第百四十七話「最後の……」
いつもお読みいただきありがとうございます。
励みになります。
帰還。
メアリ・デルフィアが目を覚まし、冥月の提案を受け入れたちょうどその頃、月島教会の敷地に帰還する者がいた。
一人は二メートル近い長身に鍛え抜かれた肉体を惜しげもなく晒した少女。その身を覆うのは胸と局部のみを隠す肉食獣の毛皮のみであり、場合によっては著しく扇情的にも見える少女である。
もう片方は青い和服に艶やかな長い黒髪を持つ少女だ。まるで日本人形のような静かな美しさを秘めており、その両目は紅玉のように赤く周囲に存在感を放っていた。
「莉乃」
和服を身につけた少女、斎部清白はこちらに近づいてくる筋肉質な少女、莉乃に声をかける。
冥月とともに戦う麒麟将である二人は、パウリナ・イェンセンとの決戦の後、周囲の探索に出かけていたのだ。
「清白か、そっちはどうだった?」
莉乃の問いかけに対して清白はいささか残念そうに首を振る。
「目ぼしいものは何一つとして見つけられなかった。お主は?」
無言で首を振り、何も見つからなかったことを表明する莉乃。どうやら二人とも此度の探索は空振りに終わったらしい。
「そうか、じゃが冥月殿のおかげでここいら一帯の理気は正常化しつつある。一旦元の世界に帰ることになるかもしれぬな」
パウリナ曰く『あのお方』の力によりひどく理気の流れが歪んでいた月島の庄も、冥月が歪んだ流れをある程度是正したおかげで元に戻りつつあるのだ。
これならば『時空捻転現象』を引き起こし、元の世界に帰ることも容易いだろう。
清白の言葉に莉乃は何やら難しい表情をつくり、豊かな胸の下でその筋肉質な腕を組んだ。
「……元老院議長であるパウリナと主戦派筆頭のティーネに奴を倒したんだ。今度こそ平和になるよな?」
パウリナ・イェンセンとオットー=ティーネ・オフィルアス、二人ともEMS内部で頑なに麒麟将との戦いを主張していた人物である。
ティーネに至ってはセシルに爆弾を仕掛けて、あわよくば冥月とともに葬り去ろうとしたほどの継戦派だ。
「うむ、継戦派が軒並み消えた上にメアリとセシルといった停戦派のみが残った以上はそうなるかもしれぬな」
本来ならばそうなるところだが、言葉尻を濁す清白。彼女としては必ずそうなると言い切れないような不可思議な予感、虫の知らせのようなものを感じていたのである。
そしてそんな彼女よりも理気を敏感に感じ取れる莉乃、そのようなことを訊いたのは彼女もまた己と同じような予感を感じているからだろうと清白は察した。
「……じゃが、奇妙な予感もある。最後まで油断はせぬようにしたいな」
いずれにせよ油断は禁物、完全に平和になりまでは気は抜くべきではないだろう。清白が自分の考えを言葉にしたその刹那、すぐ近くの茂みから強烈な敵意が噴出した。
「それはもしかして私のことかしら?」
猛烈な殺気に凄まじい理気、すぐさま莉乃と清白は戦闘態勢を取る。
「っ!」
「お主は……!?」
そこに立っていたのは意外な人物であった。しなやかな四肢と鍛え抜かれた腹筋を晒す妙に露出の多い皮鎧の上に白衣という奇妙な服装の女性。
麗しい金髪に碧眼が眩しい美人だが、その視線にはEMS人らしい他者を蔑む意思が見え隠れしていた。
「オットー=ティーネ・オフィルアスっ! あの一撃を受けて無事だったってのかっ!?」
彼女こそがEMS王族にしてセシルごと冥月を爆殺しようとした人物オットー=ティーネ・オフィルアス。優秀な科学者でもあるが、複製人間による軍隊など非人道的な行いにも平然と手をつけるマッドサイエンティストである。
「うふふ、当然ですわ。下等生物の攻撃で死ぬほど私の力は未熟ではありませんわ」
せせら笑うようにそのようなことを言うティーネだったが、清白はすぐさま彼女の異質な気運に気づいた。
「莉乃、あやつの理気……」
「ああ、冥にいに消し飛ばされたティーネとはまた違う理気の気配、あいつも複製人間だったってわけか」
どうやらどこかのタイミングでまたしても本物とすり替わっていたらしい。冥月によって倒された彼女がオリジナルかクローンかは不明だが、恐らくはクローンだろうと莉乃は見当をつける。
「ふふふふ……。偉大なる魔螂族の力で最早高次元に意識が存在する私にとってオリジナルだのクローンだの今更関係ありませんわ」
何やらよくわからないことを言いながら手に持っていた剣を横薙ぎに振るうティーネ。まっすぐ伸びる刀身に鍔の部分に白い宝珠がはめ込まれた宝剣だ。
「その宝剣は、確かパウリナの……」
莉乃が言うようにティーネが持っている剣はパウリナが戦闘中に使用していたものである。
戦闘のゴタゴタで紛失したと思っていたが、どうやらティーネが回収してきたらしい。
「これは元老院議長パウリナ・イェンセンが女王陛下から下賜された宝剣、彼女はそれに見合った手柄は立てられなかったようですけど……」
「……わざわざその身を我々の前に晒したのはどんな思惑からじゃ? まさか今更降伏しに来たわけでもあるまいに……」
相手の一挙手一投足に目を向けながら清白がそう問いかけると、ティーネは得意げに胸を張って見せた。
「うふふ、今や超越者の領域にいる私の力を試すのと、最大の障害である貴方たち麒麟将を倒すために……っ!」
次の瞬間、どこからともなく飛来した雷がティーネの肩を穿つ。
あまりの激痛に宝剣をとり落すティーネの前で聖堂の扉がゆっくりと開いた。
「な、何……!?」
「神聖な聖堂前で不用意な発言をあまりベラベラとしない方が良い……」
中から現れたのは黒いキャソックの青年冥月。その後ろからアルル、そしてメアリも続く。
「き、貴様、冥月……!」
「……またしても代行体か、オットー=ティーネ・オフィルアス、これで何人目かは知らぬし興味もないが、オリジナルとはいつ会えるのかな?」
どうやら冥月は即座にティーネの正体を看破したらしい。微かに眉を潜めながら、彼女が肩の傷を癒し、宝剣を拾い上げるのを見守った。
「……ふ、ふん、貴様のような下等種族に会う必要なんてありませんわね」
普段ならば対話を重んじるはずの冥月から先制攻撃が飛んできたことに内心焦りつつも、ティーネはなんとか平静を装う。
「理由は何でも良いが、こうしてここまで来た以上、私がお前を見逃すと思うか?」
普段とは打って変わって敵意に満ちた言葉を放つ冥月にティーネは完全に気圧されたが、奥歯を噛みしめてなんとか士気を高めた。
「そ、そうやって強気でいられるのも今のうちですわよ?」
いつもと違い明白な敵意を向ける冥月の姿は異常以外の何者でもない、唖然とする一同の中でアルルのみはなんとなく理由を察しているのか、口元を引き結んでいる。
「すでに『イマジンスの鎌杖』は発動し、EMS全域の女性は大半が『魔螂羽化』真の力と美しき肉体を手に入れていますわ」
恐怖に震える身体を隠すように左手で肩を押さえると、ティーネは無言のままこちらに視線を向けている冥月に言葉をぶつけ始めた。
「全員が超越者並みの理力値を持つ上に他者を喰らえば際限なく強くなる完全なる生命体、さすがの麒麟将でも危険なのではなくって?」
「……やれやれ、だな」
心底呆れ果てたと言わんばかりの冥月。鋭い瞳でティーネを睨みすえると静かに、しかしはっきりとした口調で言葉を紡ぐ。
「完全なるものなどこの世にありはしない、すなわちいくらでも隙を突けるということだ」
「な、何を……!」
反論しようとするティーネだったが恐怖のあまり言葉をこれ以上出すことが出来なかった。
「それに対処出来ないと考えることは短慮そのもの。向こうにはヴィルヘルミナやマスティマを始めとする強力な戦士もいる。案外危険なのは魔螂族の方かもしれんぞ?」
「は、ハッタリを、超越者以外が超越者に敵うはずがないですわっ!」
ティーネの言葉に対して冥月は微かに首を振る。
「その超越者は一般人の中から生まれてくるもの、私や莉乃のように、な?」
そう、ティーネは人為的に超越者を生み出すことに終始していたが、冥月も莉乃も戦いの中で真理を体得したのだ。
つまりは本来、超越者は自然発生的に生命の中から現れるもの、その答えにティーネは呆然と立ち尽くす。
「理解したか? 超越者となり得るのは魔螂族ばかりではない。全人類等しく素質があると言うことだ」
「か、仮にそうだとしても数の上では私たちが有利、たかだか数人の超越者など……」
しかしその数人の超越者すらもこれまでどうにも出来なかった事実を思い出し、ティーネは途中で言葉を区切ってしまった。
「そう思いたいならばそう思うが良い、認識を改める頃にはもう手遅れかもしれぬがな……」
軽く目を伏せると背中を向けて聖堂に入ろうとする冥月、それを見て絶好のチャンスと思ったのかティーネは宝剣を振り上げる。
「……減らず口を……!」
剣も持たず後ろを向いている冥月にこれを防御する手段はない。一気に間合いを詰めて一太刀で葬らんとティーネは攻撃を仕掛けた。
「言うなあっ!」
素早い一撃、剣を抜いて防御したとしても到底間に合わないだろう。しかし、周りに居並ぶ面々が誰一人として警告を発しなかったことにティーネは気づかなかった。
「稚拙な一撃だ」
次の瞬間冥月は神速の動きで振り向くと、万力のような力でティーネの両手を押さえつける。
「き、貴様、まさか……!?」
「すまないが一緒に来てもらう、『イマジンスの鎌杖』が発動してしまった以上、もうお前たちを野放しにはしておけぬのでな……」
そう速やかにアベルディンに行かねばならない冥月だったが、後顧の憂いを断つためにもこの世界にティーネを残すわけにはいかなかったのだ。
「お、おのれ、よくも、よくもおおおおおおおお……!」
なんとか逃れようと足掻く間に冥月を中心にとして時空捻転現象が発生する。
「お前たち魔螂族の巣穴にまで一緒に来てもらうとしよう、この長い戦いに終止符を打つためにも、な」
何度か白い光が瞬いたかと思うと、冥月らの姿は月島の庄から完全に消滅した。