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イスラエル建国

現在、イスラエルによる、パレスチナのガザ地区が激しい侵攻を受けています。


 イスラエルは国が出来てから、周辺諸国と対立を繰り返し、四度に渡る戦争を行いました。



 さらに、その後も武装勢力とは、戦闘が現在まで続いています。



 イギリスの行った、サイクス=ピコ協定と言う密約が主な原因です。


 第一次世界大戦より少し前、中東はオスマン帝国が支配していました。


 そこで、オスマン帝国を倒すために策謀を張り巡らすイギリスは、ある手段を行います。


 それは。



 アラブ人には、アラブ人の国を作らせると。

 ユダヤ人には、ユダヤ人の国を作らせると。

 フランスには、植民地を与えると。


 イギリス政府は、アラブ人からは、オスマン帝国に対する武力を欲しました。


 また、ユダヤ人からは資金力が必要でした。


 さらに、フランスの軍事力も味方に着けておこう。



 こう考えた結果、イギリスとの戦いで、オスマン帝国は第一次世界大戦で敗れます。


 が、結果は帝国の分裂を生んだだけに終わります。


 また、この戦争で敗北したドイツ軍には、ある陰謀論が流れます。


 それは、ルーデンドルフ将軍を含む軍人たちや一般兵に至るまで、ドイツが負けたのは理由がある。


 これは、ユダヤ人が背後から攻撃したから負けたんだと。



 ドイツ軍は、前線では勝利を続けてましたが、後方の母国は食料すらない有り様でした。


 これにより、敗戦したことを知らないドイツ兵たちは、責任をユダヤ人に押し付けたのです。


 これは、背後の一突き・または背後の一突き論と呼ばれます。



 結果、第一次世界大戦で、ロシア帝国軍の支配地域を解放した、ドイツ人は優しかった。


 しかし、第二次世界大戦で来た、ドイツ人は優しくなかった。


 そう語るユダヤ人も居ました。



 また、第一次世界大戦後、生まれた共産主義者と右翼勢力の対立ですが。


 共産主義者の中には、ユダヤ人が多数存在したため、誤解が生まれました。


 共産主義=ユダヤ人、つまりユダヤ共産主義だと。



 この考えにより、ナチス・ドイツを含むヨーロッパ極右勢力は、ユダヤ人を虐殺します。



 ガス以外にも、様々な方法で…………です。



 ⭐️ 実際には、共産主義者により、ユダヤ人も多数処刑されていました。



 ⭐️ ユダヤ人は、古代から弾圧されています。



 古くは、古代オリエントの時代から、キリスト教が成立して以降。


 さらに、イスラム教による弾圧、様々なヨーロッパ諸国での差別など。



 ⭐️ ユダヤ人が、差別される理由。



   ユダヤ人は、差別されており、普通の職業には就職できなかった。


   そこで、金融業など人が嫌がる仕事や、他の人が禁止されついる職に従事しました。


   結果、貧乏人からは恨みの籠った眼で見られます。


   また、ユダヤ人から金を借りた権力者が、支払いを拒み、異端者であると言って処刑したとか。


   東欧では、ハイダマク・またはハイダックと言われる運動が盛んに鳴ります。


   これは、バルカン諸国やウクライナなどが行った、オスマン帝国に対する反乱運動でした。


   この他、ロシア帝国に対する蜂起など、様々な反乱運動が展開されました。


   しかし、反乱が鎮圧されると、処刑を恐れた反乱軍・指導者が言い訳をします。


    これは、国に対する反乱ではなく、ユダヤ人に対する反乱運動だったと。


   当時、税金を取り立てる仕事に、ユダヤ人を雇用してた国が多数存在しました。


   こうして、国ではなく、ユダヤ人に対する恨みを庶民が持つようにするためです。



 さて、話を戻します。



 1918年に起きた、中央同盟国の敗戦は輝かしい栄光を協商国エンテンテにもたらしませんでした。


 1918年中に、ロシア革命が勃発します。


 また、旧中央同盟国や中央アジアなどで、様々な勢力が紛争を始めました。


 

 しかも、民族運動が盛んになり、現在のパレスチナ&イスラエルですが。


 ここでは、アラブ人とユダヤ人が対立し始めます。


 後に、アラブ人&一部ユダヤ人の中に、パレスチナ人と言う概念も生まれました。



 ⭐️ 一部のユダヤ人。



   古くからパレスチナに住む、ユダヤ人の中にはイスラエル政府や軍を批判する人々も存在する。


   このユダヤ人たちは、アラブ系であり、人種的にはイスラム教徒と変わらない。


   対するイスラエル人は、東奥系の白人系ユダヤ人である。



   イスラエルが政府を作るまで、パレスチナ地域では、アラブ人と仲良く住んでいた。



 ⭐️ アラブ人の過激派。



   しかし、アラブ人の中には昔から過激派ムスリムが存在する。


   彼らは、穏健派やアラブ側に味方するパレスチナ系ユダヤ人すら攻撃していた。



 1937年には、パレスチナ独立戦争が始まりました。


 この年、スペイン内戦や日中戦争が勃発しています。


 ドイツは、スペインではモロッコからの反乱軍である、フランコ派を応援しました。


 また、中国では陸軍と財界により、多数のドイツ製、武器・兵器が輸出されました。


 パレスチナでも、ドイツ製の機関銃が使用されている写真が存在します。



 つまり、ドイツは兵器を輸出したり、軍事顧問を派遣していたんでしょう。



 このあと、ナチス・ドイツと同盟国は、第二次世界大戦で、ユダヤ人を虐殺しまくります。


 また、ソ連軍も、ユダヤ人・その他を関係なく虐殺しまくりました。


 ナチスは、主に都市部のインテリ層やユダヤ人、を狙いました。


 ジプシー、共産主義なども攻撃しましたが。


 ソ連は、都市部から田舎まで無差別な殺戮を繰り返しました。



 この結果、戦後ユダヤ人は、ユダヤ人国家を求めるシオニストとして活動します。


 イギリスにより、ユダヤ人は難民として、パレスチナ地域に送られました。


 そこで、イスラエル建国を宣言します。


 それに、反対するアラブ人による対立運動が劇化して、周辺国や他勢力を巻き込みました。


 これが、第一次中東戦争です。



 次回から詳しく書いていきます。



 また、間違いが有りましたら指摘して下さい。



 ⭐️ ポーランドのユダヤ人。



   カチンの森事件は、ソ連軍によるユダヤ人虐殺でしたが、ドイツが犯人にされました。


   この事件では、ドイツは無罪なんですが、ユダヤ人に対する虐殺自体は行われてます。


   また、被害者であるとするポーランド政府もまた、歴史的にはユダヤ人を虐殺しています。


   さらに、戦後はユダヤ人・共産主義者により、ポーランド人が虐殺されています。

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