第百四十話「強襲」
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莉乃と清白の二人が石段に腰掛けて何やら話しをしているのと全く同じ時刻、冥月は聖堂内でパウリナと向かい合っていた。
彼の纏う理気は決して激しくもなければ他者に威圧感を与えるようなものでもないが、その気運の後ろには名状しがたい圧力が秘められており、さしものパウリナも恐怖のあまり寒気がするほどのものである。
「……セシル・デルフィアに爆弾を仕掛けたのが、まさかお前だったとはな……」
仕掛けられた側、つまりセシルの方は自分がそのような扱いをされたことに気づいてはいなかったらしいことから、まず間違い無く同意の上で行われた作戦ではない。
味方であろうとも容赦なく利用するパウリナの態度に、冥月は言葉の中に怒りをにじませることを禁じ得なかった。
「何故そうまでして我々との戦争を願う? これ以上の犠牲者を出して何になるというのか……!」
凄まじいまでの威圧感に聖堂内部の理気が呼応し、空間全域にビリビリとした空気が広がる。
あまりの威圧感にパウリナは内心恐れ慄きながらも貴族としての矜持か、平静を装い口を開いた。
「ま、魔螂族に従い全てを支配するためには麒麟族は邪魔でしかないのよ! お前は部屋に入ってきた害虫をどう扱う? それと同じことよ」
彼女にとっての世界は自分にとって有用か無用かの二択、無用と考えられた場合はいかなる手段を用いてでも排除しようというのである。
生命の尊さも、自分以外の他者を尊重することも知らないパウリナの姿に冥月の怒りは引き、変わって憐憫の感情が首をもたげてきた。
「哀れだなパウリナ・イェンセンよ。本来すべきことを後に回して、原因と結果を矛盾させてしまっている」
威圧的な空気が変遷したことを肌で感じながらも平静を装いつつ、パウリナは冥月の言葉に反駁する。
「な、何を……!」
「考えてもみよ、お前は世界を支配したいようだがそのためには大多数の民の力が必要なのは目に見えている」
何かを生産するにしろ、そのために組織を回すにせよたくさんの人間が必要となることは大前提だ。
戦いを長引かせれば長引かせるほどに兵力を確保するため人は減り、その分生産性は低下する。
「民の力あってこその支配、それをお前は不毛な戦に駆り立てた挙句、まるで消耗品かのように人命を扱っている」
冥月の言葉は的を得ていた。人間が生まれてから仕事出来るほどに成長するためにはかなりの年月がかかる。
そんな膨大な時間を経て組織を回せるほどに成長した人間すらも容赦なく刈り取ってしまうのが戦争。
だが冥月の必死の叫びもパウリナには届かなかったらしく、彼女はせせら笑うかのように表情を歪めた。
「は、平民なんていくらでも代わりは効くわ。私たち優れた一部の人間に支配され、そのために生きることこそが愚民どもにとっての幸福なのよ」
どうやらティーネの非人道的な実験やら複製人間などを見過ぎたためか人権に対する意識が著しく低下している。
否、もしかしたら幼い頃からそのように教育を受けてきたために今更矯正できなくなっているのかもしれない。
ひとまずその点には触れることなく、冥月はパウリナの語る幸福について切り込むことにした。
「幸福、か。その割には随分と国内が騒がしくなってきたようだが……?」
EMS平民の間で反乱の動きがあることを指摘され、一気に顔色が変わるパウリナ。冥月が伝え聞いた話によればEMSの長い歴史の中でこれほど平民の感情が悪化した例はなかったとのこと。
「あ、あれはお前たち麒麟族のせいよ! お前たちさえいなければ、世界は平和なままだったのよっ!」
慌てて否定するパウリナに対して冥月は冷たい瞳を向ける。
麒麟族との戦争が長引くことはEMSで家畜奴隷と蔑まれている下等種族に苦戦しているということ。
そんな連中を早期に退治できないばかりか戦争の影響で各大陸の資材が足りなくなってくれば貴族の権威は失墜し、反乱の気運も高まるというものだ。
「……パウリナ・イェンセンよ。たらればの話をしたところで無駄なことだ。そんなことよりも先に解決すべきことがある」
起きてしまったことは覆しようがない。ならばこれから先いかにして解決していくかが重要である。
「解決、ですって?」
「そうだ。我々がやるべきことは停戦していらぬ犠牲が出ないように協定を結ぶことだ。これ以上我々が血を流しあっても仕方のないこと、協力し魔螂族の支配を打破すべきだ」
魔螂族の支配を破らぬ限り本当の意味で平和が来ることはない。仮に停戦が成ったとしても魔螂族をそのままにしておけば、あやつられたEMS貴族がまた戦争を始めようとするのはほぼ間違いなかった。
「ふん、それをしたところで私に何かメリットはあるのかしら?」
蔑むように首を上げるパウリナ。彼女にとって平和や魔螂族はどうでもよいため、自分の身をいかにして高い場所におくかばかりを考えているのだろう。
「魔螂族は取引に応じる限り私に地位と財産を約束してくれたわ。翻って冥月、お前は私のためにどんなカードを用意してくれるのかしら?」
どうやらパウリナは条件によってはEMSを裏切るのもやぶしさかではないらしい。魔螂族に従うのもあくまで旨味があるからに他ならず、冥月がさらなる好条件をつければ寝返るのは自明の理と言えた。
「……支配なぞ不必要にすべきではない。私はお前に比較的安寧な生活を約束しよう」
「はあ? 何かの冗談かしら? このパウリナ・イェンセンに隠居、しかもなんの賄賂もなくだなんて、さすがに呆れるわ」
流石に強欲な性を持つパウリナらしくそのような条件では納得しかねるらしい。
しかしひとたび反乱が起こり地位から引き摺り下ろされて仕舞えば、おそらくこれまで虐げられてきた民は容赦をしないだろう。
「お前は重大な勘違いをしている。支配することは同時に民たちの訴えを聞き、それを背負うということでもある」
これまでEMS貴族が誰一人としてやってはこなかったことだ。支配者とはあくまでも平民たちの第一人者、誰よりも民の意見を聞かねばならない立場である。
「もしもそれを理解することが出来ず、ただ他人を支配したいというだけならば、それはもはや支配ではなく圧政というべきものだ。それがどれほど危険か……」
「は、ならば私がしたいのは支配ではなく圧政、私以外の存在はみんな私のために死ぬまで働けば良いのよ」
その圧政の果てに反乱、そして独裁者の処刑があることに気づかないのか、パウリナの態度は一切変わらない。
「……ふむ、上を見てみろ」
「……え?!」
冥月の言葉に反射的に頭を上げて、パウリナは仰天してしまった。そこには切っ先を下にする形で今にも落ちてきそうな糸に支えられた剣が吊るされていたからである。
「い、いつの間に……?」
「『ダモクレスの剣』、他者の上に立つ者は常にこのような危険に晒される」
いつ剣が玉座に落ちてくるかわからない。誰かを従える者は常にこれほどの重責を心に留めねばならない。
「現在のEMSで反乱が起きそうになっているのは私が仕組んだことではない。元々いつ起こりうるかわからないような土壌はあったのだ」
重税に苛烈な身分制度、これまでなんとか回っていたことも戦争というイレギュラーが起きれば問題を呈し瓦解するものだ。
「仮に我々が何もせずともどこかのタイミングで必ず反乱は起きていた。それはお前たちEMS貴族の作り上げたものだ」
「し、信じられないわ。下等な愚民どもが、この私に反乱を起こすなんてありえない……」
この場に及んでもパウリナはまだボソボソと言っていたが、冥月は軽い調子で鼻を鳴らす。
「さあ、どうかな? お前に自由意志があるのと同じように他の者にも従うか逆らうかを選ぶ意思くらいはある」
冥月の言葉にパウリナは面白くなさそうに顔をしかめたが、結局何も言うことはしなかった。
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「ギラファ? じゃあこの男があいつの中にいた……?」
聖堂前でギラファを名乗る白衣の青年と邂逅した莉乃は戸惑いながらも清白に視線を向ける。
「そうじゃ莉乃。こやつこそが『太陽を喰らう者』ギラファの正体、斎部清一、儂の兄じゃ」
ギラファの正体は清白の兄、そんな衝撃的な事実を咀嚼する間もなく清一は静かに頭を下げた。
「この姿で会うのは初めて、いや久しぶり、だな」
どういう理由からか奇妙な言い回しをする清一に微かに莉乃は首をかしげる。
「? なんでも良い、それよりもさっきの話だよ」
「汝が『超越者』に届いたという話かな? 事実であろう?」
気になる部分こそあるがまずは超越者のこと、莉乃の言葉に清一は口を開いた。
「けど俺はそんな自覚は……」
「極端な話ではあるが、『超越者』は『九識』に至った者ならば誰でもなれる」
誰にでもという言葉を聞いて、莉乃の隣にいた清白が微かに気色ばむ。
「どういう意味じゃ?」
「『十識』に至らしめる最後の鍵は理気ではない、精神性だ」
精神性、これまでも理気を操るためには内面の状態が重要視されてきたが超越者となるにはさらに重要なのだと清一は語った。
「これまでの価値基準を捨てて全ての生命を兄弟姉妹と捉え、敵対する兄弟のために自分の命をかけるほどの覚悟、これこそが『超越者』に至る最後の鍵だ」
「精神的な問題というわけじゃな……?」
清白の言葉に対して軽く頷いてみせる清一。逆に言えばそれほどの覚悟がなければ超越者足り得ないというわけである。
「何も不思議ではない。理気は精神的な部分に大きく作用する力、それは汝らもよく知っているだろう?」
万物の根源たる理気を使う才能自体は、根源の中に含まれる全ての生命の内にあると言えるが、それを扱うためには精神的な修行が必要不可欠だった。
理気の扱いに習熟しつつも力に呑まれることなく、全ての生命の救いを願うことが出来るようになれば誰もが超越者となれるのである。
「……最初から『超越者』の力は身近にあったというわけじゃな」
「そういうことだ。そして瞳を開いた者こそが超越者、もっとも『九識』に至ったのならば別の道もあるがな……」
先を続けようとした清一だったが、錆びついた扉を開き、雑草生い茂る庭園に足を踏み入れてきた者を見てニヤリと笑みを浮かべた。
「そろそろ来る頃だと思っていたぞ?」
入ってきたのはEMSの軍服を纏った女性である。莉乃と清白にとっても因縁浅からぬ相手ではあるものの、清一とはそれを越えた奇縁で結ばれた女軍人。
「……私とケリをつけに来たのだな? メアリ・デルフィア……」