第十五話「首塚」
一つの指輪
冥月らがいる屋敷を取り囲むのはEMSの兵士たち、すでに屋敷内はあちこちから出火しているのかいくつもの窓が黒煙を吹き出している。
「古い邸宅だ、そう待たずともすぐに燃え尽きるだろう」
少し離れた小高い丘の上に設営された野営地、双眼鏡片手にこの火災の推移を監査しているのは威風堂々とした佇まいに軍服をまとった女軍人。ヴィルヘルミナの叔母にあたる将軍、メアリ・デルフィアだ。
「デルフィア閣下、すでに作戦は完了しています。一足先にお休みを……」
副官からの提言に対してメアリは静かに頭を振ると、腰かけていた簡易式の椅子から立ち上がった。
「いや、この周辺の施設を全て破壊するというご命令は女王陛下直々の勅命、万に一つがあってはならない、それに……」
「……それに?」
先を促す副官の言葉にメアリは答えることなく右手に持っていた双眼鏡を除いて邸宅の様子を確認する。
すでに邸宅は業火に包まれており、あとは燃えるに任せるだけだが、そこでメアリはダメ押しとばかりに副官に指示を飛ばした。
「中尉、各隊に連絡、周囲一帯に爆薬を仕掛けて屋敷を中心に爆破せよ」
「っ! 閣下!」
何か言おうとする副官だったが、双眼鏡から目を逸らしたメアリの瞳はひどく冷淡であり、同時に鋭いものである。
「相手はたかだか卑猩と隷爬、そこまでせずともすでに勝利は……」
「いや中尉、その考えは油断にしかならない。仮にこの戦地に『マルクト』の娘らを投入しても過剰戦力にはならんぞ?」
副官の提言を即座に切って捨てると、メアリは双眼鏡を椅子の上に置いて静かに歩を進め始めた。
彼女に付き従う形で慌てて副官も歩き始めたが、何故メアリがここまで気を入れているのか理解出来ず戸惑う。
「中尉、覚えておけ、相手の死体を確認するまで戦というものは勝ちとは言えんことをな」
「……は、ただちに各部隊に伝令を伝えます」
副官が走り去ると肉眼で炎に包まれた邸宅を見下ろし、一文字に引き結んでいた口元をさらに引き締めた。
「……(それにヴィルヘルミナが敗れるような相手、全力でかからねば野に屍を晒すのは我らとなりかねんからな……)」
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邸宅の中はすでに煙で充満しており、冥月と莉乃は可能な限り身を低くして這うような形で避難していた。
「……くっ! 清白たちは無事なのだろうな……?」
大広間には清白を始めベルゼルトを含めた爬人たちが大勢いたはずだが、今は確認している場合ではない。
「め、冥にいっ!」
なんとか階段を降りて一階にまで来たが、すでにそこは火の海であり、大広間への通路はおろか玄関口すら灼熱の炎が立ち上っている。
「……これはさすがにまずいな、このままでは……!」
「っ! 冥月殿、莉乃!」
炎に負けないような大声に振り向くと、階段の裏側に清白がおり、こちらに近づいてくるところだった。
「清白、無事だったのか」
「どうにかな、この裏側に地下通路に通じる階段がある。他の者もそこじゃ」
どうやら幸か不幸か襲撃は屋敷の地下通路探索中に起こったらしく、冥月と莉乃以外の者たちはみんな地下にいるらしい。
「まだ見つかったばかりじゃからどこに通じているかはわからぬが、少なくともここよりはマシなはずじゃ……」
「袋小路でなければ良いが、今は背に腹はかえられぬか」
冥月の言葉に清白は神妙な顔つきで頷く。今は迷っている場合ではない、すぐそこまで火の手は来ているのだ。
「冥にい、俺たちも早く!」
「ああ、非常に遺憾だが、資料は諦めるしかなさそうだな」
全て紐解ければ今後の宝となったかもしれないが、運び込んでいるような時間も余裕もない。
階段の裏側に広がる階段はかなり深いらしく、中から冷たい風が吹き込んでいる。
「……袋小路ではなさそうだな」
今回も清白、莉乃の順番で階段を降りるのを確認すると最後に冥月が地下へと向かっていった。
地下への階段は思いのほか深く、下に向かうにつれてまるで墓所を思わせるようなひんやりと冷たい空気が漂い始める。
「かなり深いようだが、随分と荒削りなものだな」
冥月の言う通り階段こそよく踏み固められたものだが、周りの壁に関しては突貫作業で作ったかのようなゴツゴツしたものであり、王家の墓に穿たれた盗掘師の穴を彷彿させるものだった。
「いや、もう少しの辛抱じゃ」
清白はそう告げると手に持っていたランタンの灯りを消したが、不思議なことに地下にもかかわらず前方から淡い光が入ってくる。
「……お、おい、これって……」
驚く莉乃の声、階段を抜けた先に広がっていたのは先程まで歩いていた通路とは比較にならないほどに洗練された廊下だった。
高い天井にあちこちに施された装飾、いかなる鉱石で作られたものなのかは不明だが、壁は淡い光を放つ真紅の石で作られており、明かりがなくとも十分に活動出来そうなほどである。
古代の霊廟かあるいは神殿を思わせるその廊下はずっと先にまで続いているが、反対側の通路はすでに埋没していた。
「正しく盗掘師の穴だったらしいな」
屋敷から続いていた通路はこの廊下の壁に強引に穿たれており、無理やり地上から穴を繋げたことは想像に難くない。
「こっちじゃ」
先頭に立って案内する清白、廊下そのものはかなり長いが壁が発光しているため廊下の突き当たりに大勢の男たちがいるのがうっすらと見える。
「おお、冥月の旦那に莉乃の姐御、無事でしたか」
突き当たりではボティスを始め何人かの爬人たちが壁を調べており、ベルゼルトは額の汗を拭いながら冥月に近づいてきた。
「清白の嬢ちゃん、使いを頼んで悪かったな」
腰を曲げて清白の頭に触れるベルゼルト。二メートル超えの巨軀である彼が清白と一緒にいると、まるで親子のように見える。
「子供扱いするでないベルゼルト、儂は20……!」
「はいはい、それで旦那に姐御、残念ですがここは行き止まりです」
何やら不機嫌そうな清白を尻目に冥月はボティスらが調べている突き当たりの壁に視線を向けた。
「なんとなくこの先が匂うんですが、今のところお手上げで……」
「……そうか」
突き当たりには五つ丸に三日月というお決まりの紋章が刻まれており、その左右には壁を守るかのように一対の幻獣像が設置されている。
「麒麟、か……」
明らかに何かありそうな壁と、左右に置かれた幻獣像を代わる代わる眺めていた冥月だったがなんとなくそう呟いていた。
「麒麟?」
聴きなれない単語に興味をそそられたのか、莉乃は冥月に視線を向ける。
「徳の高い王の治世に現れるという獣たちの王だ。荒れ果てた時代に現れても知るものがいないが故に狩猟の対象にしかならないらしい。しかし……」
目の前にある像は鹿を思わせる角、麒角にしなやかな龍馬の姿、さらには身体に生えた鱗と冥月のイメージする麒麟に近い。
だがどういうわけだか背中からは一対の翼が生えており、どこか西洋のドラゴンを思わせるような姿だった。
「麒麟、か」
冥月は静かに腰の剣を引き抜き、赤い光の中でその刀身を眺める。
飛行態との激戦の後、剣の刀身に浮かび上がった『麒麟剣」の文字に目貫の紋章、とても偶然とは思えない。
冥月は剣を鞘に収めると、何となく腰のベルトから鞘ごと抜き去り壁の前に麒麟剣を突き出してみた。
「っ!」
変化はすぐさま起こる。左右の麒麟像の瞳に炎のような真紅の瞳が宿ったかと思うと、壁に刻まれていた紋章が煌々と輝き、ゆっくりと壁が左右に開き始めたのだ。
冥月はおろか、莉乃や清白、ベルゼルトら爬人たちも驚いている。
「これは、さすがに予想外だったな」
扉のように開いた石壁を前にして、冥月は背中に冷たい汗をかきながらも剣を腰にもどした。
あまりに信じられない現象に冥月だけでなくベルゼルトらも唖然としていたが、ここにいても仕方ない。
「……行こう」
先程とは逆に今度は冥月が先頭に立ち、石壁の向こうに出現した空間に足を踏み入れてみる。
想像していた通り、そこは先程までの通路と同じような鉱石で作られたであろう場所だった。
しかし遥かに高い天井に、礼拝堂を思わせる広々としたこの空間を画家の絵画とするならば、あの通路は子供の落書きか何かと言わざるを得ないような完成度である。
「うむむ、ここは何かの神殿じゃろうか……?」
広間の最奥部には壁沿いに半円形の祭壇のようなものが備え付けられており、壁からも巨大な麒麟の頭部が伸びているため、清白にはあの首を祀る神殿のように思えていた。
「……『首塚』、か」
セザンヌの残したノートに記されていた単語。もしかしたらここはセザンヌが発見しながらもついぞ入れなかった場所なのかもしれない。
「にしても、立派な像だな」
広間の奥にある巨大な祭壇とその後ろに控える麒麟の頭部を見上げながら莉乃はそう呟く。
「ん? 冥にい、ちょっと来てくれ」
莉乃に呼ばれ祭壇に近づく冥月だったが、突如として頭に鋭い痛みが走ったため、反射的に足を止めた。
「冥にい?」
心配そうに冥月に駆け寄ろとする莉乃を手で制すると、問題ないと言わんばかりに笑みを浮かべる。
「何でもない、してどうかしたのか?」
「いや、あの像の目なんだが、さっきから光ってる気がしてさ」
莉乃に言われて顔を上げてみると、確かに麒麟像の眼球は炎を思わせるような揺らめく光を宿していた。
「もう少し近くで見てみるか」
祭壇に上ると、莉乃は麒麟像に近づき色々な角度から眼球を調べていたが、何があったのか突如としてその顔が凍りつく。
同時に麒麟像の両目が明滅するとともに回転するかのように周囲に凄まじい光を放ち始めた。
「な、なんだお前は! どこから話しかけてきてるんだっ!」
祭壇の上であらぬ方向に向かって怒声を上げる莉乃。彼女にしか聞こえない声が聞こえているのか?
「麒麟族? 魔眼? なんのことだ! 俺は俺、冥にいと同じ人間だっ!?」
何度か麒麟像の瞳が明滅したかと思うと、次の瞬間一際強い光が放たれ、一瞬にして莉乃が持っていた石斧が消失する。
「な、なんだ? 何が起こったっていうんだ?!」
慄く莉乃の右の人差し指には真紅の鉱石で形作られた指輪が嵌められており、明らかに尋常ではない現象が起きていることがわかった。
「お、俺の武器が、消えた?」
「……大丈夫か、莉乃?」
しばらく唖然としたまま立ち尽くしていた莉乃だったが、祭壇に登ってきた冥月の言葉に対しては無言のまま頷く。
「麒麟像の瞳がなくなっているな」
先程まで眩しい光を放っていた麒麟像の瞳だが、反応が消え失せるのと同時に姿を消しており、頭部の眼窩はただ空洞の穴を晒すのみとなっていた。
よくみると右目と左目の穴は内部で繋がっているようで、麒麟像の瞳を構成していたのは一つの赤い宝珠のようなものだったことがわかる。
「大体なんだよこいつは!」
麒麟像を調べる冥月のすぐ隣で突如として現れた指輪を外すと地面にたたきつけようとする莉乃。
「そう邪険にすることはない。それに中々似合っているぞ?」
「っ! 本当か?」
慌てて指輪を人差し指に嵌め直すと莉乃は冥月に駆け寄った。
「似合ってるのか?」
「ん? ああ、そうだな」
冥月の言葉に莉乃は頬をほんのりと染めるとしばらく指輪を眺めていたが、やがてニタニタと笑い始める。
「そうか、そうか、俺に似合ってるのか。冥にいがそこまで言うなら仕方ねーよな!」
「……ひとまず祭壇から降りよう、この神殿を調査する必要がある」