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実験準備

 沼での標本採集を終えたあと、キノエは《シカロ》に戻ってきていた。しかし、その足は、しょうこたちの家ではなく、廃屋の一つへと向かっていた。


 その場に水緒の姿はない。沼で別れたのだ。正確には、置いていかれた、というのが近い。目的を果たしたので、もう集落(ムラ)に戻ろうと言ったところ「遊びたりない」と一言残して、〈蜘蛛矢〉でどこかに行ってしまったのだ。まだ昼食も済ませていなかったというのに、元気なものだった。おかげで、重さの増した荷物を一人で持って、あの悪路を戻るはめになり、大変な思いをした。


 どうにか廃屋に辿りつき、土間に繋がる板間に腰掛け一息を吐く。


 キノエが足を運んだのは、落ち葉が積もり、半ば腐葉土ができかけている廃屋だ。呼吸が落ちつくと、持ってきていた自前の干し肉を昼食代わりに齧りはじめた。


 しばらく顎の運動を続けていたが、途中で腰を上げ、肉を齧りながら松葉杖で落ち葉を漁っていく。住処を荒らされたダンゴムシが丸まり、転がって枯葉の隙間に潜りこんでいった。なにが起きたか解っていない様子のミミズが、しばらくのたうちまわり、やがて枯葉の下の腐植に頭を突っこみ、潜っていった。


 そうして、しばしの間、落ち葉を弄っていたキノエは、「おっ」と途中で手を止める。


 その目線の先にあったのは干からびた黒っぽい虫の死骸だった。上下に向けて細く尖っていく楕円――特徴的な紡錘形はオサムシだ。しかし、ただのオサムシの死骸ではない。口と尻から、黒い小さな木のようなものが生えている。土で汚れてはいるが枝は白く、先端は小さい球になっている。どことなく、ナズナに似た形だ。


 死骸をつまんで拾いあげ、まじまじと見つめたあと、うん、と納得したように頷く。


「冬虫夏草か、ちょうどいい」


 死骸を板間に置くと、キノエは背嚢から二つの器を取りだす。背の低い円筒形で、かぶせ蓋のついた、透明な樹脂製の皿状の器だ。


 続けて腰から下げていた小刀を抜くと、死骸を二つに割り、二枚の皿にそれぞれ入れる。そして、沼で採取した水の入った管と、空の管を取りだした。管に入った水の量を確認し、水筒から空の管へ同量を注ぐ。水筒の中身は、キノエが腰を落ちつけている集落(ムラ)から持ってきた水だ。


 次に冬虫夏草を入れた器へ水を注ぎはじめる。底全体が浸る程度に片方の器へ沼の水を注ぎ、もう一方の器にも集落(ムラ)からの水が同量入るよう慎重に量り入れていく。水を入れ終わると蓋をかぶせ、二つとも破れた屋根の隙間から日が差す場所に置いた。


 キノエは廃屋をあとにすると、道端や別の廃屋で、カビの生えた虫の死骸や、岩に生した苔、カビた木片などを採取し、同じような器を二揃いずつ作っていった。


 採取した水があらかたなくなると、次は泥を使うために、ちょうどいい植物を探しはじめる。可能な限り生長速度が速いものがあると都合がいい。森の中なので、植物などいくらでもいるのだが、そのせいで逆に迷う……と思ったが、畦を歩いていたら、すぐにぴったりの草が見つかった。


 用水路際に、心臓に似た形の葉を生やし、小さな十字状の白い花を咲かせている草が群生している。用水路に落ちないよう畦を慎重に降り、葉を一枚ちぎって臭いを嗅いだ。角の取れたまろやかな腐敗臭とでも言うべきか、独特な生臭い緑の臭いがする。ドクダミで間違いないだろう。地中に地下茎をみっしりと生やし、自分たちの領域には他の草の足を踏みいれさせないほどに生命力の強い草だ。


 キノエはドクダミをいくつか引っこ抜くと、森の木陰の中で、じめじめとしている場所に運ぶ。葉の香りのせいで毒を溜めていると勘違いされたのが、名前の由来の一つとされているだけはある。臭い。しかし、実際は薬効があるので毒を矯める草だというのだから、面白いものだ。


 運んだドクダミを二つの株に分けると、草の伸びが判るように生長点のあたりで茎をちぎり、ある程度の距離を離して植えなおす。移植したドクダミのうち、片方にだけ採取した泥を肥料のように与えると、元々の草丈が判るように、手頃な枝を地面に刺して立て、目印代わりに小刀で傷をつけておいた。


 そのあとも近くを少し散策したところ、オオバコとヤブガラシを見つけた。どちらも生命力の強い、いわゆる雑草と呼ばれている植物だ。ドクダミにしたのと同じように、二株の揃いを作り、泥を与えて植えなおした。


 これで仕込みはすべて済んだ。あとは、数日ほど待ってから、それぞれの様子を確認するだけだ。もし、水か土に〈灰泥(へどろ)〉が含まれているのならば、それを与えたほうに明確な変化が現れるはずだ。


 採取した標本を使いきり、軽くなった背嚢を背負う。一仕事を終えたからか、満足感と心地よい疲労感が、じんわりと肩から背中に向けて沁みだしてきた。


 あとは対照実験の結果が、上手く出るのを祈るだけ――じくりと、頭の片隅から不穏な考えが漏れる。〈祓い〉に近づいているだけで、水緒が――〈泥人(ひじと)〉が普通の人間のよう暮らせる方法など、微塵も見つかっていない。解っている。あのとき自分がしょうこに与えた希望は詭弁にすぎない。同時に、自らへの言い訳だった。


 どんな〈怪もの〉であれ、それらはすべて現象だ。『森』から『木』をなくせないように、 完結した事象から特定の要素を取り除くことはできない。だから最後には〈祓い〉の方法を見つけて、それを先延ばすか否か、母親に娘の最期を決めるように、託すしかないのだ。


「これも血かね……」


 溜息と共に思う。


 失敗(やらか)してばっかだな、うちの〈一族〉は。

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