ギリシャ神話、青銅の時代+英雄の時代 英雄ヘラクレスのヒュドラ退治 デウカリオーンの洪水
《1》 ギリシャ神話には海の怪物と戦う英雄の話が数多くある。
《2》 デウカリオーンの大洪水。
《3》 死の神との対決。
今回は、この三つの神話を語ります。
《1》 ギリシャ神話には海の怪物と戦う英雄の話が数多くある。
(1) ヘラクレスのヒュドラ退治。
ヒュドラは、ギリシア神話を代表する怪物の1つで、ヘーラクレースによって退治された。
これは、ヘーラクレースが行った12の功業の1つとして知られている。
ヒュドラとは、古典ギリシア語で水蛇を意味するが。
神話では、アルゴリス地方のレルネーに住む怪物のことを指す。
ヘーシオドスによれば、女神ヘーラーがヘーラクレースに対する恨みの感情から育てたとされる。
ヒュドラーは、巨大な胴体に9つの首を持つ大蛇の姿をしていたが、首の数については100とする説もある。
もっとも、パウサニアスはヒュドラーの頭は元々は1つだったと考えており、ロドス島のカメイロス出身の詩人ペイサンドロスが恐ろしさを強調するために多頭の姿で描いたと述べている。
ヘーシオドスは、ヒュドラーの姿については触れていない。
後代の絵画などでは前足と後ろ足、翼を持った姿で表される事もある。
ヒュドラーは不死身の生命力を持っており、9つある首の内8つの首は倒すことが出来るが、すぐに傷口から新しい2本の首が生えてきたとされる。
加えて中央の首は不死だった。
ヒュドラーは猛毒の恐ろしさでも有名で、ヒュドラーの毒を含んだ息を吸っただけで人が死ぬほどだった。
また、ヒュドラーが寝た場所は猛毒が残っているために、その場所を通った者はさらに苦しんで死ななければならなかった。
しかも猛毒は解毒することが出来なかった。
その為、ヘーラクレースはヒュドラーを退治した後にその毒を鏃に塗って用いたが。
その矢傷は不治であり、決して癒えることがなかった。
そのことが、後にケイローンやポロスのような善良なケンタウロス族だけでなく、ヘーラクレース自身を死に追いやったと伝えられている。
ヘラクレスVSヒュドラ
神話によればヒュドラはアルゴリス地方のレルネーの沼地に住み、しばしば人里を荒して回った。
このため、ミュケーナイ王エウリュステウスはヘーラクレースにヒュドラーの退治を命じた。
これは、ネメアーの獅子退治に続く2番目の難行となった。
ヘーラクレースはヒュドラーの吐く毒気にやられないように、口と鼻を布で覆いながらヒュドラーの住むレルネーの沼地へとやって来た。
そしてヒュドラーの巣に火矢を打ち込み、ヒュドラーに立ち向かった。
しかし、ヒュドラーの首を棍棒で叩き潰しても、傷口からすぐに2つの首が再生し、倒せば倒すほど首が増えてしまうことに、ヘーラクレースは気が付いた。
ヘーラクレースは、甥のイオラーオスに助けを求めた。
イオラーオスは首の傷口を松明の炎で焼き焦がす方法を思いつき、次々に傷口を焼いて再生するのを防いだ。
ヒュドラーを殺すには、真ん中にある1つの不死身の首を何とかしなければならなかったが、ヘーラクレースはその首を切断し、巨大な岩の下敷きにして倒した。
そしてヒュドラーはうみへび座となった。
一説によると、ヘーラクレースの死を願う、ヘーラーはこの戦いで、彼の足を切らせるために化け蟹カルキノスを送り込んだという。
しかし、ヘーラクレースは怒ってこれを踏み潰してしまっていた。
そして、この蟹が、かに座となった。
しかし、エウリュステウスは、この苦行は一人で行われなかったため達成されなかったと言い渡し、12功業の中には入れなかった。
ヒュドラーの毒。
戦いの後、ヘーラクレースはアテーナーの助言に従い、ヒュドラーの体を切り裂いて猛毒を含んだ胆汁を取り出し、自分の矢に塗って、その後は戦いに用いた。
ヘーラクレースの膂力と、ヒュドラーの毒の力で、彼の矢は一撃必殺の武器となった。
その威力を最初に知らしめたのは第4の難行、エリュマントスの猪の生け捕りである。
ヘーラクレースはエリュマントス山に向かう途中、ケンタウロス族との間にトラブルを起こし戦いとなった。
ヘーラクレースはヒュドラーの毒を塗った矢を放ち、ケンタウロス族を倒しながらペロポネーソス半島の東南端のマレアー岬に追い詰めた。
さらにケンタウロス族の賢者ケイローンのもとに逃げ込んだケンタウロス族を討とうとした。
ところがヘーラクレースの放った矢はエラトスの腕を貫通してケイローンに当たってしまった。
ケイローンは酷く苦しんだが、ケイローンの薬も効果はなく、不死ゆえに死ぬことも出来なかった。
また、ヘーラクレースをもてなした、ポロスは彼の矢の威力に驚いて矢を手に取ったが、手を滑らせた拍子に鏃が脚を傷つけ、ヒュドラーの毒で死んでしまった。
後にケイローンは毒の苦痛に耐えきれず、プロメーテウスが解放された際に不死を返上することで苦痛から解放された。
さらに後、ヘーラクレースは妻デーイアネイラを攫おうとしたネッソスをヒュドラーの毒を塗った矢で射殺した。
ネッソスは死に際にデーイアネイラに・・・。
「自分の血は媚薬の効果がある、夫が心変わりしそうになったら彼の衣服に塗るといい」
と、吹き込んだ。
デーイアネイラは後に実行したが、ネッソスの血には矢を通して、ヒュドラーの毒が混じっていた。
そのため、ヘーラクレースの体を蝕み、ヘーラクレースは癒されぬ苦痛に耐えかね、我が身を焼き尽くすことを選んだ。
こうしてヘーラクレース自身もヒュドラーの毒によって人間としての生に終止符を打つことになった。
(2) ペルセウス、アンドロメダーとの結婚。
メドゥーサの首を袋に入れて飛行中のペルセウスは、母カッシオペイアのために海神ポセイドーンの怒りを買い、生贄とされかけていたエチオピアの王女アンドロメダーを見つけた。
ペルセウスは彼女の父ケーペウスにアンドロメダーと結婚する許可を得ると、海の怪獣と戦って倒し、アンドロメダーを救った。
ところが、アンドロメダには元々ピーネウスという婚約者がおり、仲間を率いて婚礼の宴に現れ、ペルセウスを亡き者にしようとした。
宴は戦争のような混乱に包まれたが、ペルセウスはピーネウス等一党にメドゥーサの首を見せて石と化した。
アンドロメダーと結婚したペルセウスはセリーポス島に戻ると。
ポリュデクテースに、メドゥーサの首をつきつけて石にし、祭壇に逃れていた母とディクテュスを助け出した。
そして、恩義あるディクテュスを新たな王に就けた。
セリーポス島が岩だらけの島になったのは、メドゥーサの首によるものだと言われる。
(3) 河の神との対決。
ヘーラクレースが、カリュドーン王オイネウスの娘デーイアネイラに求婚していた時、河の神アケローオスもデーイアネイラに求婚をしていた。
両者は、デーイアネイラを巡って激しい戦いを繰り広げた。
アケローオスは濁流を打ち付け、様々な姿に変身してヘーラクレースを翻弄したが。
雄牛の姿になったとき、片方の角をヘーラクレースに折られてしまった。
アケローオスは、その腕力に降参し、その後はアケロースの川底で傷口を癒した。
河の神に勝利した、ヘーラクレースはデーイアネイラと結婚することになり、彼女との間に子供をもうけた。
河の神アケローオスは大人しくなったが、毎年春になると傷跡から、この戦いでの敗北を思い出し、怒りのあまり洪水を引き起こすという。
他にも、ヘーシオネーを救うために、ヘラクレスによって、ケートスが倒される逸話もある。
《2》 デウカリオーンとピュラーの大洪水。
デウカリオーンの洪水で知られる世界中の神話や伝説に共通して見られる大規模な大洪水伝説だが。
紀元前3000年頃のメソポタミアで起こった大洪水の記録であるとする説が有力である。
デウカリオーンの大洪水神話は、この記録と、ギリシアで起こった大洪水の伝承とが重なったものと考えられている。
また、ギリシア神話には本項で述べるデウカリオーン以外に、クレータ島の王ミーノースの子でイードメネウスの父となったデウカリオーンが、別人として登場する。
リュカーオーンと息子たち。
ゼウスが洪水を起こした原因は、次のようなものである。
ペラスゴスの息子リュカーオーンとその子たちは、不信心のために神々の怒りを買った。
リュカーオーンは当初アルカディアにゼウス・リュカイオスの信仰を広めたが。
神に祈る際に、人間の少年を生贄としたことにより、ゼウスによって狼の姿に変えられた。
リュカーオーンの家は、ゼウスの雷霆で焼き払われた。
リュカーオーンの息子たちは22名とも50名ともいうが、その悪行の噂はオリンポス山にも知れ渡っていた。
ゼウスは貧しい旅人に変装して、リュカーオーンの息子たちのもとを訪れた。
彼らは旅人に臓物入りのスープをすすめたが、スープには、羊や山羊の臓物だけでなく、彼らの兄弟の一人ニュクティーモスの腸が混ぜてあった。
ゼウスはこれを見破り、リュカーオーンの息子たちを狼の姿に変え、ニュクティーモスだけは生き返らせたという。
別説では、息子たちが殺したのはニュクティーモスではなく土地の少年であり、ニュクティーモスが生き残ったのは、ガイアがゼウスを止めたからであるという。
大洪水。
ゼウスは、これらのことで人間に嫌気がさし、絶滅させてしまおうと、地上に大洪水を起こした。
南風とともに豪雨が起こり、恐ろしい速さで海の水かさが増した。
沿岸や平野にある全ての都市が流され、世界は僅かな山の頂以外は水浸しとなった。
しかし、デウカリオーンは父プロメーテウスから警告を受けていた。
なので、いち早く方舟を作って食料を積み込み、妻ピュラーとともに乗り込んでいた。
九日間水上を漂い、ようやく水が引くと、方舟はパルナッソス山に漂着した。
これにはエトナ山、アトス山、オトリュス山という説もある。
デウカリオーンはゼウスに生贄を捧げると、ピュラーとともにケーピーソス河のほとりにあるテミスの神殿で祈りを捧げた。