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西暦最大の火山噴火 タンボラ噴火

今回は、近代最大のタンボラ噴火が、世界にどれだけ悪影響を与えたか。


 それを語ります。



 ……が、その前に。


 2024年、赤蛇が甦る・赤蛇が白蛇の背中に達する……とは火山噴火を意味するかと。


 他にも、左翼勢力が暴れまったり、中国軍による奇襲攻撃がある事を含んでいると思われますが。



 まあ、とにかく今から、タンボラ火山噴火の事を説明します。




 《1》 西暦最大の火山噴火。 タンボラ噴火・解説。



 1815年、タンボラ山の大噴火は、記録に残る中では、人類史上世界最大・火山噴火である。



 噴火規模だけでなく、犠牲者数も世界噴火史上最大であり、史上最悪の火山災害となった。



 本項では、この大噴火と、それによってもたらされた世界的な影響について解説する



 大噴火を起こしたのは、現在のインドネシア・スンバワ島。

 当時はオランダ領東インドにある活火山、タンボラ山である。



 タンボラは有史以降、数世紀にわたって長らく火山活動の記録がなかったが。

 1812年から火山活動を開始し、1815年4月に大噴火を引き起こした。



 大噴火は、1815年4月5日から始まる。


 爆発が、クライマックスを迎えたのは4月10日~~11日である。



 ⭐️ 活動そのものは、7月15日まで続いた。



 噴火に伴う大爆発音は、極めて広範囲に伝わり、1500キロ以上離れた場所でも聞こえたと言う。


 一説では、約1700~~1800キロ先でも聞こえた。



 噴煙は成層圏に達して、高さ40キロを超えた。



 1815年の大噴火で形成された、タンボラ山カルデラ。


 噴火によって、莫大な量の火山灰が噴出されて、半径約1000キロ範囲で降灰が確認された。


 火山灰により、500キロ離れたマドゥラ島では3日間にわたり、昼でも暗闇となった。


 噴火で発生した大火砕流は、25キロ離れた村を襲って集落ごと壊滅させた。

 また、海に流入して大津波を発生させ、直接の死者はおよそ1万人に達した。



 その後、世界中で蔓延した、飢餓や疫病なども含めると。

 約7万1000人〜~12万1000人が犠牲になったと言われる。



 ⭐️ 正確な犠牲者数については諸説あり。


 スンバワ島・中心集落であるタンボラでの口語であったタンボラ語だが。

 これは、集落が壊滅して、ほぼ全て話者が失われた事により、僅か48語を残して死語となった。


 この大噴火により、直径6キロ・深さ1100メートルもある、巨大カルデラが形成される。


 それにより、タンボラ山の標高は4000メートルから2850メートルへと低下した。


 約30立方キロメートルの山体が消失したとされる。



 アメリカ地質調査所とインドネシア火山局の調査によってだが。

 当時、壊滅した山麓にあった村の遺跡が2004年に発見され、家屋や人骨などが見つかった。




 有史以降最大級の噴火であった、タンボラ噴火だが。

 これは、火山爆発指数で、その爆発規模を示すとVEIー7となる。


 噴火の総合的なエネルギーは、1027エルグと推定されている。

 また、噴出物総量は、約150立方メートル、推定1700億トンであった。



 マグマ噴出量は、2、4❌1014キログラム。


 熱エネルギーは、2❌1020J。


 最大噴煙高度は、43キロメートル。


 最大噴出率は、2、8❌108キログラム/秒。


 噴火マグニチュードは、7、3とされる。



 噴火規模は、ウルトラプリニー式噴火と呼ばれる巨大噴火=破局噴火である。

 ポンペイを消滅させた、79年に発生した、ヴェスヴィオ山噴火の約20倍も規模が大きかった。


 また、1883年のクラカタウ噴火の約4倍。


 広島型原爆の約52000倍に相当する、エネルギーであったと見積もられている。



 ピッツバーグ大学の火山学者である、ジェイニーン・クリップナーは、こう語る。



「もしも、現代において、再び同規模の歴史的大噴火が発生すれば、世界中で、さらに多数の犠牲者が出るだろう」


 ーーと警鐘を鳴らしている。



 ⭕️ 地球規模の異常気象。



 史上最大級だった爆発であっただけに、この大噴火によって世界中に甚大な影響が及ぼされた。


 また、火山災害=犠牲者数としての面でも、史上最悪となった。


 噴煙や火山灰が成層圏に達して、火山性エアロゾルにより日射が遮られた=日傘効果。

 そのため、地球全体が気温低下し、世界各地に著しい異常気象がもたらされた。


 



 世界的に、平均気温が約1、7度も低下し、火山の冬と呼ばれる大規模な寒冷化をもたらした。


 大噴火が起きた1815年の夏は、北半球を中心に各地で異常なほど、低温となった。



 アメリカ北東部では、雪や霜が6月まで見られたほか。

 ヨーロッパでは、5月から10月頃まで長雨が続き、各地で不作・食糧不足となった。



 1816年の夏は記録的な冷夏であった。



 翌1816年。


 欧米では近代史上最も寒い年となり、夏のない年と呼ばれるほど世界的な低温が続いた。


 イェール大学に残る記録によれば、この年、夏は気温が平年より4度も低かったと言う。


 記録による、夏のない年だが。


 これは、西洋において最後で最大の危機とも称された。



 各地で、当然のように農作物が大打撃を受け、スイスなどヨーロッパでは深刻な飢饉が起きた。


 ハンガリーやイタリアでは赤い雪が降った。


 さらには、この大災害時に、コレラが初めて世界的に大流行したとも言われている。


 また、ナポレオンがワーテルローの戦いで敗戦に追い込まれた原因だが。


 その一つは、当時に降り注いだ大雨であるといわれる。


 フランス人作家、ヴィクトル・ユーゴーだが。


「レ・ミゼラブルの中で、ワーテルローの戦いについて……季節外れの雲に覆われた空が、世界の崩壊をもたらした」


 ーーと、言及した。



 噴火によるエアロゾル等の影響で世界各地で異常に鮮やかな夕焼けが見られた。

 エアロゾルが太陽を遮り波長の長い赤が強まったため、こうした現象が発生した。


 太陽から周辺には、ビショップの環と呼ばれる大きな輪が出現したと言う。


 なお、タンボラと夏のない年に関係があること自体は、長らくそう信じられてはきたが。

 科学的な根拠をもって、それが証明されたのは比較的最近のことである。



 ⭕️ 文化的な影響。



 世界的な異常気象は、当時の文学や芸術などにも少なからず影響を残した。


 例えば、フランケンシュタイン、吸血鬼などの文学作品だが。

 これらは、長雨が続く、スイス・レマン湖畔にて、外に出られない退屈をしのぐためにと。


 集まった貴族たちによる暇潰しで生み出された。



 ⭐️ ディオダティ荘の怪奇談義。



 実際、前者の作者であるイギリス人作家である、メアリー・シェリーだが。

 彼女は、当時の天候について、多湿で不愛想な夏と降りやまない雨によって外出できなかった。


 ーーと、言及している。



 異常気象により、移動用動物である馬の餌が不足した。


 これにより、ドライジーネなど、自転車の原型と言われる乗り物が、ドイツで代わりに考案された。


 また、前述の各地で確認された異常な夕焼けだが。


 イギリス人画家のジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーの作品などにも影響を与えている。


 例えば、チチェスター運河1828年など。


 ここでも、この時期に特徴的な薄い黄色い夕焼けが描かれている。



 ⭕️ その他。



 島村英紀によれば、1815年のタンボラ噴火で噴出された、マグマの量だが。


 それは、東京ドーム10万杯分であったという。



 タンボラは、1815年の大爆発以降も活火山として活動を続けている。


 最新の噴火は、1967年に起こっている



 ⭕️ 纏め。



 今回のタンボラ噴火自体は、予言とは直接関係ないですが。


 火山噴火が、どれだけ国際社会や世界全体に影響を与えるか、説明するために解説しました。



 次回からは、カスケード山脈に連なる火山などを紹介します。

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