第百四十三話「ヒトを捨てる者」
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アルルの正体。
聖堂に現れたオットー=ティーネ・オフィルアスはその手に奇妙な形状をした武器を持っていた。
長大な蛇が樹木に絡みつくようなデザインの柄にその股座から牙のような刀身が生えるという鎌のような杖のような、そんな武器である。
攻撃自体には向かないその形状は儀礼的なものに使うものなのかもしれないが、そんなことよりもその武器に見覚えのある冥月は、微かに表情を歪めた。
「……それは、セオディア・ジェイゲンの持っていた杖か……?」
かつてヴァスタ大陸でセオディアが使用した杖に酷似した形状。あれを作動させることで大陸全土にいるEMS人女性が強制的に魔螂羽化させられたことを思い出す。
「『イマジンスの鎌杖』これはセオディアが持っていたものオリジナル。かつてメギドの『禁足地』で発掘されたものですわ」
ニヤニヤと笑みを浮かべるティーネとは裏腹にメギドと聞いて冥月の表情に険しいものが滲み始めた。
「メギドの禁足地だと、まさか……!?」
「そう、化石のあった遺跡に封印されていた代物ですわ。古代麒麟族はこの杖を厳重に封印していたみたいですわね」
あの杖の正体はわからないが『禁足地』しかもツクヨミの骸があった場所に封印されていた杖ともなれば、その力は未知数と言えよう。
「……また何も知らない民草や貴族を『魔螂羽化』させるつもりか?」
なんとか隙を見て杖を奪おうと様子を伺う冥月。しかし彼の狙いを知ってか知らずかティーネは中々隙を見せない。
「あら、よく知っていますわね。私たちEMS貴族の繁栄のためには大多数の犠牲が必要ですの。いつになっても下等種族との戦いを終わらせられない無能な国民にはそれなりの対処をさせていただきますわ」
どうやら冥月が思った通りティーネはあの杖を用いてEMS人を強制的に魔螂羽化させて手駒に利用するつもりのようだ。
「……貴様の勝手にはさせんぞ」
「うふふ、それはこちらの台詞ですわ」
ティーネが杖を構えるとともに聖堂内の理気が活性化し、すさまじい圧力を冥月らに与える。
「っ! この理気、まさか『十識』か……!」
間違いない、ティーネの瞳こそ『真青眼』になってはいないが、理力値に関して言うならば超越者クラスだ。
「どうなってんだ冥にい! あいつこの一瞬でいきなり成長しやがったぞ?」
信じられないという表情をする莉乃を尻目に冥月は微かに首をかしげる。
「……いや、莉乃たちの指輪同様恐らくはあの杖で潜在能力を活性化させているのだろう」
性質的には違う気もするが似たような結果をもたらすのならば極めて近いものと言えるのかもしれない。
「いずれにせよ、厄介じゃな。それにあの杖……」
刀を引き抜き油断なく構える清白を一瞥すると、冥月は微かに頷いてみせた。
「……ああ、あれが発動した場合かなりの範囲内の人間が一斉に『魔螂羽化』する」
性質上魔螂虫に寄生された女性しか変異しないのだろうが、それでも魔螂羽化した人間の強さは想像を絶するものがある。
しかも杖の力で魔螂羽化させられた女性は変異しなかった者を捕食して理気を補おうとするため、もしも超越者不在の祭ヴァスタ大陸と同じことが起きた場合、どれほどの被害が出てしまうか想像もつかない。
「……セオディアが使ったもののオリジナルとなれば、どんな事態を引き起こすか予想もつかないな」
基本的な性質は変わらないのだろうが、冥月はなんとなく嫌な予感に背中を冷たいものが走るのを禁じ得なかった。
「……さて、それじゃ最初はパウリナを返して貰おうかしら?」
次の瞬間ティーネは杖を振り上げて理気の衝撃波を放つ。しかしその一撃はパウリナの拘束を破壊するとともに、すぐ近くにいたアルルに直撃した。
「……がっ!」
口から血を吐きながら聖堂の床を転がるアルル、意外過ぎる展開に莉乃と清白は目を見開く。
「アルルっ!?」
「お主血迷ったか、アルルはお主らの仲間ではなかったのかっ!?」
清白の告げた仲間という言葉に冥月は微かに瞑目した。一方のティーネは血を吐きながらも膝をつくアルルをせせら笑うように見下す。
「仲間? 馬鹿を言うものではありませんわよ?」
トドメを刺そうと杖を振り上げるティーネだったが、咄嗟に莉乃が投擲した戦斧をかわす形で後方に退いた。
「ちっ! さすがに一筋縄ではいきませんわね……!」
「辞めろっ! ティーネ、お前気でも触れたのか……!?」
莉乃の言葉にティーネは笑みを絶やすことなく微かに鼻を鳴らす。
「ふん、気が触れたのは私ではなくそこにいる女のほうですわよ」
「……どう言う意味じゃ? アルルはお主らのスパイではなかったのか?」
状況がわからないとばかりに清白はアルルとティーネの二人を代わる代わる見つめ、首を振るった。
「表向きはそうですわね。でも実際は違いましたわ」
杖を構えるとティーネはその先端をアルルに向け、微かに顎を上げる。
「それにしても整形すれば良いものを、そんなバイザーをするなんて趣味が悪いですわね」
ティーネの口調は心底の侮蔑と明らかな嘲笑の念が宿った悪意溢れるものであり、近くで聞く冥月らも微かに眉をひそめるほどだ。
「娘に合わせる顔がないからそんなバイザーで顔を隠していたのかしら?」
娘、その言葉に弾かれたようにアルルは顔を上げたがティーネはそのまま続ける。
「どうかしら? クララ・ガドウィンっ!」
決定的な発言に莉乃や清白ばかりかパウリナまでも驚きのあまり目を見開いた。
「なっ! クララ、だと……!」
動揺する莉乃の前でアルルは常に身につけていたバイザーを外す。
「……っ!」
その奥にあった顔は整った顔立ちに碧眼を備えた美女。ヴィルヘルミナとよく似た相貌の人物、帝国宰相クララ・ガドウィンのものだった。
「……クララ、まさかアルルの正体はクララじゃったのか……」
未だに動揺から抜け出せない清白を一瞥し、ティーネは嘲笑を隠そうともせずに続ける。
「この女は所謂二重スパイ、貴方たちに探りを入れるフリをしながら裏ではEMSの情報も漁っていた国賊。真の狙いは国家を転覆させること、かしら?」
「……貴女に理解出来るとも思いませんし、理解されようとも思っていません」
事ここに至って煽るような言葉をぶつけるアルルことクララ。その言葉にティーネの表情が一気に憤怒に染まった。
「小癪な、死ねっ!」
クララ目掛けて杖から理気の雷撃を放つティーネ。しかし不思議なことに彼女は避けようとはせず、むしろ受け入れるかのように両手を広げる。
「っ! 冥月さん……?」
命中するその刹那、投擲された麒麟剣がクララに迫っていた雷撃をそらした。
「馬鹿者がっ! 貴様死ぬつもりか……!」
理法念力で麒麟剣を回収し、油断なく構える冥月を嘲弄するティーネ。
「甘いですわね麒麟将、その女は貴方を謀っていた罪人、これまで起きたいくつかの死線はその女がプロデュースしたものですわよ?」
「仮にそうだとしてもアルルを死なせるわけにはいかない」
冥月の言葉にクララは微かに目を見開くと、奥歯を噛みしめる。
「……冥月さん、貴方は……」
「やはり甘いですわね。それこそが途方もない力を持ちながらも世界を支配出来ない麒麟族の限界ですわ!」
またしても雷撃を放つティーネ。すぐさま冥月はクララをかばうように前に出ると雷を理気に変換、周囲に霧散させた。
「……っ!」
「世界を支配しようなどと大それたことは考えていないし、仮に支配を願っていたとしても非情さが必要ならばそんなもの必要ない」
冥月の言葉に周囲に満ちる理気が活性化、ティーネの精神に圧力をかけ始める。
「我々被造物に出来ることは造物主にその身を委ねて運命を受け入れることのみだ」
明日の自分の生命すらままならない人間が全能の神を気取るなど滑稽なもの、手の届かないものに手を伸ばし、結果ただ苦痛が増えるだけである。
「ならばお前たち卑猩の神たる私たちに身を委ねなさいっ!」
隙をついて近くに落ちていた木の枝を手に冥月に殴りかかるパウリナ。しかしそんな一撃を今更見きれぬ冥月ではない。
「……愚かな」
そのままパウリナの腕を掴むと、冥月は柔を用いて彼女を聖堂の外へと投げ飛ばしてしまった。
「ぎあっ!」
「パ、パウリナっ!」
窓ガラスを突き破り荒れ果てた庭園を転がるパウリナを庇おうとティーネもまた割れた窓から外に飛び出す。
「世界を支配し、人並み外れた行為に酔いしれ、挙句生命の倫理を弄んで神にでもなったつもりか? どこまで行こうが人間は神になどなれはしない」
ゆっくりと出入り口から外に出ると、冥月は鋭い瞳で二人を睨みつけた。
「ふ、不敬な……! 貴様ごとき家畜が、何を……!?」
破れかぶれになったのか杖から雷撃を乱射するティーネだったが、冥月は防御姿勢すら見せずにまっすぐ彼女に近づく。
「っ!」
「……その程度か?」
あれほどの攻撃に晒されたにもかかわらず傷一つついてはいない姿を見て腰を抜かすティーネに、冥月は麒麟剣を突きつける。
「神を騙る者にはそれ相応の報いが下る。その身をもって罪の重さを噛みしめるが良い」
ノーモーションで放たれた理力剣を防ぐ手立てなどない。ティーネは全身を焼き尽くされ、悲鳴をあげる暇もなく焼滅、『イマジンスの鎌杖』も地に転がった。
「さて、パウリナ・イェンセン。これ以上争うというならば私も容赦はしない。降伏しろ、最早お前たちに勝ち目はない」
「ふ、ふふふふ……! やってくれたわね麒麟将……!」
怪しげな笑みを浮かべながらパウリナは手にした杖を空高く掲げる。
「けれどももう終わり、この杖を使って世界はあるべき姿に戻るわ……」
「っ! いけません冥月さんっ! パウリナは杖を使うつもりですっ!」
あわてて警告を発するクララ、冥月もパウリナの狙いに気づいたのかすぐさま杖を破壊しようとするが、もう全ては遅い。
パウリナの手にある杖から異様な理気が溢れ出て周囲に、否魔螂虫が存在する全ての場所に四散し始めたからだ。
「もう遅い、さあ、世界は今こそ真の姿を取り戻すのよ」
杖を輝かせて哄笑するパウリナだったが、突如としてその表情が凍りつく。
「……え?」
見れば彼女の右手がどういう理由からか青灰色に染まっており、バキバキと骨が軋む音がして肩から鎌が生え始めたからだ。
「あががが、ば、馬鹿な、ど、どうして、どうして私が……?!」
戸惑うパウリナとは裏腹にその身体は大きく変容していく。
身体は巨大化するとともにその肌は青灰色の異色のものへと変わり果て、妊婦のように巨大化する胸と腹に押し出される形で、申し訳程度に纏っていた衣服も弾け飛んだ。
蟷螂を思わせるその巨体はまさに魔螂族と呼ぶに相応しい出で立ちである。
「『魔螂羽化』、どうやら思った通りパウリナも魔螂虫に寄生されていたらしいな……」
パウリナ自身は寄生されていないと言っていたがそんなわけはない。彼女もまた魔螂族の手駒でしかなかったわけだ。
「こ、こんな姿に、こんな醜い姿になるなんてえええええええ……!」
「な、なんかやばいぜ……」
暴走するパウリナを見てさすがにまずいと思ったのか、戦斧を構え直す莉乃。
「心配はいらない。清一がやったように空間を隔離してやれば良い」
素早く冥月が右手を振ると空間全体の流れが静止し、パウリナごと通常の空間から隔離された空間へと転移させた。
「長き因縁に決着をつける時だ。パウリナ・イェンセン……!」