にある。


半年ほど前に祖母が亡くなったため祖父は一人暮らしをしている。


母は毎日のように通い祖父の晩ご飯を用意し、時々は一緒に食べて帰る生活が続いているようだ。


私は家で晩ご飯を食べることがほとんどないのであまり関係無いが、

晩ご飯が用意されていないことや、遅く帰宅することに日に日に父は不満を募らせているらしい 。


母は母で祖父の食生活や年々弱ってきている祖父の世話をして何が悪いのかと

理解のない夫に嫌気がさしているようだ。


家では不満のため息があちらこちらで聞こえてくるような状態で愚痴が私に向けられる。


ウンザリだ。


家には遅く帰宅し休日は外へ出ていくことが私なりの解決策である。


私の運転を注意するとき以外は母は父の文句を言い続けていた。


理解がないだの、ご飯くらい自分で作れだの、嫌みに腹が立つだの同じような愚痴をまた聞かされた。


だから母親と一緒にいるのは嫌なんだと後悔しているうちに、祖父の家に着いた。


私はすぐに車を降りて玄関を開けようとしたが 鍵がかかっている。


「最近玄関の鍵さえ開けてない日があるの。裏の勝手口から入りなさい。」


母が車のドアを閉めながら言った。


私は裏の勝手口から入り、祖父のいるリビングへと向かった。


扉を開けるとダイニングには電気がついておらず、リビングにのみついていた。


リビングに祖父が横になった姿勢でテレビを見ている。


目の周りが腫れていて、お盆に会った時とは違い体調が悪そうだった。


「おじいちゃん来たよ。」


祖父はしんどそうに起き上がった。


「愛香よく来てくれたね。」


といつもの言葉をかけてくれたが、それはいつもよりもさらに義務的な言葉に聞こえた。


よほど今日は悪いのだろう。


ダイニングの電気をつけると、母が部屋入ってきた。


「愛香も連れて来たのよ。今日は顔が腫れてて悪そうじゃないの。気分悪いの?」


「悪くなんかない。」


「どうみたって悪そうじゃない。薬はちゃんと飲んだの?」


と母とのやり取りは続いた。


私は3人でお茶を飲みながら代わりばえのしない、いつもの質問に答えた後

その部屋から自然に立ち去った。


私は仏間に行き祖母に線香をあげてから、客間のソファに横になった。


あのままあそこにいてもあれ以上話すこともない。


こっちにいる方が気楽なので、祖父の家に来ても結局はこうしている。


テレビをつけると今度は昼の情報番組で夕刊を取り上げていた。


テレビが世に出てきても新聞はテレビで紹介され、ネットが普及しても

テレビ番組はネットでアップされる。


何だか本当にシンカしたのかよくわからない。


気が付くと、いつの間にか眠っていたようだ。


ここのソファは気持ちがいいので、よく眠り込んでしまう。


祖父がドアを開け、愛香、愛香と呼んでいた。


「あっおじいちゃん。寝てた。」


「なかなか呼んでも起きてくれなかったよ。ご飯だから。」


「わかったすぐいく。」


祖父はドア閉めて行った。


私が食卓に着くとすでに煮物や柔らかそうな牛肉を焼いたもの、煮豆、

玉子豆腐などが並べられていた。


二人分といったところだろうか。


三人でビールやお茶で乾杯して食べ始めたが、祖父は一口三口食べたところで箸を止めた。


「もう食べないの?全然食べてないじゃん。」


「そう急かさないでくれ。愛香こそ遠慮せずに食べなさい。」


「いつもこんな感じなのよ。一緒に食べない時はもっと食べてないみたいだし。」


お盆の時は他の親戚たちもいて食卓の上は華やいでいた。


それに祖父の食欲など気にかけなかった。


今食べた量は小皿一皿にのせても隙間ができる程の量だろう。


一口食べるごとにビールやお酒に手がのびて、休憩するが、

おかずへはなかなか箸がのびないようだ。


結局、小皿一皿に盛ったほどの量を食べた後に、とろろご飯を一杯だけ食べて

祖父は隣のリビングへと戻っていった。


横になり7時のニュース番組を見ているようだ。


私は残っている料理を食べながら、昔の祖父を思い出していた。


大食漢で酒好きだった祖父はビール腹のお腹をよくパンパン鳴らしては、

私に立派だろと自慢していた。


機嫌の悪い祖父など一度も見たことがなく、いつもニコニコして私を可愛がってくれた。


小さい頃に「ちびまる子ちゃん」を見ていると、

あそこまでデレデレなおじいちゃんではなかったが、

私と祖父を見ているようで親近感が沸いた。


でもいつからか、祖父のお腹の張りは無くなり引っ込んでしまったし、

私と祖父との関係も「ちびまる子ちゃん」とは違うものになっていった。


私は孫と祖父母の関係なんてそんなものだと思うが、祖父の弱っている姿を見て

何となく寂しくなり、自由に甘えることのできるまるちゃんが少し羨ましく思えた。


食べ終わると母は後片づけを始めた。


私は祖父から離れたくてトイレに行った。


手を洗いに洗面所へ行くと、洗濯物が溜まっていたので

母が台所で片付けをしている間に洗濯することにした。


カゴの中には下着やシャツなどが乱雑に入れられていて、二枚重ねになっているものや

裏表が逆になっているものもあった。


洗濯物を入れようと、洗濯機のふたを開けると中からうっすらと何かの臭いがした。


中を覗くと中には雑巾のように絞られたトランクスが2個の塊になって置かれていた。


触ってみるとその物体は冷たく濡れていた。


何だか嫌な予感はしたが開いて確かめてみると、うっすらと茶色になって染み着いていた。


彼は体調が悪いとはいっても、それは心臓からくる持病のものであって

決してボケが始まっているわけではない。


たまたま間に合わなかったのだろう。


そう考えて残りの物体を開いてみると、こちらにも同じ染みがあった。


それも最初のものよりも面積は広かった。


私はそれらを触ってしまった手を気にしながらも、それらを端に寄せ空いた場所に

カゴに入っていた洗濯物を直して入れた。


どうしようかと洗濯機の端に手をおいて考える。






いや、どうしようといってもやることは決まっている。


そのあとがついている箇所に色物用漂白剤をかけて洗剤を入れて、スタートを押せばよい話である。


私はショックだったのだ。


彼の老いていく姿を感じさせる物体を目の当たりにしてしまったのが。


恐らく、母から最近そうなのよと聞いていたら少しのショックですんだだろう。


もうそんなものなのかと思っただけかもしれない。だが、何か気づいてはならないものの第一発見者になったようでそれが私を苦しめた。


彼は厳格な男だった。


誰よりも頼れる男だった。


働き者だった。


そんなイメージが脳内を占めている私には、それが今からますます

消し去られていくのかと思うと嫌だった。


ただの漏れただけだとは思う。


でも、私の確固として確立された不動の最高位の男は彼だけだったのだ。


男としてみんなに尊敬され私に無心の愛情を注いでくれる男はこれから絶対に現れない。


いい夫であっても恋人であっても彼らにはそれは越えられない。


私にはそれがなぜかわかる。


でも、一番ショックを受けているのは彼に違いない。


でも彼はたぶん気づかれないように風呂へ入るついでに自ら洗って洗濯機に

申し訳なさそうに入れているのである。


それは、気づかれたくないと同時に、時々訪れる自分の娘や息子の嫁に汚い思いをさせたくない

という気遣いでもある。


彼はそういう人へ対する思いやりも敏感なほどに持って、隠れて実行する人間であった 。


彼の崩れていく様と記憶に残っている様がごっちゃになり、私の感情を複雑化させた。


その感情に私はさらに戸惑い、彼がこの先どうなっていくのか不安になった。


しかし、こんな事を考える必要はないのだ。これからただ彼の人生が、彼の体のペースで老いていくだけなのだから

私にはどうしようもないし、関係ない。


私は自分の日常を生きていけばよいだけの話である。


気を取り直して、洗濯作業を再開した。


パンツを底からつかみ、裏返しにして洗濯物の重なりの頂上に二枚とも広げ、

その上に目分量で色物用漂白剤をかける。


そしてスタートを押して、あとはおまかせ機能で表示された洗濯物の量を目安に洗剤を入れるだけ。


だが、洗濯機が回るのを待っていたが回らない。


おかしい。


ボタンの種類を見てみると、<電源入/切>は<スタート>とは別のボタンだった。


家の洗濯機とはかってが違うので間違えたらしい。


携帯の機種が違えば扱いに戸惑うのと同じようなものである。


つい自分の物と同じ扱いをしてしまった。


仕切り直しだ。


電源を入れてそのボタンとは別のスタートを押す。


これでOK。


ピーーー!


洗濯機の高い機械音が流れた。表示を見てみるとフタの文字が赤くなっていた。


急いでフタを閉めると音は鳴り止み、洗濯機は動き始めたが、

すぐに洗剤を入れていないことに気がつき、

おまかせの表示を参考に洗剤の量を量りフタを開けた。


しかし、ピーーー!とまた高い音が鳴り響いたが、構わず洗剤を投入した。


案の定止まってしまった。


私にはこの洗濯機が未知なものに思えた。


けれども、理解できないままにはしたくなかった。


電源を切り、一からやり直してみることにした。


洗剤を入れ直すことはできないが、あくまで機能を理解するためだ。


この洗濯機には内蓋もついていて、内蓋には穴が直径5㎝の範囲にいくつか開いていて、

水は内蓋の上からシャワーのように流れてくる。


今度は内蓋をさえしていれば洗濯機は止まらないと思い、外蓋は開いたまま電源を入れて

スタートを押した。


だが、私の予想に反して洗濯機はまた止まった。


ますます理解不能な未知のものとなった。


おまけに内蓋の穴は粉の洗剤は一応通り抜けられるが、確実に蓋の上に残ってしまう間隔で

空いていた。


この洗濯機の存在意義は何なのだろう。


私の家の物よりも新しいのに、使い方は不便だ。


何が正しい方法なのか全然わからない。


私は諦めて外蓋を閉めて、運転を再開させた。


シャワーのように水が内蓋にかかり下に流れていった。


なぜ、内蓋の上から水を流す必要があるのかも私にはわからなかった。


しばらく眺めていたが、水は止まり洗濯機は回り始めた。


ふと洗濯機の横を見ると二本のホースが目に付いた。


洗濯機に付いている風呂の残り水のくみ取り用の物と排水用の物だった。


私は急いで風呂場の扉を開けて、排水用のホースを伸ばした。


これも家にはないものだ。


気づかなければ水が床に流れて大変なことになっていた。


全て未知だ。


この洗濯機も祖父も。


私にはわからない。


祖父はこれからどうなるんだろう。


妻もいない、趣味もない、老いていくだけ。


彼には本当の話し相手や相談相手もいない。


もちろん、自分の子供や孫たちはいる。


しかし、彼が本当に心を許し合える妻や友人は既に亡くなってしまった。


それは、決して私達で補えるものではない。


彼は仕事人間であり70歳を過ぎても仕事を続けてきた。


だが、引退してしまった彼には生きがいがない。


ただ、毎日寝転がりテレビをつけて一日を過ごすしかない。


心臓病のせいで動きたくても、しんどくてあまり動けない。彼は誰よりもいち早く自らの老いを感じ、ショックを受けているだろう。


だが、気遣いを忘れず必要以上に人に迷惑を掛けないし甘えない。


そのことが彼をさらに疲れさせている。


でも、彼はそれをやめないし、それを無くして欲しくもない。

私は何も彼のためにできないのに何て欲張りな考えばかり持つのだろう。


洗濯機のチャプチャプと回る静かで新鮮な音を聴いていると、全てを無に書き換えてくれているようで、しばらく立ち去ることができなかった。


リビングに入ると祖父は寝転んでクイズ番組を見ていた。


「愛香どこにいってたんだ?」

「洗濯物が溜まっていたから洗濯してたの。」


「そうかぁ、それは悪いことをしたねぇ。そんなこと気にする必要はなかったのに。」


祖父は申し訳なさそうにそう言った。


気にする必要がないのはそっちだよ、体を動かすのだって、食べるのだって普通にできないのに。


孫になんか媚びを売る必要もないし、家事を手助けするくらいしか役に立てないんだから押し付けるくらいの気持ちでいいんだよ。


何でそんなに周り第一なんだよ、何でそこだけは年をとっても変わらないんだよ、もう本当のじじぃになってるのに。


私はクイズ番組に目を向けながらも、どうしようもない祖父の問題が頭を駆け巡っていた。


イラつきやムカつきとは違う感情がわいてきて私を熱くさせた。祖父のしなびた手足に目を向けないように、テレビに顔を向けていると母がやってきた。


「愛香、洗濯物終わったみたいよ。」


「わかった。干すの手伝ってくれる?」


「いいけど。」


洗面所へ向かい、量もそう多くはないのでその場で半分くらい、はたいて母に渡すと廊下にある干し物へ干しに行った。


そして、私は残りの半分を一枚ずつ、はたきはじめた。


トランクスの染みは、大方はとれているようだったので安心した。


あとはタオルが三枚ほど残っているだけだ。


一枚取るとカラカラカラと何かが洗濯機の底へ落ちた。


ボタンでも落ちたのかと思い覗いてみた。そこには、小指の先ほどの肌色の物体が落ちていたが、すぐにピーナッツの片割れだとわかった。


消化されていないそのピーナッツは祖父に手洗いされたあともトランクスにくっついたままだったのだろう。


私はそれに手を伸ばしかけたが躊躇して、ティッシュを一枚とった。


そのティッシュで掴んで、開いてみるとピーナッツは欠けていた。


欠けてはいたがきれいに残っていたので、服か何かに挟まっていただけなのかもしれない。


でも、そのピーナッツを素手で触ることは出来なかった。


一枚のティッシュを隔てたそのピーナッツはとても小さく、欠けているその様は、咀嚼して味わおうとする期待さえも初めから奪っていた。私は見下している、卑下している。


いや、どうすることもできない、どうもしようともしない自分の不達成感を都合よくその感情に置き換えているに過ぎないのかもしれない。


だがもう考えたくない、どうしようもない、私には関係ない。

ピーナッツをティッシュで握りしめ近くにあったゴミ箱に放り捨てると、私は残りのタオルをはたくことなく取り出して洗面所をあとにした。

最後まで読んでいただいてありがとうございました。

このような題材を長く引きのばして書いてもいいものだろうかと悩みながら執筆しました。

洗濯機がドラム型の方は少し違和感があったかもしれません、申し訳ない。

評価、批評もしていただければ嬉しいです。

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