バベルの塔 エ・テメン・アン・キ バビロニア捕囚
《1》 バベルの塔。
《2》 エ・テメン・アン・キ神殿。
《3》 バビロニア捕囚。
今回は、聖書にて語られた大洪水以降の世界を語ります。
この世界で、人類は以下にして以前の罪と同じく、神に対する反逆を行ったのか。
まずは、バベルの塔から。
《1》 バベルの塔。
大洪水で方舟に乗っていた、ノア達一家が助かった後。
その孫である、バビロニア王国のニムロド王は天へ届くほどの塔を立てる計画を立案しました。
全ての地は、同じ言葉と同じ言語を用いていた。
東の方から移動した人々は、シンアルの地の平原に至り、そこに住みついた。
そして、さあ煉瓦を作ろう、火で焼こうと言い合った。
彼らは、石の代わりに煉瓦を、漆喰の代わりにアスファルトを用いた。
そして、言った。
さあ、我々の街と塔を作ろう。
塔の先が天に届くほどの。
あらゆる地に散って、消え去ることのないように、我々の為に名をあげよう。
主は、人の子らが作ろうとしていた街と塔とを見ようとしてお下りになり、そして仰せられた。
なるほど、彼らは一つの民で、同じ言葉を話している。
この業は、彼らの行いの始まりだが、恐らく、この事もやり遂げられないこともあるまい。
それなら、我々は下って、彼らの言葉を乱してやろう。
彼らが、互いに相手の言葉を理解できなくなるように。
主は、そこから全ての地に人を散らされたので、彼らは街づくりを取りやめた。
その為に、この街はバベルと名付けられた。
主が、そこで全地の言葉を乱し、そこから人を全地に散らされたからである。
偽典の「ヨベル書」によれば、神はノアの息子たちに世界の各地を与え、そこに住むよう命じていた。
しかし、人々は、これら新技術を用いて天まで届く塔をつくり、シェムを高く上げ、人間が各地に散るのを免れようと考えた。
神は降臨して、この塔を見、人間は言葉が同じなため、このようなことを始めた。
人々の言語を乱し、通じない違う言葉を話させるようにしようと言った。
このため、人間たちは混乱し、塔の建設をやめ、世界各地へ散らばっていった。
第三十三、ヨベルの第二年週の第一年にペレグは妻を迎えたが、その名はロムナと言い、シナルの娘であった。
彼女はその年週の第四年に彼に男児を産み、彼はその名をリウと呼んだ。
彼は言ったものである。
見よ、人の子らはシナルの地に自分たちの都市と塔を建てようというそのふとどきな謀りごとのゆえに邪悪になった。
彼らは、アララテの地を去って東のほうシナルへ移った。
彼の時代に彼らは、これをつたって天にのぼろうと言って、塔のある都市を建てた。
こうして、彼らは建築にかかった。
四年週目に火で煉瓦を焼き、煉瓦が石の代用となり、塗り固めるための漆喰は海とシナルの地の水の泉から産するアスファルトであった。
彼らは都市を建てた。四三年間かかって建てた。
その間口はれんがが二〇三個ならび、れんがの高さはひとつの三分の一あり、その高さは五四三三キュビトと手のひら二つと一三スタディアに達した。
われわれの神、主はわれわれに言われた。「見よ、ひとつの民。
彼らがいったんことをおこしたからには彼らに不可能ということは(ひとつとして)ない。
さて、おりて行って彼らの言語をかき乱し、たがいに話が通じないようにしてやるか。
また各地の都市や民族の間に散らばらせてさばきの日まで意図の一致をみることのないようにしてやろう。
そこで主はおりられたが、われわれも、人の子らが建てた都市と塔を見るためにいっしょにおりて行った。
彼が彼らの言語をなにもかもかき乱されたので、彼らは互いに話が通じなくなり、都市と塔の建築を中止した。
このゆえに、神がここで人の子らのすべての言語をかき乱されたところから、シナルの全土はバベルと名づけられた。
またそこから彼らはおのおのその言語、民族にしたがって彼らのすべての都市に分散していった。
主はその塔に向けて大風を送って、これを地面に転覆せしめられた。
見よ、その塔はシナルの地、アッシリアとバビロンの中間にあった。人々はその名を崩壊と呼んだ。
《2》 エ・テメン・アン・キ神殿。
【エ・テメン・アン・キ】
天と地の基礎となる建物という意味は、メソポタミア文明の中でも、最古の文化を築いたと言われる、シュメール人が建設を開始した。
そして、工事が中断していた規模が小さく、荒廃していた物を、カルデア人の王国である新バビロニア王国時代に、紀元前7世紀末にナボポラッサル王が再建に着手した。
紀元前6世紀前半に、その長男ネブカドネザル2世王の時に完成した、バビロンのマルドゥク神殿の中心部に築かれたジッグラト聖塔のこと。
軍神マルドゥクは、バビロニア王にエサギラの修復を命じ、神殿の土台を冥界の奥深く堅く定め、その頂を天と等しくするよう要求したという。
底面約91メートル❌約91メートル。
高さ約90ー91メートル。 (高さは推定)。
の7層建てであり、各層が七曜を表し、1階が土星、2階が木星、3階が火星、4階が太陽、5階が金星、6階が水星、7階が月であった。
これは、バビロニアの天文学で、地球から遠い順に。
土星。
木星。
火星。
太陽。
金星。
水星。
月。
~~と、考えられていた事に基づく。
各層には、神室があり、頂上である7階には神殿、至聖所があったと推測される。
これらのことは、【シェーンコレクション】。
ノルウェーの実業家マーティン・シェーンが設立した書物収集団体が所有する、紀元前604年〜~562年頃の黒い石碑に刻まれた碑文と絵と、現在はバビロンの遺跡にわずかに残る遺構から判明している。
現代の学者スティーブン・L・ハリス。
カリフォルニア州立大学サクラメント校などによれば、旧約聖書・創世記のバベルの塔の挿話は、バビロン捕囚時代に、エ・テメン・アン・キに影響されたと考えられている。
《3》 バビロニア捕捕囚。
ユダ捕囚民の大部はバビロニアにある、ニップル市そばの灌漑用運河である、ケバル川沿いに移住させられた。
⭐️ エゼキエル書による。
この地域はかつて、アッシリア人の要塞があった。
だが、新バビロニア勃興時の戦いによって荒廃しており、ユダヤ人の移住先にここが選ばれたのは減少した人口を補うためであったと考えられる。
一方で、職人など熟練労働者はバビロン市に移住させられ、主として、ネブカドネザル2世が熱心に行っていた建設事業に従事することになった。
エゼキエル書などの記録から、当初ユダの捕囚民達は、このバビロニアへの強制移住は一時的なものであると考えていた。
間を置かず、新バビロニアは滅亡して故国へ帰還できると言う楽観論を持っていたといわれているからだ。
これに対して、エレミヤとエゼキエル達は、エルサレム神殿の破滅が近いことを預言し、繰り返し警告を与えたが。
救いの預言者と呼ばれた人々は楽観論を吹聴して回り、捕囚民達は滅びの預言に耳を傾けることはなかった。
しかし、上述した如く紀元前586年にエルサレム神殿が破壊されると、ユダの捕囚民に広がっていた楽観論は粉砕された。
すぐに故国に帰れるという、ユダヤ人の希望は幻と消え、長期に渡って、バビロニアに居住することになった、彼等は現地の文化の著しい影響を受けた。
1、2世代を経るうちに、捕囚民の中にはバビロニア風の名前を持つ者が数多く現れた。
エホヤキン王の孫ゼルバベル。
バビロンの種と言う意味・・・の例に見られる如く、王族の間ですら、その傾向は顕著であった。
また、ユダヤ人とともに。
ツロ人。
ビュブロスの大工。
エラム人。
メディア人。
ペルシア人。
エジプト人。
ギリシア人。
などの名が上げられており、広範な地域から人間が集められた事がわかる。
ユダヤ人のバビロン捕囚は、こういった強制移住政策について、今日最も詳細に記録が残されたものとして重要性を持つ。
バベルの塔は、神による雷が落ちたことにより、人々は混乱してしまい、別々に言語を話すようになった。
また、それにより建設を放棄してしまったと。
これには、理由があります。
バベルの塔は、労働者たちが年代別に階層化してしまい、それゆえに言語も別々になった。
結果、建設が放棄された。
バベルの塔は、干乾し煉瓦を焼くために木を伐採しすぎた。
それによる環境破壊で、建設が放棄されたと。
このように考える学者も存在します。
私としては、外国人労働者を雇い過ぎていた為に、彼等が職業や出身地別に派閥化したと考えます。
鳶職、石工、大工、土木労働者、奴隷、それらを監督するバビロン兵士と。
まあ、日本では職人や労働者と言うのはヤクザな部分がありますからね。
それに、アメリカでは地域や民族別にギャングが結成されたりと。
そんな各地から集められた人々に対して、環境破壊か、神の罰か分かりませんが落雷が落ちました。
結果、現場監督や兵士たちが驚いて逃げ出してしまいます。
それにより、上からの命令や見張りが居なくなった労働者たちが一斉に混乱して砂漠に逃げ出した。
それが、建設が放棄された理由だったのでしょう。




