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古い手術室の扉の加護

作者: ウォーカー

 古い物には魂が宿る。

森の古い樹木や大きな岩、あるいは人工物であってもよい。

この世には、人や動物以外にも、魂を宿した物が存在する。

魂を宿した物には、特別な能力を持つ物があるという。



 それは古い病院の手術室の扉だった。

その病院の建物は古く、

何代にも渡って人々を治療する場として使われてきた。

病院を訪れる人たちは体に異常を抱えている事が多い。

病気であったり怪我であったり、治療を求めて病院にやってくる。

特に手術室の扉をくぐる者は重症で、命に関わる容態であることもある。

そんな人たちは、手術室の扉をくぐる時、

死にたくない。生きたい。

という強い想念を持っている。

そんな想念が滞留し、時を経て、手術室の扉に魂を与えた。


 いつの頃からか、その手術室の扉には意思が宿っていた。

人の身ではないので、手や足を動かしたりすることはできない。

ただ決められた通りに扉を開け閉めするのみ。

その手術室の扉を通る人は、緑色の薄い衣を羽織った人たちがほとんど。

それが手術着を着た医者や看護婦、患者たちであると知ったのは、

しばらく後になってからのことだった。

どの人も緊張の面持ちで、死を覚悟した人や、

時には意識すら無いような重篤な人もいたものだった。

どの人も、生きたい、生かせたい、体を治したい、

という想念を強く心に抱いていた。

中には、手術室から出ていく際には、

不幸にも何の想念も感じなくなっている人もいた。

そんな人々の想念が、手術室の扉をくぐる度に、少しずつ漏れ出して溜まって、

その手術室の扉に、意思だけでなく、ほんの少しの奇跡を起こす能力を与えた。


 その手術室の扉には、通った人を祝福する能力が宿っていた。

その祝福とは、手術室の扉を通った人が、再び扉を通るまでの間、

決して死なないようにする祝福。

どんなに重症でも、難しい手術でも、その手術室の扉をくぐって中にいる間、

そこでは人は決して命を落とすようなことはなかった。

手術が上手くいかず、あるいは術後の経過が芳しくなかったとしても、

手術室の中にいる間に命を落とすことだけは絶対に起こらない。

儚くも偉大な祝福。

その手術室の扉は、自らに意思と力を与えた人々に報いるため、

来る日も来る日も、扉を通る人たちに余さず祝福を与え続けた。

病気や怪我を治す奇跡ではないので、

祝福を与えてもなお、手術室を出る時には瀕死の人も何人もいた。

それでも、手術室の中にいる間は生かしておいてもらえたと、

人々は涙を流して感謝していた。


 その手術室の扉をくぐると、再び出ていくまで死ぬことはない。

そんな祝福は、長い年月をかけて人々に認知されていき、

今や多くの人たちから崇拝されるようになっていた。

来る日も来る日も、もう一刻の猶予もない重症者が、

その手術室の扉をくぐり抜けていった。

祝福があるとはいえ、このような古い病院に患者が集中するのには理由がある。

近頃、その病院の近くで、武力を伴う紛争が勃発したのだった。

銃弾が飛び交う音が最初は遠く、それが段々とその病院にも近付いて来ていた。

やがてその病院は紛争地帯に飲み込まれ、医薬品や燃料にも困るようになった。

医薬品が足りなければ満足な治療もできず、

病院にも手術室にも治療を待つ患者が溢れかえり、

その手術室の扉の祝福は、単に死ぬまでの時間を少しばかり伸ばし、

今際いまわきわに遺言を残す猶予を与えるだけのものになってしまっていた。

どうやら手術室の扉の祝福にも限度があるようで、

明確な悪意によって生み出された多数の患者には効果を発揮しにくいようだった。

それでも人々は、手術室の中にいる限りは決して死なないという、

その手術室の扉の祝福にすがり、手術室の中は避難所のようになっていった。


 今日も町を兵隊たちが跋扈し銃弾が雨のように飛び交っている。

あの病院は今や紛争地帯の只中となって、銃弾と砲弾にさらされていた。

病院の白い壁のあちこちに銃弾の跡が残り、砲弾が建物を破壊する。

それでもなお、手術室とその周辺だけは手術室の扉の祝福のおかげで健在だった。

手術室の中は焼け出された人たちでいっぱいで、

手術室とは名ばかりの簡単な治療が行われる避難所となっていた。

そんな大勢の避難をしてきた人たちの中に、ある男がいた。


 その男はとても臆病で、料理や裁縫で手先に些細な傷をつくるのも怖がり、

自分以外も傷つけまいと、小さな虫一匹殺すのも避ける生活を送っていた。

そんな臆病な男の家も、この紛争に巻き込まれ、男は目の前で家族を失った。

しかし男は家族を失った悲しみよりも、

自分も同じように銃弾や砲弾に体をバラバラにされることに恐怖した。

だからこそ、中にいれば絶対に死なない手術室へ単身逃げ込んだのだった。

今は怪我人の治療を手伝うでもなく、

手術室の角で小さくなってガタガタと震えていた。

そうしている間にも、傷つき運び込まれた人が、一人また一人と息絶えていった。

そのことが、臆病なその男を追い詰めていった。


 ある日、その男は、いつものように砲弾の音で目を覚まし周囲の人に尋ねた。

「なあ、昨日までそこで寝ていた奴はどうしたんだ?」

「その人は今朝方、亡くなったよ。」

「じゃあ、そっちに座ってた奴は?」

「水を汲みに出かけたきり、もう何日も戻ってないよ。」

「じゃあ、じゃあ、そこに倒れてる奴は!?」

「もう息もしてない。死んでるだろうね。」

「何だって?おかしいじゃないか!

 だってこの手術室は、奇跡の力をもっていて、

 中にいる間は死なないはずだろう?

 それがどうして、死ぬ奴がいるんだ。

 人が集まりすぎたから、奇跡の力が弱まっているんじゃないのか!?」

唾を飛ばしてわめくその男の言うことは、ある程度は真実だった。

確かに、手術室の扉がもたらす祝福は、

たくさんの人が同時にいることによって効果が弱まっていた。

そのせいで、以前は手術室の中では死なずに済んでいたのが、

今では死ぬまでの時間を伸ばす程度のものになってしまっていた。

手術室の扉が人々を区別せず、

通る全ての人に等しく祝福を与えようとした結果だった。

できるだけ多くの人に祝福を与えようという行為が、今のその男には憎かった。

その男は頭を抱えて何かブツブツと呟いていたかと思うと、

カッと目を見開いて立ち上がった。

「俺は、死ぬのが嫌だ。

 俺は奇跡の力のために、一人でここまでやってきたんだ。

 奇跡の力は全部俺のものだ。

 誰にも、誰にも渡さない・・・!」

するとその男は、手術室の中に落ちていた手術用メス、

小さな刃物を拾い上げると、

近くにいる人たちに向かって切りかかった。

「奇跡は俺のものだ!あっちへいけ!」

「うわっ!」

「あいつ、刃物を持って振り回しているぞ!」

「みんな逃げろ!」

人々は隣人の突然の凶行に恐れ慄き、逃げ出そうと手術室の扉に殺到した。

しかし手術室の扉は全員が一度に通れるような大きさではなく、

逃げ遅れた何人かが切りつけられ倒れていった。

しばらくしてその男が刃物を振り回すのを止めた頃には、

手術室の中に立っているのはその男が一人だけになっていた。

「あっはっはっは!

 これで奇跡は全て俺のものだ。

 もう死に怯える必要はなくなったぞ。」

その男の高笑いに反応する者は誰もいない。

不幸にも逃げ遅れて切りつけられた人たちは、

床に倒れてもう動かなくなっていた。


 口も聞けない物となった人たちが倒れている手術室の中。

その男は一人、安楽に過ごしていた。

もう奇跡も何もかも横取りする者はいない。全てを独り占め。

その男は非常食を頬張り、麻酔代わりの酒をあおって喉を鳴らしていた。

「かーっ、旨い!

 やっぱり酒は無事な人間が飲んでこそ価値がある。

 奇跡だってそうだ。

 どうせ死ぬのが決まっている人間を、

 少しばかり生き永らえさせることに何の意味がある?

 無意味な連中に奇跡を分け与えるより、

 こうして俺一人に奇跡の力を集中させた方が良いに決まってる。

 俺は絶対に死なないで生き延びてやるからな。」

すると、一部始終を見ていた奇跡の主が、見るに見かねて言葉を発した。

「・・・そうだな。

 これでもう、この手術室の中にいる限り、お前は死ぬことはない。」

突然聞こえてきた言葉に、その男はキョロキョロと辺りを見渡した。

「誰だ!?誰か残ってるのか?

 それとも、奇跡を与えてくれた神か?」

「・・・我はそのどちらでもない。

 しかし、神ではないが、お前に祝福を与えた物だ。」

「なんてこった!それじゃ神じゃないか。

 なあ、神様。

 これでもう俺は、死なないんだよな?

 銃弾に怯えて毎日を過ごさなくても良いんだよな?」

空虚な微笑み顔で尋ねるその男に、張り詰めた声が返ってくる。

その声には怒りが込められていたことに、その男は気が付いたかどうか。

「・・・ああ、そうだ。

 我の祝福を人々からお前一人に集中させたから、お前はもう死ぬことはない。

 この手術室の中にいる限りはな。

 一応、確認しておくが、

 本当にお前は、自分だけが無事ならばそれで良いんだな?

 お前以外のものがどうなっても構わないというのだな?」

「ああ、もちろん。

 そのために、俺以外の連中をここから追い出したんだから。」

「・・・わかった。

 今から、我の祝福の力の全てを、お前一人に集中させよう。

 そうすれな、お前はもう完全に死ぬことはない。・・・お前だけはな。」

神から死なない体にすると言われ、その男は小躍りして喜んだ。

大声で喚き散らして、嬉し涙を流していた。

だから、気が付かなかった。

一発の砲弾がその病院めがけて向かってくる、空気を切り裂く音を。

直後、その病院の建物に、一発の砲弾が命中した。

砲弾は崩れかけた建物を突き破り、神聖不可侵だったはずの手術室に直撃した。

手術室も中のものも、衝撃でバラバラに砕けてしまった。

それから、何発かの砲弾が立て続けに病院の建物に直撃して、

手術室もその扉も全て砕けて倒壊してしまった。

建物は瓦礫の山となり、後に起こった火災による火の海に飲み込まれ、

病院の中にあったものは、その男も含めて、全て灰となってしまったのだった。



 それから数年の後。

あの病院を飲み込んだ紛争は、大きな犠牲を出してやっと終わった。

人々が銃口を向け合う時代から、手を取り合って復興する時代になった。

紛争で破壊された物はおおよそが撤去され、

残った瓦礫などは新しい街の土台となった。

今日は、かつてあの病院があった場所に作られた広場で、

記念式典が催されていた。

背広を着こなした偉そうな人物が、集まった人たちに語りかける。

「今日、ここにお集まりの皆さん。

 皆さんにとっては、あの紛争の記憶はまだ生々しいものであろうと思います。

 この広場もかつては病院でした。

 そこに砲弾が命中し、避難所となっていた病院は倒壊し焼け落ちました。

 しかし、避難していた人たちの多くは、

 幸運にも直前に移動していて難を逃れたそうです。

 これはきっと、神の奇跡に違いありません。

 その奇跡にあずかって、平和な世界を作っていこうではありませんか!」

熱の籠もった言葉に、集まっていた人たちから拍手と歓声がわーっと上がった。

かつては病院があったこの場所も、

今は埋め立てられて広場となって、当時の面影はない。

だから、人々は知らない。


埋め立てられた広場の地面の奥深く、

焼け落ちた病院の瓦礫とともに埋め立てられてしまった灰から、

弱々しい声が上がっていることに。

「助けてくれ・・・。ここから出してくれ・・・。

 こんな姿になっても死ねないなんて、そんなのあんまりだ。」



終わり。


 古い物には魂が宿るとはよく聞く話ですが、

ずっと人間を見ていた物の中には、人間に呆れている物もいるかも。

そんな一例を考えてみました。


どんな奇跡も祝福も、使い方次第では呪いにもなる。

追い詰められた男の行いに失望した手術室の扉が、

手術室自体が対象になっていた祝福をも男に集中させたことで、

手術室を護っていた加護が失われ、

男は崩壊する手術室の巻き添えになりました。

古い物に呪われる場合があるというのは、こういう経緯なのかも知れません。


お読み頂きありがとうございました。


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