1 大国主と少彦名 2 国譲り~~芦原中津国平定
1 大国主と少彦名。
国づくりとは、日本神話での大国主(大己貴命)、の葦原中国を建国する話である。
また、須佐之男命の娘である、須勢理毘売命との婚姻後に行われた地上世界での国作りを指す。
【古事記】
オオクニヌシは、がちょうの皮で作られた服を着た小さな身体のその神に名前を尋ねましたが答えません。
周りにいた神々に聞いても誰も知りませんでしたが、多邇具久によると久延毘古ならば知っているだろうとのこと。
早速、久延毘古に聞いてみたところ、神産巣日神の子どもで、名前はスクナヒコナでしょうと答えました。
そこで、オオクニヌシが神産巣日神に事実か否かを尋ねると。
神産巣日神は、確かにスクナヒコナとは自分の子で、手の股より落ちこぼれた子であると認めたのです。
そして、オオクニヌシと兄弟の契りを結び、二柱の神で協力して国を作るよう言い渡したということでした。
オオクニヌシはそれに従い、賢いスクナヒコナと共に国土経営に尽くしたと言われています。
【日本書記】
日本書紀においては古事記とは多少異なり、オオクニヌシが、ミソサザイの服を来た小男を手のひらの中でもてあそんでいたところ、オオクニヌシに飛びつき噛み付いたそうです。
これを高皇産霊尊に話すと。
それは自分の子の一人だが、いたずら者で指の間からこぼれ落ちた子だと言いました。
ここからは、古事記と同様スクナヒコナはオオクニヌシと協力し、天下を治めたと記されています。
2 国譲り~~芦原中津国平定
『古事記』をもとにして国譲り神話をみていくと、まず高天原からアメノホヒが使者として派遣されます。
オオクニヌシの国作り完成させた頃、高天原のアマテラス大神は命じます。
「稲穂の美しい葦原中国はの子が治める国である」
と、葦原中国の支配を、アメノホシホミミ神に任せました。
⭐️ 彼は、スサノオ神との誓契で、一番目に生まれた神です。
アメノオシホミミ神が天の浮橋に立つと、葦原中国は、まだ騒がしいようだと言って引き返し、アマテラス大神に申し上げました。
そこで、タカギムスヒ神とアマテラス大神の命令で八百万の神々が、天の安の河に集まって相談し、アメノホヒ神を遣わすことにしました。
ところが・・・。
アメノホヒ神は、オオクニヌシ神に従ってしまい、三年が経っても、命令を果たしませんでした
三年が経ってもアメノホヒ神は帰ってこないので、再び、タカギムスヒ神とアマテラス大神は
高天原の神々と相談して、天若日子を派遣する事にしました。
アメノワカヒコは、葦原中国に降りてゆきましたが、オオクニヌシ神の娘である下照比売と結婚してしまいました。
アメノワカヒコは、葦原中国を自分の国にしようと考え、八年が経っても命令を果たしませんでした。
そこで、アマテラス大神とタカギムスヒ神は他の神々に相談します。
「アメノワカヒコが帰ってこない、どの神を遣わして、長い間帰ってこない理由を聞いたらよいだろう」
と、高天原の神々に問いました。
神々は話し合いますが、オモイカネ神が、雉名鳴女がよいでしょうと答えました。
⭐️ 以下、鳴女で表記します。
そこで、ナキメに、お前を葦原中国に遣わしたのは、その国の荒ぶる神々を説得して、従わせるためである。
どうして八年経っても帰ってこないのだと聞いてきなさい・・・と命令しました。
ナキメは天より降って、アメノワカヒコの住まいの入り口にある神聖な桂の木に止まり、アマテラス大神とタカギムスヒ神の言葉を伝えました。
ナキメは雉の姿をしています。
すると、それを聞いた天佐具売が、この鳥は、ひどく鳴き声が悪いので射殺すべきです。
と、アメノワカヒコに進言しました。
アメノワカヒコはただちに、天つ神より与えられた弓と矢をもち、ナキメを射殺しました。
その矢は雉の胸を突き抜けて、天の安の河にいた、アマテラス大神とタカギムスヒ神のところに
届きました。
タカギムスヒ神は、その矢を手に取ってみると
、血が矢の羽についています。
この矢は、アメノワカヒコに与えた矢ではないか。
タカギムスヒ神は、矢を高天原の神々に示し見せながら・・・もし、アメノワカヒコが命令どおりに悪い神を射た矢なら、アメノワカヒコには当たらない。
もし、命令に背いて放った矢なら、アメノワカヒコは、この矢の禍を受けよ。
といって、矢を突き返しました。
矢は、朝方になってもまだ寝ているアメノワカヒコの胸に突き刺さり、彼は死んでいました。
結局、天より遣わした雉は帰って来ませんでした。
そこで、行ったままで、帰ってこない使いのことを
雉の頓使いというようになりました。
一方、夫の死を悲しんで泣く、シタテルヒメの声は、風に乗って高天原まで届きました。
高天原に居る、アメノワカヒコの父は、アメノワカヒコの妻子とともに、天より葦原中国に降りて嘆き悲しみました。
アメノワカヒコを喪屋に安置していると、アヂスキタカヒコ神がやって来て、アメノワカヒコを弔いました。
それを見たアメノワカヒコの父は、我が子は死んでいなかった。
といい、高天原に住む妻も、私の夫は死んでいななかった。
といって、アヂスキタカヒコ神の手や足にすがりついて泣きました。
それを聞いたアヂスキタカヒコ神は、仲の良い友だちだったからこそ、弔いに来たのに私を死者と間違えるなんて。
と、大変怒って、その喪屋を切り倒し、蹴り飛ばししてしまいました。
その喪屋は、美濃国の喪山になってしまいました。
アヂスキタカヒコ神が怒って飛び去ってしまうと、妹のタカヒメ神が、その名を明かそうと。
アヂスキタカヒコ神は私の兄です。
と歌いました。
その後、高天ヶ原からは、タケミカヅチとアメノトリフネが派遣されて、伊耶佐の稲佐浜と言う小浜に降りました。
タケミカヅチは、十拳剣を波頭にさかさまに立て、その剣先にどっかとあぐらをかいて、オオクニヌシに国譲りを迫りました。
オオクニヌシは、年老いた自分の一存では決められませんと、わが子であるコトシロヌシに判断を委ねます。
コトシロヌシが国譲りに同意すると、「もう一人の子どもであるタケミナカタにも聞いてほしい」と、言いました。
タケミナカタはすぐには賛成せず、「力比べで勝負してきめよう」と、タケミカヅチに挑みますが、敗れて逃げ出し、信濃の諏訪湖で追い詰められてついに国譲りに同意しました。
二人の子どもが同意したのを知り、オオクニヌシもついに国譲りを受け入れ、「その代わりに、私の神殿を皇孫が天つ日継ぎを受け、統治する立派な宮殿と同じくらい立派なものにしてください」と望みます。
願いはかなえられ、多芸志の小浜に大きな神殿が造られました。
これが出雲大社の起源です。
そして、オオクニヌシは、そこに鎮座して、コトシロヌシにやはり自分の子である、百八十神を統率させました。




