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三十三 過渡

 お風呂場に向かう途中の、なんでもないはずの、家の中の景色が、なぜか、懐かしい物のように感じられ、シズクは、その場で足を止める。


 うーん? なんだろう? 目が覚めたばっかりの時も、なんか変だったんだよな。シズクは、そんな事を思いながら、再び歩き出し、脱衣所の前まで来ると、キッテは先にお風呂で待っていて。と言い、脱衣所の中を素通りし、お風呂場の中に入って、キッテをお風呂場の中に置いた。


「シズク。いつも手間をかけさせて悪いな」


「またそれ? いいよ別に。キッテは、本当はとっても優秀なAIだから、なんでも自分でできるって言うんでしょ? 自我とかいうのがあるとか、前の戦争の頃に大活躍していたとか、そういう話をお父さん達から、私が聞いてから、キッテは、そんな事ばかり言うようになったね」


 シズクは言いながら、脱衣所に戻る。


「まあ、あれだ。昔の俺は、自分の意志で動かせる体を持っていたからな。あの頃のような体を使えるようになれば、俺はなんでも自分でできると思うと、なんというか、こうして面倒を見てもらうのが悪くてな」


「なんだっけ? 前の戦争の頃の大活躍のせいで、使う体についての制限を受けているんだっけ? 話では、キッテの昔の事、あれこれと聞いているけど、私が知っているのは、今のその姿の縫いぐるみのキッテだけなんだから。私の前では、ずっと前からこんなふうに何もできない縫いぐるみだったんだから、そんな事気にしなくっていいと思う」


 シズクはキッテと会話をしながら、服を脱ぎ終えると、お風呂場の中に入った。


「じゃあ、キッテ洗うよ」


 シズクは言って、自身の体とキッテとを、シャワーで軽く流してから、シャンプーやリンスやボディソープを使って洗い、キッテの体ってもふもふだから泡切れが本当に悪いんだよね。と思いつつ、キッテの体を特に念入りにシャワーで流してから、キッテとともに湯船に浸かった。

 

「今の俺の体には、感覚などはないが、湯船に浸かるってのは、やっぱり気持ちがいいな。この雰囲気はとても落ち着く。こうしてると、なんだか、眠くなって来てしまう」


「キッテって生き物じゃないけど、眠るよね。……。ねえ、眠るっていう言葉を聞いて、思い出したんだけど、さっき起きてから、なんか変な感じが、なんていうか、ここじゃないどこかに、いたような気がしたりとか、今のこの家の中とかが、懐かしくなったりとか、そんな感じが、したんだよね。なんなんだろう」


 シズクは、両手で持っていたキッテの顔をじっと見る。


「それは、そうだろう。ここはシズクが本来いる世界じゃないからな」


「急に、何を言っているの?」


「どうやら、ここでは、俺にはそういう役目が振られてるらしいからな。本当は、シズクの好きなようにさせてやりたいが、俺にもできない事はある。さっきは、自分でなんでもできると言ったが、あれは大嘘だったみたいだ」


 シズクは、キッテの言葉の意味が分からず、首を傾げた。


「今の俺は、シズクが作りあげたキッテなんだ。分かるか?」


「全然分かんない」


 シズクはぽかんとしてしまう。


「そうか。そうだよな。さて、じゃあ、どうするか」


 キッテが何も言わなくなり、シズクも黙っていたので、お風呂場の中にある棚や天井に付いている水滴が垂れる音や、排水溝を流れる水の音だけが、お風呂場の中に響き始める。


「なあ、シズク。今のこの世界はどうだ? 居心地はいいか?」


「またそんな変な事言って。キッテ、どうしちゃったの?」


「いや。なんというか。言わなければいけない事があるんだが、俺がその事を言うと、シズクがな」


「さっきから本当にどうしたの?」


 シズクは、まさか、キッテ、壊れちゃった? と思う。


「シズク。どうした? そんな、急に、泣きそうな顔をして」


「だって。キッテ、さっきから変だし。壊れちゃったんじゃないの?」

 

 キッテが長く深い溜息を吐く。


「駄目だな俺は。どっちにしても、シズクを悲しませてしまうか」


「悲しませるって何? 嫌だよキッテ。壊れたりしないで」


「シズク。大丈夫だ。俺はどこにも行かない。シズクと一緒にいる」


「本当に?」


「ああ。俺は、自我を持ってるから、AIだが、人の気持ちが理解できる。だから、シズクを悲しませるような事はしないつもりだ」


「もう。つもりって何?」


 キッテの一緒にいるという言葉を聞いて、喜んでいたシズクだったが、つもりだという言葉を聞いて、もう。喜ばせておいて、なんなの。と思ったので、責めるように言う。


「絶対はないって事だ。どんな物にもな。遺伝子によって次世代に命の連鎖を繋いで行く生物にも、すべての物を新品に交換し、俺が俺であるという意識や自我といった形而上的な物ですらも、記憶装置がこの世界からその存在を失くすまで、保つ事ができる俺にさえもな」


「そんな事言うなら、私、また、泣くから」


「けれどな。シズク。意識の中では、俺達はいつも一緒にいるんだ。俺という存在が、この世界からすべて消えてしまっても、シズクの中にいる俺は、シズクが存在する限り、シズクの中からはいなくなる事はない。この世界というのは、そういう、誰かと、誰かの、その者同士が持つ世界が、重なり合ってできてるんだ。そして、その誰かの世界の元になってる、意識や自我といった物は、この世界のありとあらゆる物の中に存在する量子に働きかけ、その者の求める、望む世界を形作ってるという説がある」


「もう、なんなの。急にまたそんな事言い出して。意味が分かんない。……。でも、私にだって、そんなのは嘘だっていう事だけは分かる。だって、求める世界とか望む世界とかを作れるなら、私のいるこの世界は、こんなふうにはなってないもん。今、始まろうとしている、AI達と人類達との戦争なんて、絶対に起こるはずなんてないんだから」


 シズクは、どこか、自分の知らない遠い場所で始まった小さな戦争が、徐々に世界にその影響を広げて行っていて、自分の生活にまで入って来てしまっている、現状を、心が軋むほどに悲しく思いながら言った。


「その説では、その事について、こう言ってる。シズクの求める、望む世界と、他の人々や、いや、他の、意識や自我といった物を持つあらゆる者が求める、望む世界は、互いに干渉しあってる。だから、シズクだけの求める、望んでる世界は、やっては来ない。シズクが、この世界で、ただ一人の、一つの、意識や自我といった物を持つ者にならなければ、その世界は訪れないと」


「キッテ。もういいよ。こんな話、意味が分かんないし、聞いてもしょうがないもん。なんか、他の、もっと楽しい話をしよう」


 シズクは、言ってから、あれ? なんだろう? 今キッテがしていた話、昔、どこかで、聞いた事がある気がする。あれは、いつだったっけ。……。そうだ。あれは、確か、お父さんとお母さんの研究室に、遊びに行った時だったっけ。と思った。


「キッテ。今の話、昔、お父さんとお母さんが話していたのを聞いた事がある気がする。今キッテが言っていた事と同じ事を、お父さんとお母さんが話していて、私は、その話が終わるのを、キッテを抱いて待っていて」


「今の俺は、シズクが作った俺だからな。シズクの記憶にある事しか話す事ができない」


「またそれ?」


「今、シズクは気持ちや記憶の整理をしてるんだ。だから、シズクは大丈夫だ。それに、シズクは一人じゃない。俺もナノマもチュチュ達もいる。今は、もう、この世界には、現実の、この世界には、いない、シズクの父親や母親だって、こうやって、意識が作り出す世界の中でなら、いつでも会う事ができる。だから、シズク、悲しまなくていいんだ」


「キッテ、また、そんな、変な事、言って」


 シズクは、体中を覆い尽くそうとするかのような勢いで、自身の体の芯の辺りから、広がり始めた、悲しみの予感に、恐怖を覚えながら、そう言った。

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