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ガザ紛争

 ガザ紛争。



 これは、2008年12月から2009年1月にかけてだが。


 イスラエル国防軍&パレスチナ自治区・ガザ地区を統治するハマースとの間で行われた紛争である



 概要。



 イスラエル国防軍の作戦名は、キャストレッド作戦。


 =鋳造された鉛の意味である。


 ユダヤ教・祭日であるハヌカーの際、子供達に与えられるドレイドルという独楽を指している。


 イスラエルに批判的なアラブ諸国などでは、ガザの虐殺と呼ばれている。



 この時点では、第四次中東戦争=1973年10月、以来最大規模、死傷者を出した紛争となった。



 パレスチナ側では民間人を含む、1300人以上が死亡したが。


 犠牲者の大多数は一般市民であった。


 特に、死傷者の1/3は子供で、未成年・被害者が特段に多い紛争となった。



 これまでにだが。


 市民への無差別攻撃。


 怪我人搬送に走行していた国際赤十字・救急車両への攻撃。


 国際連合が運営し、避難所として、イスラエルへも通告していた女学校への無差別空爆。


 幼児への無差別銃撃。



 ~~など、数多くの戦争犯罪が判明している。



 背景。



 イスラエルとハマースの間では、2008年6月から半年間にわたって、停戦協定が結ばれた。


 6月19日、エジプトによる仲介で、ハマースとイスラエルは6ヶ月間の停戦に踏み切るが。


 断続的に衝突が続いた。



 そして、12月に入り、再度エジプトが仲介した事による下で、戦延長の交渉が持たれたが。


 ハマース側は、イスラエルがガザの封鎖解除に応じない事を問題視した。


 その結果、延長を拒否したため、12月19日に失効した。



 停戦期限が切れる前の11月4日夜。


 イスラエル軍は、ガザ中部に侵攻し、戦闘や空爆でハマースの6人が死亡した。


 ハマースは5日、イスラエルに向けて、30発以上のロケット弾を発射したが、被害はなかった





 しかし、イスラエル軍は11月12日、再び越境攻撃でハマースの4人を殺害。


 ハマースは14日。


 ガザから約10キロ北にあるイスラエル中部の中核都市アシュケロンだが。


 ここに、より高性能の旧ソ連型ロケット弾を撃ち込んだ。



 けが人はなかったが、イスラエル軍は大規模空爆など攻撃拡大に踏み切るとみられていた。



 イスラエルでは、2009年2月に総選挙を控えていたが。


 攻撃前の段階で、対パレスチナ強硬派の野党・リクードが支持を拡大していた。


 また、与党・カディマも弱腰な姿勢を見せることはできない。


 ~~として、大規模な報復攻撃を実行することとなった。



 また、2009年1月20日・敵との対話を掲げるアメリカ・オバマ政権、発足前にだが。


 ハマースを弱体化しておきたいとする、イスラエルの思惑があったという論調もある。



 経過。



 イスラエル軍による空爆。



 2008年12月27日、現地時間午前11:30、UTC午前9:30。


 イスラエル空軍が、ガザ地区全土に大規模な空爆を開始した。



 2009年1月3日の地上侵攻までの死者は430人にのぼった。



 地上侵攻



 1月3日、イスラエル軍はガザ地区への大規模な砲撃の後だが。


 歩兵、戦車、砲撃隊などの隊列が侵攻を開始し、事態は市街戦に発展した。


 ハマースとの激烈な戦闘が行われている。



 ガザ地区では、空爆や砲撃によって自宅を失った一般市民4000人が更に避難民と化した。



 1月6日。


 イスラエル軍が、国際連合パレスチナ難民救済事業機関《UNRWA》の運営する避難所となっている学校を砲撃。


 少なくとも40人が死亡した。



 これに対して、イスラエル軍は同施設の付近からハマース側の攻撃があったら、


 そのために加えた反撃であると主張しているが。



 UNRWAや地元住民は、現場に戦闘員はいなかったと否定している。



 1月7日。


 イスラエル軍は、国際機関らによる援助物資・搬入のためだが。


 27日の攻撃開始以来初めて、3時間程度戦闘を停止した。



 停戦への動き。



 戦闘開始が年末で、多くの諸外国がクリスマス及び、年末年始で休暇時期に入っていたこと。


 これらの理由から停戦調停が遅れ、戦闘が長引く要因になった。



 ハマース代表団は、1月9日夜、カイロ入りし、仲裁国のエジプトと停戦交渉に入った。


 エジプトによる停戦案に、イスラエル側は原則同意の方針を示したが。


 ハマースの在外指導部は、これを拒否した。



 その他にも、国際連合やフランスなどから停戦案が提示されたが、どれも合意には至らなかった。



 戦闘開始から3週間たった1月17日。


 イスラエルは一方的な停戦宣言を出し部隊の引き上げを始めた。


 ただし、この停戦は上記のエジプト仲介による停戦プロセスとは関係がない。


 直後、ハマースも抗戦を停止した。


 その後、イスラエル軍はアメリカのバラク・オバマ新大統領が就任した20日にだが。


 ガザの市街地から撤退を完了した。



 戦闘後。



 戦闘停止後、各国・団体によるガザへの復興支援が始まったが。


 イスラエルとエジプトが、国境封鎖と検問を継続しており、生活用品の運搬にも支障が出ている。



 1月27日。


 エジプト政府が停戦協定を、2月5日前後に発効させる方向で調整をしていると報じられた。



 同27日、境界付近で爆発が起こり、パトロール中のイスラエル兵1人が死亡。


 イスラエルは、直ちにガザ方面へ反撃し、農民1人が殺害された。


 イスラエルは、人道物資支援の検問所を全て閉鎖した。



 現在も、散発的にガザから迫撃砲が撃ちこまれている。


 それに対して、イスラエル軍が反撃するなど小規模な戦闘は今も続いている。



 それ故、ガザ境界近くに住むイスラエル人住民の間からだが。


 問題・根本的解決のためにガザ再攻撃を望む声が強まっていた。



 国際社会の反応。



 日本。



 麻生太郎首相は2008年12月31日、イスラエルのエフード・オルメルト首相と電話で会談し、速やかな空爆の停止を求めた。


 また、パレスチナに対して援助を与える事を表明している。


 国連人権理事会に提出された、イスラエル非難決議案だが。


 これには、イスラエル批判に傾重しているとして棄権した。


 日本は、パレスチナ問題に対してだが。


 どちらか一方に肩入れする事はなく、一貫して中立の姿勢をとり続けている。



 国連。



 1月8日。


 国際連合安全保障理事会は、即時かつ恒久的な停戦と、イスラエル軍の撤退を求める決議だが。


 これを、賛成14、棄権1=アメリカで採択。



 イスラエル・ハマース双方決議を黙殺した。



 また同8日。


 国際連合パレスチナ難民救済事業機関だが。


 イスラエルの攻撃で職員が殺害された事を理由にガザ人道活動援助を11日まで全面停止した。



 翌9日。


 国連人権理事会は、イスラエル非難決議案だが。



 賛成33、反対1=カナダ、棄権13=日本・欧州で可決した。



 15日。



 潘基文事務総長が、イスラエルを訪問したが。


 直後に、パレスチナ難民救済事業機関本部の敷地内が攻撃を受けた。


 これにより、強い抗議と怒りを表明。



 イスラエル政府は陳謝した。



 フランス。



 ジョージ・W・ブッシュ大統領の任期切れ間近を背景にしてだが。


 本格的な行動を取らないアメリカとは対照的に、積極的に停戦交渉に乗り出した、フランス。


 ニコラ・サルコジ大統領であった。



 サルコジ大統領は、2009年1月5日から中東入りした。



 エジプトのホスニー・ムバーラク大統領。


 パレスチナ自治政府のマフムード・アッバース議長。


 イスラエルのエフード・オルメルト首相と会談。



 1月6日には、シリアのバッシャール・アル=アサド大統領。


 レバノンのフアード・シニオラ首相とも会談している。



 また、パリにあるイスラエル大使館前には多くのユダヤ系住民が詰めかけた。


 そして、ガザ攻撃を正当防衛として、支持するデモ活動を行った。



 アメリカ合衆国。



 コンドリーザ・ライス国務長官は、2008年12月27日。


 事件に関して、ハマースを非難する声明を出した。



 続いて、12月30日。


 ブッシュ大統領はパレスチナ自治政府のアッバース議長。


 サラーム・ファイヤード首相と電話で会談し、停戦に向けて協議を行った。



 年が明けて、1月3日には、国民向けラジオ演説で情勢悪化の責任はハマースにあると非難した。


 一方で、1月20日に新大統領に就任予定のバラク・オバマは1月6日。



「ブッシュ大統領だけが米国を代表して発言し得る」


 ~~として、就任まで明確な意見を表明しない方針を示した。


 大統領は1人と言う原則に従っているオバマではあったが。


 こう言った態度に関しては、イスラエル・パレスチナ双方から不満の声があがっていた。



 1月5日付のニューヨーク・タイムズは。


「オバマ氏はイスラム圏の多くの識者を落胆させた」


 ~~と指摘した。



 オバマは、大統領就任後の1月21日に、米国のイスラエル支持を明確にする一方。



 パレスチナ・ヨルダン・エジプトなど。


 アラブ諸国の各首脳と電話会談を行い、平和的解決に対応を行った。



 ロナルド・レーガン政権当時の財務次官補、ポール・クレイ・ロバーツは2009年1月8日。


 独立系メディアのインフォメーション・クリアリングハウスにだが。



 米国の恥と題する小論を寄せた。


 論内では、なぜイスラエルにのみ生存権が容認され、パレスチナには否定されているか。


 アメリカよ、60年前から続くイスラエル製・嘘で凝り固めた無知の中にいるがよい。


 ~~と、見て見ぬ振りを続ける連邦政府と多数のアメリカ国民を非難した。



 近隣諸国。



 シリアが国連に上述の決議案を提出した。


 また、エジプトが調停に向けた独自の動きを展開するなど。


 事態収拾に向けた動きはあったが、成果は得られなかった。



 また、反イスラエル感情により、イスラエル人のテニス選手はアラブ首長国連邦に入国拒否された。




 南米。



 反米国家である、ベネズエラ、ウゴ・チャベス&ボリビアのエボ・モラレス両大統領。


 =ともに当時は、イスラエルに対して強硬な姿勢を見せた。



 1月6日、ベネズエラは同国駐在のイスラエル大使を追放した。


 また、1月9日、ガザ地区に向け救援物資を発送した。


 1月14日、ボリビアはイスラエルと断交を宣言し、直後にベネズエラも同様の措置を発表した。



 その他、団体。



 1月7日。


 ローマ教皇庁のレナート・マルティーノ議長は。



「ガザは巨大強制収容所だ」


 ~~と、イスラエルを批判した。



 1月10日。



 人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチは、イスラエルの攻撃に白リン砲弾が使われたとしてだが。


 使用中止を求める声明を発表した。


 なお、白リン砲弾を使用する事に対する問題の有無は議論が分かれている。



 1月8日、国連のホームズ緊急援助調整官室長が出した発表によると。


 パレスチナ人犠牲者が、8日まで約760人に上った。


 うち子供が、約3分の1である事を明らかにした。



 また14日、犠牲者が1000人を突破。


 これまで最高だった、2002年の死者数989人を僅か2週間で更新した。


 最終的な死者は、1300人を突破した。


 イスラエル側の死者は13人(うち民間人3人)で、4人は味方の誤射によるものだった。


 また、市民に対して、白燐弾などを用いた無差別攻撃。


 幼児に対する無差別銃撃などが報道され、人権団体からの非難を浴びた。



 ガザ市の人権団体、パレスチナ人権センターは3月19日。


 パレスチナ側・総死者数は、1417人に上ったと発表して、全員の氏名を公開した。



 それによると、926人が民間人で、うち313人が18歳未満の子供、116人が女性。


 戦闘員が236人、警察官が255人だった。



 一方、イスラエル軍は3月26日。


 パレスチナ側の死者は1166名で、709人がハマースなど、戦闘員であると発表した。


 =イスラエルは、警察官も戦闘員と見なしている。



 民間人は295人。


 うち89人が16歳未満、49人が女性で、残る162人は特定できていないとしている。



 中国の武器横流し疑惑。



 ハマースの使用したアサルトライフルやロケット弾が中華人民共和国製である事が確認されている。


 よって、中国が第三国経由で武器・弾薬を横流しした疑惑が持たれている。



 ただ当の中国政府は武器を売却している事を否定している。

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