第十四話「その名は和人」
名称変更?
体力が著しく失われていたためか、大広間の隅で眠っていた冥月が目覚めたのは丸一日経ってからだった。
近くで寝顔を見ていたらしい莉乃は冥月が目覚めると、何故か随分嬉しそうに彼の手をとり鼻歌でも歌いそうなくらい上機嫌に先導を始める。
「へへ、久しぶりに二人だな。早く行こうぜ冥にい」
莉乃の案内で屋敷を進む冥月だったが、ベルゼルトが言っていたとおりあちこちに件の紋章、五つの丸と三日月を合わせた図案が見て取れた。
廊下にある窓辺の淵や柱の上部、何の紋章なのかは相変わらずわからないが、とにかくいたるところに刻まれている。
「さ、冥にい、ここがそうだぜ」
案内されたのは二階にある角部屋、莉乃が言っていたとおり扉の真ん中には巨大な紋章が刻まれていた。
「……意味深だな」
ここに来るまでにいくつか部屋はあったが、どの扉にもこのような細工は施されておらずむしろ質素なものだったように思う。
「とにかく、入ってみようぜ」
莉乃に促されて中に入ってみると、埃と古くなった書物特有の匂いが鼻をついた。
この部屋もまったく手入れされていないようで部屋はたくさんの本や書類であふれており足の踏み場すらない。
うず高く積まれた分厚い本が窓を覆い隠しているためか異常に暗く、目のことを考えるならばこの部屋ではあまり本を読まない方が良いだろう。
「灯りになるものを用意しておくべきだったな」
「へへ、これならどうだ?」
困ったように頭をかく冥月に莉乃はどこからともなくガラスの覆いが取り付けられた箱型の道具を差し出した。
「キャンドルランタンではないか、どうしてこれを……?」
「清白と屋敷を漁ってるときに見つけたもんだ。あいつもこれに明かりをつけて使ってたぜ?」
なるほど、よくよく考えてみればこのような薄暗い屋敷の中で何の明かりもつけずに散策しているほうが不自然。
冥月が来る数時間前の夜明け前ならば尚更のこと、照明に頼らねば探索に支障をきたしかねないだろう。
「助かる。早速つけてみよう」
指先を帯電させ、ランタンの中に入ったままになっていた古びた蝋燭に火を灯すと柔らかな光が書斎の全体を覆った。
紙が多い場所で火を灯すのはあまり良くない行為なのだが、この場合やむを得ないだろう。
「……むっ!」
珍しく眉を釣り上げるようにして顔をしかめる冥月。火を灯して初めて気づいたが、冥月と莉乃のいる場所のすぐ斜め前、すなわち壁際に設置された机の上にとんでもないものが置かれていたのだ。
「これは……」
ゆっくりと近づいてみてようやく冥月はそれが自分の想像通りのものであったことを確信し、唇を引き結ぶ。
そこにあったのは20センチほどのガラス瓶に浮かぶ人間の眼球、しかもひと組分が溶液に付け込まれ左右バラバラの方向を向いていた。
「……赤いな」
ようやく絞り出した言葉はそんな単語、たしかに今冥月の前にある眼球は黒目に当たる部分が紅玉のように赤い、珍しい色をしている。
「俺の左目や清白と同じ色だな、って笑ったら清白の奴、急に青くなって部屋から出て行ったんだ」
なるほど、莉乃の言葉を信じるならば清白はこの標本を見たくないがために書斎に寄り付かないというわけだ。
「……(人間の血も平気な清白が人体の標本が怖いというのもおかしな話だが、深く考えることはない、か)」
ガラス瓶にはラベルが貼られており、そこには掠れたインクで『麒眼』と押されている。
「莉乃、君のような目は珍しいのか?」
「ああ、少なくとも俺は清白以外には会ったことがないな。平蓮の兄貴も違ったし……」
なるほど、珍しい色のものだからこそこの屋敷の主人は標本にして保存しておくことにしたのか。
「……まあ良い、今はそんなことよりも資料を探すことだな」
早速眼球の標本を部屋の奥にある小卓に移すと、椅子の上に山と積まれていた辞書のごとき分厚い本を退かして場所を作った。
「さて、何から見たものか……」
「冥にい、こいつはどうだ?」
椅子に腰掛けて思案に沈む冥月に莉乃が差し出してきたのは古びたノート。タイトルも何も書かれてはいないが、印章によるものか表紙に件の紋章が押されている。
「ありがとう、他にもこういうものがないか探してみてくれ」
「はいよ」
莉乃がかがんで資料を漁っているのを尻目に冥月はノートをひっくり返して裏を調べてみた。
「……セザンヌ?」
背表紙の隅にはこのノートを書いた者の署名なのか掠れたインク文字で『Cezanne Ofila』と押されている。
この屋敷の主人の名前かもしれない、そう思いながら冥月は古びたノートのページを慎重な手つきでめくってみた。
ページ自体はかなり古びたものだったが、記されている文字そのものはほとんど掠れてはおらず、ランタンの光を頼りにすればまだ読めそうなものである。
『……古い記録から現在卑猩、隷爬の名前で呼ばれている者たちは遥か昔には『和やかなる者、和人』、『地を爬く者、爬人』と呼ばれていたことがわかった。今後は彼らをそう呼ぼうと思う』
意外な事実に冥月は目を細めていた。卑猩、隷爬という呼び名は後世になってから考案されたものらしく、セザンヌはそれを突き止めたらしい。
記録はさらに先へと続いており、今度はセザンヌ本人が各地で出会った隷爬、否爬人たちから聞いた話がまとめられている。
『……工業都市ニムロドにいた爬人たちの話しを総合して考えると、彼らは和人と爬虫類の掛け合わせではなくより高い次元に存在する生命体と和人との子孫ではないかと思われる。
そうなった場合、この地の原住民は和人であるが、我らEMS人はどこから来たのであろうか?』
衝撃的な記述に全身に痺れが広がっていくように感じて、冥月は知らず背中に冷たい汗をかいていた。
この記述は非常に興味深いものである。全幅の信頼がおける資料とは言い切れないが、セザンヌの疑念が正しければ、元々いた和人や爬人の土地を後から来たEMS人が奪ったことになる。
記述はさらに続き、セザンヌが自分の疑念を晴らすために各地に残る爬人の遺跡を調査した際のものが記されていた。
『……現地の者には『首塚』と呼ばれ敬遠されている場所に遺跡はあったが、明らかにEMSとは異なる文化系統で建設されていた。
信じられないことに同時期のEMSの遺跡と比べても遜色のないものであり、この時代にこのようなものを作る技術があることは衝撃である』
どうやらセザンヌは実際に遺跡を見てきたらしいが、それはかなり衝撃的な体験だったようで記されている文字も微かに震えているように見える。
また次のページには遺跡で見つけた紋章として五つの丸に三日月の図案が示されており、この探索でこの紋章を見つけ以後あちこちで使うことにしたらしいことが読み取れた。
そこまではある程度文字もはっきりしていたため読み進めることができたのだが、それ以降のページはあまりにも劣化が激しく読みとることは困難だった。
『……に伝わる……と実際に遺跡で使われていた……を……した結果、首塚で見つけたあの……は起動すると……し、圧倒的な……を持つらしい……がわかった。
なんらかの条件があるらしく、私には……させられなかったが……な遺跡は……にあるらしい。
……したら『首塚』や『……足地』と呼ばれる場所は古代……族の遺跡が……いるのかもしれない。
……私の屋敷のある……も『首塚』と……ているためすぐ近くに……しれない。
願わくば『禁……陸……ア』にも行って……いものだ』
そこまで読んでみてこれ以上読み進めることは困難と判断したのか、冥月はノートを閉じて天井を見上げる。
後半のページはほとんど読むことが出来なかったが、かつては卑猩や隷爬、ではなく和人、爬人という呼び名があったらしいことはわかった。
「……(ならば何故、今はそのような名前で呼ばれているか、だな)」
そもそも最初の段階で気づくべきだったかもしれないが、卑しい猩だの隷う爬だの自称するには明らかにへり下り過ぎた名前である。
「……(普通に考えればEMS人が原住民を隷属化するにあたり呼び始めた蔑称と考えるべき、か)」
そこまで考えてみてふと冥月はおかしなことに気づいた。現在で言うところの卑猩や隷爬の正式名称が和人、爬人であることはわかったが、では当時『人間』、つまりEMS人はなんと呼ばれていたのだろう?
当時のEMS人が隷属化するにあたり本来和人と爬人を含む意味を持っていた『人間』という呼び名を自分たちだけに向けさせ、それ以外の人種を人間を詐称していたとして新たな蔑称を与えたのは想像に難しくない。
だとすると和人、爬人に相当するEMS人に対する呼び方もありそうなものだが……。
「……(要検証といったところだな。それに今は別のことを考える必要がある)」
麒麟剣の柄やこの屋敷のあちこちに刻まれた紋章、あれはどうやら爬人種、というよりもその先祖たる高次元生命体由来の紋章のようだ。
その正体は未だ掴めないが、ノリスの実験室で意識を取り戻す直前に見た夢で森の中にいた霊獣、あるいは飛行態との戦いで生死の境を彷徨った際現れた光の幻獣がそうではないだろうか?
だとすればその幻獣由来の力で変質したと思われる剣と古代爬人の遺跡とで、似た意匠が見られるのも納得出来そうなのだが……。
「……(いずれにせよ私の力にしても、和人と爬人、EMS人の真実にしても全てはその高次元生命体が握っているとみて良さそうだな)」
爬人が和人と爬虫類の掛け合わせではなく、高次元生命体との混血という説も、信憑性は未知数ながらこれまでEMSからもたらされた情報にはなかったことである。
この調子でセザンヌの残した記録を丹念に調べ一つずつ裏付けをとっていければ、もしかすると世界をひっくり返せるようなものも見つかるかもしれない。
だが今の冥月には圧倒的に知識が足りないため、この屋敷にある資料を片っ端から調べて有益な情報を探すしかなかった。
「……(こんな時、アルルがいてくれたらな……)」
彼女ならばこれらの資料を見た上で既存の知識をフル活用し、新たな情報を提示することも出来るだろう。
「……おい冥にい、なんか、妙な感じだぜ?」
後ろでセザンヌの残した山のような資料を集めていた莉乃だったが、剣呑な気配に顔を上げた。
「……匂う、な」
何かが焼け焦げるような匂い、しかもすぐ近くから漂う匂いにランタンを手に、冥月はすぐさま立ち上がる。
直後外側から窓ガラスが割られ、窓際に山と積まれた本が崩れ落ちる中火のついた松明が投げ込まれてきた。
「っ! これは……!?」
慄く冥月の前で松明はあちこちに積まれていた古い本や資料に引火、一気に燃え上がり天井を焦がす。
「冥にいっ!」
「逃げるぞ、ここは危険だっ!」
何が起きたのかは全くわからないが、このままここにいれば焼け死ぬことだけは確かなため、二人は即座に書斎から脱出した。
卑猩→和人
隷爬→爬人