初恋は実らないもの
『初恋は拗らせるとめんどくさい。』のミシュなんとか様ことミシュラン君の視点です。
アネッサちゃんが周りからどう見えるのか、皆さんに少しでも分かってもらえたら幸いです。
誤字脱字、誤変換はあるものです。私は学習しました。
あったらご報告お願いします。
私はミシュラン・ハイデン。ハイデン伯爵家三男、19歳。
因みに、婚約者はいない。
2つと4つ年の離れた兄がいるので、いわば私はスペアのスペアであり、私が伯爵家を継ぐ事はないだろう。
なので、私は婿入り先を探さなくてはいけない、のだが。
私は往生際悪く、婚約を先送りにしている。
何故なら、私には恋願う女性がいるから。
相手は、アネッサ・ノースウェス伯爵令嬢。3つ年下の、とても穏やかで大人っぽい、はっきり言って地味な女性。可愛らしい顔立ちではあるが、華やかな人と並べば間違いなく引き立て役となるであろう、平凡な顔をしている。
そんな彼女が、私の初恋の君である。
12歳の頃に持った淡くも強烈な想いは、19歳となった今も私の中にずっと燃え続けているのだ。
そんな彼女には、アルバート・レーノルズ公爵子息と言う、婚約者、がいる。
その容姿は、お世辞にも彼女と釣り合いが取れているとは言えない程整っており、非常に羨ましい限りだ。
いや、私もそれなりに容姿が良いと自負していくらいには整っている。だが、それなりはそれなりであって、婚約者殿には遠く及ばない。くそ、鳥のフンでも踏んでしまえ。
顔が良いと言うのは相手に好印象を与えるもので、いくら婚約者殿がその顔を利用して浮名を流そうとも初恋の君は婚約者殿に一途だし、寄ってくる蝶達が減る事はない。
何故、あんなヤツが良いんですか。貴女なら、もっと良い相手もいるでしょう。例えば、私とか。
いや、私は良い相手とは言えない。私は家を継ぐ事の出来ない三男であり、同じスペアであろうとも公爵子息とは格が違う。
でも、他にも、良い相手がいる筈なのだ。
彼女は目を引く容姿を持っている訳ではないが、彼女の纏う独特の雰囲気と上品で洗練された作法や思慮溢れる言動に惹かれている人は結構いる。彼女が望めば、きっと助てくれる人が。
でも公爵家に喧嘩を売るような馬鹿はおらず、彼女は今日も不遇を受ける。
見ている事しか出来ない自分に、酷く腹が立つ。
私が、考えなしの馬鹿だったら良かっただろうか。
私と彼女の出会いは、今から7年程前。出会いと言っても、私が一方的に知っただけなのだけれど。
夜の長くなる冬は社交シーズンであり、例に漏れず華やかなお茶会を我が家が開いた7年前の冬のある日。
何をしても、スペアのスペアである私は伯爵家を継ぐ事はない。私の方が兄上達よりも優秀だと言うのに。それが悔しくて、同年の子に笑われそう噂されるのが惨めで、私はストライキを起こしてお茶会を抜け出した。
あまり遠くへ行ってしまうとバレる前に戻れないから、庭の隅っこに。乳母のアンナは怒ると恐ろしいのだ。
植木の下に隠れている時、私の直ぐ近くに彼女がやって来た。友人なのだろう少女を一人連れて。
私に気付かず、2人は親しそうに話し合う。
「なにあれ! 酷すぎるわ!!」
「あら、リズ。あんなの気にしなくていいのよ」
何やら憤慨している少女を、その年に似合わない大人びた声で彼女は宥める。
「実害はないのだし、可愛いものではないの」
「どこがよ! 何が、気付かなかったわ、よ! あれ絶対わざとでしょう!?」
「うーん、わざとじゃなかったらビックリよ、リズ」
「そうだけど!」
声を荒らげるリズと呼ばれた少女の話しからして、何か嫌がらせにでもあったのだろう。それを、彼女は一切気にしておらず、少女を宥め続けている。
「リズ、本当に大丈夫よ。相手にしないのが一番なのよ。彼女達はちゃんと躾のなっている子達だから、下劣な事はしてこないもの」
「だって、」
「リズ。私はともかくリズが彼女達に面と向かって歯向かってはいけないわ。私と違って守ってくれる人がいないのだから、お家に迷惑をかけてしまうわ。それは困るでしょう?」
「うん……」
「いい子ね。本当に私は大丈夫だから、心配してくれなくて良いのよ。ちょっと子供がじゃれてきただけだもの」
その話の内容に、彼女と少女の温度差を感じ、彼女の異端さに目眩を覚えた。
あの子は、彼女は誰だ。こんな、私より年下なのに、子供らしくない、彼女は。
植木から顔をそっと上げ、彼女達をじっと観察する。
一人はストレートの金茶の髪に、グリーンのぱっちりした目の、中々可愛らしい顔をした少女。リズ、と呼ばれていた子のようだ。
もう一人は緩くカールを描く茶髪に、茶色の目の、静かに微笑みを浮かべる少女。ありふれた色に、平凡な容姿。
なのに、何故か、彼女から目が離せなかった。
彼女がまるで輝いているように見えて、胸が痛い程高鳴った。心臓がまるで鷲掴みにされたような。
後から思い返せば、一目惚れだったのだろう。
でも、その時私はそれがなんなのかが分からず、ひたすらに困惑した。
ぎゅっと胸を押さえてしゃがみながらも、彼女から目を離せずじっと視線を送った。
名前は、なんと言うのだろう。何が好きなんだろうか。料理は、お菓子は、花は、色は、ドレスは、宝石は。
困惑しながらも、彼女の事ばかりが思い浮かぶ。それは、決して嫌なものではなかった。
私がそうして蹲っているうちに、彼女達はお菓子を食べよう、と向こうへ去って行った。
「おい、ラン。またこんな所にいたのか。お前の兄さんが探してたぞ」
ぼんやりとその場で彼女の去って行った方を眺めていると、幼馴染みのローゼンが植木をかき分けて顔を覗かせた。
「ラン?」
名を呼ばれてもぼんやりとしている私に、ローゼンが訝しげに顔をしかめて私の額に手をおく。
「顔が赤いぞ。風邪か? ラン、立てるか?」
ローゼンが手を引くのに従って立ち上がるが、私はローゼンの言葉が耳を素通りする程興奮していて、それどころではなかった。
それが何の興奮かも分からず、とにかく彼女の事をローゼンに伝えなければと彼の手をバッと掴む。
「ら、ラン?」
「ゼン! 茶髪に茶目の女の子を知らない!?」
「は? そんなのいくらでもいるだろ」
幼馴染みの変貌にぎょっとするローゼンに、紅潮した顔を隠すことなく詰め寄る。
「8歳くらいの、緩くカールした髪で、小柄な、」
「ラン、ちょっと落ち着け」
「大人びた感じの、黄色のドレスを着た。同い年くらいの金茶髪の女の子と一緒にいたんだけど」
「はあ、その女の子がどうしたんだ?」
ローゼンに聞き返されて、私は言葉に詰まった。
どう? どうって、どうしたのだろう? 彼女を見て、私は……――。
「おい、今度は何だ?」
「…ゼン、胸が凄く痛いんだ」
「はぁ? 痛い? どう痛いんだ。早く戻った方がいいんじゃないか?」
心臓がドキドキして、胸が疼くようにずきずき痛んで、苦しい。彼女を見ていた時もそうだった。
私はどうしたんだろう? と、聞くとローゼンが呆れた顔をする。
「そりゃあ、そいつに惚れたんじゃねえの」
「……え?」
「彼女が輝いて見えて、彼女の事ばかり思い浮かんで、彼女が気になって、胸がドキドキして痛むんだろ。それが恋なんじゃないか?」
指折り説明されて、私はストンと納得した。
そうか、この胸の疼きは、痛みは、恋なのか。
納得して、少し間を置いて私は猛烈な羞恥に襲われ、顔を両手で被ってしゃがみこむ。
「…ラン、大丈夫か?」
「……あんまり大丈夫じゃないからちょっと黙ってて」
そうして、私の長い片想いが始まった。
それから私は彼女の事をなりふり構わず調べた。協力してくれたローゼンに引かれるくらい。
それで分かった事は、彼女がアネッサと言う事、彼女に産まれる前からの婚約者がいる事、彼女が愛人の子だと言うこと、彼女が不遇を受けている事、等々。良い知らせがあまりなかった。
まず彼女の特定が難しく、中々名前すら分からなかった。
黄色のドレスの令嬢は他にもいたし、私が探し回る前に彼女達がお茶会から帰ってしまった事もあり、その日は断念。
時間あるし、そこまで大変だとは思っていなかったが、彼女はあまり社交界に出ないようで調べる事すら中々難しかった。
茶髪茶目で黄色のドレスの7歳から9歳くらいの地味な令嬢。キーパソンは一緒にいた金茶髪の令嬢。そう珍しい色でもないし、流行りの色と型のドレスだったため、調べるのは難航した。
その茶会に招待した令嬢で、その情報に当てはまる令嬢が出る夜会やら茶会に片っ端から出て回り、やっと見つけたかと思えば既に婚約者がいると言う。
一週間程部屋に引きこもった。
でも、彼女は婚約者殿や家から不遇を受けていると言うから私にもチャンスがあるのでは、と言うローゼンの励ましを受けて、私は彼女を遠目に眺める事になった。
彼女の出るお茶会や夜会などには必ず出て、話しかける事もなくひたすらに眺めた。
そして彼女が婚約者殿を慕っていると言うことを見せつけられ、また落ち込んだ。
それでも彼女を眺める事は止められなかった。
ブラウンの髪は少し暗め。茶色の目には、うっすら赤が入っていて。左の目尻には色っぽい黒子がひとつ。平凡な顔ではあるが、全体的に小作りで可愛いらしく、小動物のようでもある。華奢で、痩せている事がよく分かる程で細い腕をしていて、なのに纏う雰囲気は誰よりも大人っぽい。あまり派手な服は着た事がなく、清楚な雰囲気のドレスを好む。彼女はパーティーで良く食べる。特にお肉が好き。お菓子はマドレーヌとチョコが好き。だけどチョコケーキはあまり好きではない。ケーキはショートケーキが好き。色は淡い色が好き。特にクリーム色や青みがかった色(婚約者殿の髪と目の色)。薄いピンクも好きのようだ。いつも全身をドレスやら手袋で被っているからか、夏が嫌い。でも冬は好きと言う訳ではない。花はコスモスと鈴蘭が好き。薔薇は少し匂いが苦手。宝石はあまり頓着しない。でも婚約者殿の色の装飾類はよく着ける。ダンスは少し苦手。刺繍が上手。婚約者殿が、大好き。
おっとりしていて、大概の事をスルーするちょっと天然。婚約者が浮気をしても許してしまうようなお人好し。どっちかと言うと聞き上手で、いつも静かに微笑みを浮かべて聞き手に回る。令嬢からの嫌味も流せる、大人びた人で――
こんなにも私は貴女を、貴女だけを見ているのに。
貴女は婚約者殿しか目に入れないし、当の婚約者殿は彼女に目もくれず女遊びに耽っているし。
神は、世界は、いつも無情だ。
いつだって無情で理不尽で不公平。
あの男が、羨ましい。
容姿も金も地位も女も、何でも持っているのに。私の一番欲しいものを手にしておいて、一切興味ないのだ。
あの男が、妬ましい。
ある夜会で、私は初めて彼女と対面した。私が17歳で、彼女が14歳の時。
もじもじしていた私に呆れたローゼンが私の首根っこをひっ掴み、彼女の所まで引きずって行ったので、ついに私は彼女と対面する事となったのだ。
以前彼女と話したことのあるローゼンが私を紹介し、私達は初対面の挨拶をして名乗りあった。私が彼女に恋してから約5年後の事である。
引きずられて来た私をクスクスと笑う彼女に、恥ずかしくて、緊張して、何より初めて彼女に自分が認識された事が嬉しくて。でも、それを彼女に悟られるのが嫌で、彼女にかっこ良く思われたくて、いつもより5割増しの笑みを浮かべる。
「バイデン様とベルヘルツ様はとても仲がよろしいのですね」
「…ええ、5つの頃からの付き合いなので」
意識して女性受けする笑みを向けるが、彼女は大して気にした様子も見せずに、いつもの微笑みを、婚約者殿以外に誰でも平等な微笑みを浮かべて世間話をするだけだ。
話したい事も、伝えたい事も一杯あったのに、大した話題を振る事もできない私を、ローゼンが社交スマイルのままオレンジの目に呆れた色を乗せて眺めている。
でも、仕方ないじゃないか。私が今彼女に何か伝えて何になるって言うんだ。
もし私の想いを告げても彼女を困らせるだけだ。
何にもならない想いを知っても困るだろうし、何より、彼女の想いは婚約者殿にしか向かっていないのだから。
いいんだ、これで。
私には、彼女をさらうような勇気も力もないのだから。
初めて彼女と話して、改めて私は何度したか分からない失恋をしたのだ。
でも、彼女の名を耳にすると気になってしまって、彼女が視界に入るとどうしても目で追ってしまって。
未練たらたらな私を、ローゼンは呆れながらも励まして私が諦め切れるのを待ってくれている。
分かってる。分かってるんだ。だけど、だから、もう少し待ってくれないか。
結局私は、婚約者殿は一回踊ると後は彼女を放置なのを知っていたのに、ダンスに誘う事もできず退散する事となった。
「…婚約者、ですか」
「ああ、お前ももういい歳だろう。そろそろ身を固めなさい」
父が、執務室に私を呼び出してそう言った。現バイデン伯爵である父上の言う決定事項は、スペアのスペアごときの私には逆らう事もできない命令だ。
でも、早く私に婿に行って欲しい筈なのに、父上は私の我が儘に譲歩してくれていたのだ。婚約したくないと言う私に無理矢理婚約させる事もなく、少しの小言で済ませてくれていたのだから。
だから、ついに来たか、と思いはすれど父上を怨むような事はない。
十分、愛してくれているのだから。だからこそさっさと婚約して欲しいのだし。
私が、いまだ未練を断ち切れていないだけで。
「……分かりました。お受けします」
「そうか…」
了承した私にほっと息を吐く父上に、随分心労をかけていたのだな、と申し訳なく思う。
父上が小さく見えて、この人も歳を取ったのだと、感慨深くなる。
「でも、少しだけ、少しだけ時間を下さい。ちゃんと、すっぱり諦めて来ますから」
私と同じ、らしい、父上の金の目をじっと見て。
そう言い切った私を、父上は少し厳かな表情を緩めてうなずいた。
「頑張って来なさい。きっと、良い経験になる」
「…はい」
あまり見ない父上の〈父親〉の顔が酷く照れくさくて、少し俯いたまま、父上の顔を見る事なく、私は執務室を後にした。
想いを告げて、綺麗スッパリ諦める。
そうローゼンに告げると、彼はティーカップを少し上げたままフリーズして私をガン見する。
「…………は?」
「…なんだい」
「…え? はっ?? ……はあああああ!!!?!?」
「ちょっ、煩いぞ」
「はっ、え、いや、煩くもなるだろ!! あの万年片想い野郎が! 口を開けばアネッサ嬢ばっかだったお前が?!? しかも告白して!!??」
丁寧にティーカップをソーサーに戻してから、ぎゃんぎゃん吼えるローゼンに、驚かれるとは思っていたがここまでとは思っていなかったので、こちらが驚く。
ローゼンの脛を蹴ると、ようやく大人しくなった。
「痛っ、…はあ、済まん」
「まあ良いけど。でも、お前の中で私がどう思われているのか気になるなぁ」
「いや、そのまんまだぞ。そんで、いつ告白するんだ?」
一瞬で真面目な顔に切り替えてそう言うローゼンに、私も気分を切り替える。
いつものように彼女の出席するパーティーに出て、婚約者殿のいない時にサッと告白して、サッと退散。
つまり、言い逃げ。計画もあったものではない。
「はぁ、お前らしくない計画だなぁ」
頬杖をついて呆れた視線を私に向けるローゼンに、内心ケッとやけくそに吐き捨てて、ぶすくれる。
だって、これくらいでないと私は彼女に話しかける事もできないのだ。
私は、何があってもこの初恋を断ち切ってしまわないといけない。
彼女にとってはいい迷惑だろうが、彼女には私に付き合ってもらう。
きっと、そのうちすぐ私の事など忘れてしまうだろう。
自分で思った事なのに痛む胸を押さえて、本当に終わらせれるのかと不安になってきた。
「……これは、あれだ。うだうだしていると勇気が萎んで怖じけづくやつだ。やる気のある今のうちにさっさとやってしまわないと」
「まぁ、頑張れ。俺も協力するから」
それから数十日後。彼女をローゼンの家のお茶会に招待してもらい、いつもより着飾った私は緊張に胃を痛めていた。
腹を押さえて俯く私を、ローゼンが呆れた視線で早く行けと無言で促してくるが、日を置いて見事に怖じけづいた私は中々足を進められない。
「ラン、」
「わ、分かってる」
「はぁ…。フラれに行くんだろ。早く終わらせれたほうが良いと思うが」
「分かってる…」
弱った声で呻く私を、ローゼンができの悪い子供を見る目で見下ろしてくる。
そんな目で見るな。
「アネッサ嬢の好きなお菓子も用意したろ。台詞も覚えただろ。これ以上ないくらい男前にもしてもらったし、なにをそんなに怖じけづいてるんだ」
「お前には分からないよ」
恋をした事もなく、マイペースに我が道を行くローゼンには、私のこの緊張が分からないのだろう。
ちなみに、ローゼンは15歳の時に決まった婚約者と既に結婚して、一児の父だ。政略結婚だが、それなりに夫婦円満だそう。
「んー、分からんなあ。さっさと行って来いよ」
「も、もうちょっと…」
往生際悪く粘る私を呆れた目で見ながらも、ローゼンは無理に追い立てる事なく私が落ち着くまで待っていてくれる。仕方ないなぁ、と。
きゃーっ、と黄色い悲鳴が上がるのを耳にして、顔をしかめながら、なにがあるのか分かりきったそちらに視線だけを向ける。
男にしては少し長いストレートのクリーム色の髪に、日の光を反射させて青に煌めく灰色の目。彼女の、婚約者だ。
その婚約者殿は、愛しの彼女を放置して、その中性的なかんばせに蕩けるような甘い笑みを浮かべ、歯の浮くようなセリフを群がる色めき立った令嬢達に吐き出していた。
婚約者殿の兄である現レーノルズ公爵がシャーロット姫と結婚してからは、公爵に憚ってか女遊びは落ち着いていたのに、最近また令嬢達に誘われなくても令嬢達に寄っていくようになってきた。
ふと、彼女がどんな顔をしているのかと、彼女に視線を戻す。
彼女は、暑さに当てられたのか頬を火照らせながら、少し物憂げに、切なそうに、婚約者殿をぼんやりと見つめていた。
彼女はいつもそうだ。
いつだって婚約者殿を見ていて、婚約者殿しか見ていなくて。婚約者殿がどれだけ浮名をながそうと、どれだけ目の前で他の女といちゃつこうと、ずっとずっと彼を慕っている。
彼が羨ましい。彼女が可哀想。彼女が好き。彼が憎い。彼女が幸せになって欲しい。私が幸せにしたい。彼が幸せにしてあげて欲しい。
色んな思いが私の中で渦巻いて、でももう私には関係ないのだと、一周回って落ち着いた自分がいる。
もう、いや昔から、私には関係ない事なのだ。彼女と婚約者殿の問題なのだから。私が、勝手に眺めているだけで。
今まで張り付いたように動かなかった足が、一歩彼女へと近づく。
ぼぅっと彼女に見惚れながらまた一歩足を進める私に気付いたローゼンが、笑みを浮かべて頑張れ、と呟くように励ましてくれる。
彼女の好きなお菓子を乗せた皿を片手に、ローゼンの励ましに背を押されて、一直線に彼女に歩いて行く。
少し疲れたような顔で小さく息を吐いた彼女に、とびきりの笑みを湛えて声をかける。声が、震えなくて良かった。
「これはノースウェス嬢。お一人ですか?」
「あら、バイデン様。見ての通りですわ」
大根役者の私が決めておいたセリフを話すと、どうも芝居がかって嫌味のようになってしまった。ああ、そんなつもりではなかったのに。
彼女は気にした様子も見せず悠然とした笑みで、何か用かと首を傾げてみせる。
「ノースウェス嬢も大変ですね。あのような男が婚約者では」
「……」
困ったように眉を下げる彼女に、そんな顔もかわい…じゃない。
「その様な顔をしないで下さい。私は貴女を口説きに来たんですよ」
軽い雰囲気で、茶化しているような、そんな雰囲気を意識してにっこりと微笑みを浮かべて。
目をパチパチと瞬き私を図らずとも上目遣いに見上げる彼女に、フラれにきたと言うのに愛しさが増して胸が高鳴る。
本当に私はどうしようもないな、と内心苦笑いしながら、数日かけて選び抜いた彼女の好きなお菓子を乗せた皿をすっとさしだす。
「…何故私に? これでも婚約している身ですのよ」
知っています。よく、知っていますよ。ずっとずっと、貴女を見ていたのだから。
「その婚約者はあんな奴だ。私にもチャンスがあっていいでしょう?」
チャンスなんて、あった事も、これからある事もないだろう。
ちら、と婚約者殿に目を向けると、バチッと青く光る灰色の目と目が合った。なんだ、婚約者殿もそれなりに彼女を気にしているのか。
家に話をつけろと素っ気ない彼女に、そんな所が魅力的だと囁く。
軽い男の戯れ言だと流してください。
そして、自分に自信を持ってください。貴女はとても素敵なひとなのだから。
「そう言ってくださるのは嬉しいですが、私に言われても困りますわ」
「…少しでも恋しい貴女に、貴女を想う私を知ってもらいたかったんです」
そう。私はただ貴女を諦めるためだけに来たんです。
ただ、貴女の記憶に、少しでも残してくれたら。それで。
だから。私をフってください。そしたら、私は新たな一歩を進めるようになるんです。
「…ふふ、ありがとうございます。記憶の片隅に取って置きますわ」
「是非そうして下さい。では」
ふわりと微笑んで、私を覚えておくと言ってくれた彼女に軽く頭を下げ、手を付けられられなかったお菓子を片手に振り向かず早足で彼女から離れる。振り向いたら、少し滲む視界そのままに泣いてしまいそうだった。19にもなって外で泣く訳にはいかない。
瞬きながら足早にローゼンに向かう中、歪む視界の端でクリーム色がチョコレート色に近寄っていくのが、チラリと見えた。
その日の夜は、ローゼンに付き合ってもらいワインを開けまくった。
ハイペースで飲み続けたので、早々に記憶がなくなった。後悔はしていない。
ローゼンには二度と酒を飲むなと怒られたが。酔って何かやらかしたらしい。反省もしてはいない。
それから数週間して、婚約者殿が女遊びをピタリと止めたと噂が流れてきた。
彼女が熱中症で倒れて公爵家に移る事となってから、彼女に一途、なんだとか。
それを聞いてまず思った事はデマだろう、である。
あの女好きの屑野郎が、彼女に一途? 全く笑えない。
そうして彼女達を観察したり、噂を調べてみてた結果、噂は本当。
婚約者殿は女遊びをスッパリと止め、彼女を色々気遣っていた。が、彼女は不思議そうにしていた。。ざまぁ見ろ。
寄ってくる令嬢達は散らすし、彼女に言葉を尽くしてアプローチをしているので、きっと好きなのだろう。彼女には一切伝わっていないが。
気付いてはいないが、彼女はとても幸せそうなので、きっとこれで良いのだろう。
彼女が愛されていないと陰口を叩かれる事はなくなったが、婚約者殿を独り占めしている事を妬む者は出てきた。彼女はさらりと流していたし、婚約者殿も庇ったりしてあからさまに牽制していたので、沈静化していった。
結婚後は公爵領に引きこもるので、陰口を叩かれる事はもう殆どない、と彼女はいつものように微笑みを浮かべていたそう。
何故私が知っているのかって? それは、彼女の一番親しい親友の――私が彼女に恋した時もいた――金茶髪の令嬢が、私の婚約者だから。
私も知った時はとても驚いた。
だからこそ、彼女の事を完全に諦めたかった。親友を好きな人が婚約者だなんて嫌だろう。長年の片想いを清算したのだ。
そうして初めて顔合わせをしたのだが、婚約者は中々個性的な性格をした子だった。
開口一番「貴方アニーを好きな人ね」と。
思わず笑みのまま固まった私を置いて、婚約者は三角関係って素敵よね! 貴方はまだアニーが好きかしら? と、のたまったのだ。
もう諦めたよ、となんとか返した私を誰か褒めて欲しい。
その後、きゃらきゃら好き勝手に色々言って帰って行った婚約者に、その場からしばらく動けなかったのは仕方ない事だと思う。
ローゼンに相談したら、大爆笑された。脛を蹴っても中々笑いが止まらず、しばらく会話が不可能だった。
婚約者は明るく天真爛漫な性格だが、少々頭の足りない子であるようで、思った事をそのまま口に出してしまうようだ。
最近は三角関係のどろどろしたロマンス小説にハマっていたようで、私が彼女に片想いをしている事を知っていた婚約者は私に会いたがっていたらしい。
華奢で、明るく、可愛らしい、いい子だ。話すと、どっと疲れるだけで。
婚約者の親友でいられた彼女は、よっぽど聞き上手で手綱を握るのが上手かったようだ。私にもできるかとてつもなく不安なのだが。
彼女の側によくいたので目に入る事は良くあったが、こんな子だとは思っていなかった。
婚約者の父…義父上がしっかりした子を婿に欲しいと言っていたことが理解できた。
それなら、私は適任だろう。それなりに頭は回る方だと自信があるし、顔は整っている方だし、性格も良いと言えるし。
そんな婚約者は、彼女の話を色々言って聞かせてくれる。本当に彼女が大好きのようで、あれが凄いこれが素敵それが可愛いと、思い出を語りに語ってくれるのだ。
本当に、私は彼女を諦めた。
彼女が婚約者殿に愛されて幸せそうにしているのを見て、私は完全に失恋したのだ。我ながら、なにやってんだよ、と思う。
やーっと清算できた想いは思い出として私の胸に残っているが、私の思いは前を向いている。
具体的に言うと、これから一生一緒にいる事になるであろう、婚約者に。
彼女に持ったような恋ではないが、これもちゃんとした愛の形だろう。
婚約者の名前はリズベット・マクレック。愛称はリズで――さて、私はいつその音を口にできるだろうか。
手始めに、色々贈ってみよう。眺めるだけしかできない訳ではないのだから。
ミシュラン・ハイデン 主人公
12歳の時にアネッサに一目惚れし、ひたすら若干ストーカーの入った対象観察に勤しむ(約7年)。この人も中々初恋を長年拗らせている。アルバートよりアネッサの事に詳しい。
ローゼンとは5歳の時からの付き合いで、遠慮がない。
お酒に酔うと大変な事になる。被害者はローゼン。
最近婚約した婚約者に疲れながらも楽しんでいる。さあて、何を贈ったら喜んでくれるかな?
突発的や非常事態な事に弱い。顔は母似で、色は父から。
黒髪金目。上の中くらいの綺麗系。19歳。愛称ラン。
ローゼン・ベルヘルツ 侯爵子息
ミシュランの幼馴染み兼オカン。
一人っ子なので、次期当主。
既に結婚して、一児の父。政略結婚だがそれなりに仲良くやっている。
恋をした事はない。それはミシュランのやらかしているのを見て、こうはなるまい、と反面教師にしているからだったり。
マイペースで我が道を行く人。体がデカイ。
初恋を拗らせていた親友がやっと落ち着いて一番ほっとしている。
赤髪オレンジの目。上の中くらいのハンサム系。20歳。愛称ゼン。
アネッサ・ノースウェス 伯爵令嬢
『初恋は拗らせるとめんどくさい』の主人公。
ミシュランの初恋の人。アルバートに一途。
実は現代日本からの転生者。だから大人っぽくて独特の雰囲気を持つ。年齢? そんなの女性に聞いちゃダメですよ。
ローゼンと違うタイプのマイペース。大概の事はそうですか、で終わってしまう。ミシュランの告白も不思議な人がいるものね、程度。あまり親しい人を作らない。
アルバートに溺愛されても気付かない。自己評価が底辺を漂っている。鈍い。
(暗め)茶髪(うっすら赤のかかった)茶目。中の上くらいの可愛い系。16歳。愛称アニー。通称彼女。
アルバート・れーノルズ 公爵子息
なんだかんだあって恋心を自覚したが、伝わらない。ざまあみろ。へたれ。
女好きと思われているが、特別女が好きではない。
散々遊び回っていた最低屑野郎。
クリーム色の髪青みがかった灰色の目。上の上くらいの綺麗系。18歳。通称婚約者殿。
リズベット・マクレック 伯爵令嬢
ミシュランの婚約者兼アネッサの親友。最近婚約した。
ちょっと頭の足りない子で、思った事を直ぐに口に出す。アネッサは上手くリズの手綱を握っていた。
いつかのお茶会でカエルを持ち込んでアネッサに怒られ(?)た子。
最近は昼ドラの様な三角関係のラブロマンスにはまっているらしい。
金茶髪緑目。上の下くらいのふわふわ可愛い系。15歳。通称婚約者。
? 伯爵
ミシュランの父。貴族にしては家族を愛している人。
ミシュランのストーカーじみた行動に引いていたり。
黒髪金目。上の中くらいのナイスミドル。48歳。
ミシュなんとか様こと、ミシュラン君視点でした。
リズベットの事を気に入ったようなので、溺愛程までいかなくともそれなりに可愛いがってそれなりにそ幸せに暮らして行く事でしょう。。
リズも中々鈍そうですけれど。まあアネッサちゃんに長年片想いを拗らせていた人なので、長期戦もなんとかなるでしょう。
わりと好きなミシュラン君を書けて楽しかったです。
一応頭の中にはあったリズを出せて良かったと思います。アネッサちゃん視点でアネッサちゃんを心配する“友人”としてチラッと出てきていたのですが、他人行儀に“友人”としか言わないアネッサちゃんに心の隔たりを感じました。アネッサちゃんは一度全てを失っているので、あまり大切なものを作らないようにしているのです。
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