第百三十三話「指揮官不在」
いつもお読みいただきありがとうございます。
励みになります。
麒麟将のいない世界。
世界の中心地、地理的な位置としては緯度経度ゼロ度の場所に存在する中央大陸アーカラ、EMS首都アベルディン。
麒麟将との戦いが始まって以降極めて慌ただしいこの帝都の議会では連日連夜ラクィア大陸の情報が届いており、その都度悪化する戦況にヤキモキする議員で満ちていた。
「元老院議長殿が出陣されたというのに未だに麒麟将の首も挙げられぬとは、どうなってるいるのだっ!」
戦時下のため空席の多い議会にあって、恰幅のよい一人の議員が荒々しく机を叩きながら与党席に座る数少ない議員の一人を怒鳴りつける。
「……も、申し訳ありませんっ!」
謝罪した議員はまだ少女と呼んでも差し支えないような年齢だ。艶やかな短髪にシミひとつない麗しい肌、EMS人らしい起伏に富んだ身体つきの美少女である。
彼女はシーラ・イェンセン、元老院議長たるパウリナ・イェンセンの娘であり、アルディス大陸の補佐官も兼ねる人物だ。
女傑として知られるパウリナの娘にしては非常に優しい気質であり、また『士官大学校』を卒業したばかりのため政治の世界にもまだ疎いため、野党席から飛ぶ母親を責める暴言にも謝罪することしか出来ない。
「そもそもあの麒麟将は貴様の叔母たるノリス・イェンセンの実験で生まれたと言うではないかっ!?」
「そうだ! 元はと言えば貴様らイェンセン家がそのような得体の知れない実験をしたことが原因」
「おまけにヤーハンに理力兵器を打ち込み、メアリ元帥による山狩りまでしたにもかかわらず処理は不完全だった!」
「この状況は貴様らのせい、こんな状態を作っておいて、イェンセン家はどのように弁明するつもりかっ!?」
野党席から飛ぶ容赦のない罵詈雑言、シーラとしては身に覚えのあることは一つとしてなかったのだが、ただただ頭を下げるばかりである。
「国家がこうなった以上最早イェンセン家は逆賊も同然、平民落ち、否お家取り潰しも考えねばならないな」
青ざめた表情のシーラを捨て置き、ニヤリと笑みを浮かべながらその議員は議会中央の奥まった場所、玉座に座る女性に視線を向けた。
太陽のごとき金髪とサファイアのような碧眼を持ち、鋭い眼光に鍛え抜かれた身体つきとかなりの力を感じさせる女性である。
「……いかがでしょうか女王陛下、ことここに至ってはパウリナ・イェンセンの議長罷免、並びにイェンセン家の取り潰しもやむを得ないかと思われますが……」
会議をつまらなさそうに見ていた女王ハンナ・テラシア・オフィルアスは議員の言葉に顔をしかめた。
「パウリナ・イェンセンをラクィア大陸に送ったのは余の一存、処罰を受けるならばまず余からではないか?」
「これはしたり、されど彼女は勅命を果たせぬばかりか満足な功績も挙げられず女王陛下のご期待を裏切りました。陛下ではなく彼女が罰せられるべきかと……」
狸が、そうハンナは内心毒づいたがそれは表情に出すことなく軽く居住まいを正す。
「ならばパウリナ罷免の後は貴様が次の元老院議長にでもなってみるか?」
「陛下と元老院の総意とあれば……」
一瞬だけその議員の口元に笑みが浮かぶのをハンナは見逃さなかった。おそらく議員たちへの根回し、要するに賄賂は済んでいると見て良いだろう。
「……辞めた方が良い、そうなれば次に前線に送られるのは貴様ぞ?」
「……は?」
予想外とばかりにその議員はキョトンとしたが、ハンナはそれに構わずに続けた。
「元老院議長は議員、ひいてはEMSの民の代表、平時ならばともかく戦時中は最も危険な任務に就くのは当たり前のことだ」
理気の載せられたハンナの言葉に、その議員は頭から滝のように汗を流し始める。
「その覚悟がないような者が軽々しく元老院議長になるなどと考えることはおこがましい、恥を知れっ!」
女王の一喝に先ほどまで議会内に蔓延していた事情も知らぬような人間を口撃しようという空気が吹き飛んだ。
ハンナは汗を拭うことすらできずに狼狽する議員から目をそらし、その後ろに居並ぶ慌てふためく野党席の議員に目を向ける。
「この場に要職に就きたいと願う者がいるならば名乗り出よ! 元老院議長だろうが宰相だろうが望みの地位を任命してやる。しかしそれ相応の手柄は求められると心得よっ!」
最早女王ハンナに意見する者など皆無だ。前線送りだけではない、女王の覇気に皆飲み込まれていたからである。
「軟弱者どもめ、麒麟の一族を全滅させるような気概ある者はいないのか?」
女王の言葉に誰一人として挙手する者はいない。前線に出れば人知を越えた力を持つ複数の麒麟将を相手にせねばならない、それを恐れているのだ。
「よかろう、ならば話しは単純となる」
静かに玉座から立ち上がると、ハンナは腰に下げていた儀礼用の剣を引き抜く。
「次は余自ら麒麟将の相手をする。準備を進めよっ!」
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
冥月ら麒麟将とメアリ・デルフィアをはじめとするEMSの指揮官が軒並み消失したラクィア大陸の戦場。
戦いが予想以上に長引き、さらには指揮官不在となったため、EMS軍は現在急速な勢いで内部分裂を起こしていた。
主に元々ラクィア大陸に派遣されてきたメアリ麾下の正規軍とパウリナ・イェンセンの直属たる特殊部隊マルクトによる派閥争いだが、取り締まるべき指揮官不在のため好き勝手に争うという修羅場を呈している。
「……斥候からもたらされた情報とボティスが傍受した内容から以上のことに間違いはないかと思われます」
エルリクムに停泊するフリューゲルの艦橋、まとめ上げたデータを読み上げていたのは爬人の女性だ。
理知的な眼鏡にスラリと長い足に肌は透き通るように白く、一つにまとめられた髪はサラサラとした清潔感漂うものである。
彼女の名前はフォルネス、かつてはEMSに内通して麒麟将側の打倒に協力させられていたが、現在は冥月の秘書官として政務に励む爬人の女性だ。
フォルネスから話しを聞く女性は金髪碧眼のEMS人、どことなく高貴な印象を受ける風貌だがその瞳は優しく、また柔らかなものである。
スサノオと名乗る彼女はEMS人でありながら長い間ラクィア大陸に住み暮らしていたという謎の多い人物。
しかし冥月らに敵対するつもりはないらしく、普段は修道都市アラドラキアスを中心に各拠点のまとめ役のようなものを任されていた。
そんな二人がこうして最前線に出てきたのは冥月をはじめとする麒麟将らが突如行方不明となったことによる備えのためである。
戦況そのものはほとんど麒麟将側の有利に傾いているとは言え、戦時下であるため油断は一切出来ないのだ。
「概ねの戦況としてはこんなところです。先走って単独で攻撃してくる者もいることにはいるようですが、大抵はオリンフィアが一蹴しているようです」
「……EMS側も指揮系統が乱れて混乱してるみたいだね」
フォルネスの説明にスサノオは微かに考え込むように腕を組む。
「敵勢力自体は冥月たちのおかげで随分と減ったみたいだけど……」
「前哨戦でほとんどの隊が莉乃たちに蹴散らされ、虎の子である衛兵の軍団も壊滅、士気も低下しているようで脱走兵も出ているようですね」
すなわち勝敗に関してはもはや決したと考えても相違ないと言うことだ。
ただでさえ平和ボケが進行していたEMS正規軍にあって、メアリ・デルフィアのような強壮なる軍人がいなくなればどうなるかは明らかである。
「……攻めかかるならば今が好機と言えますが……」
「不要な争いを冥月は好まない、だろう?」
冥月がどのような人間かをよく知るスサノオはフォルネスの言葉を先読みして答えた。
「その通りです。現状こちらから何かせずともEMS軍は遠くない未来瓦解するのは目に見えています。わざわざ危険を犯して攻撃する必要はないでしょう」
実際フォルネスの言うようにメアリやパウリナの消えたEMS軍、マルクト双方ともに統率はとれていないのは事実。
このままいけば勝手に空中分解して戦争は終わるであろうことは明白である。
「最後まで油断すべきではないけれど、ここまで来たら後は戦後どうするかの話しになってきそうだね」
正規軍にマルクトと、ほぼ全戦力を傾けてきたこの戦争も今や麒麟将優位、さらには国内でも反乱の兆しありとなれば戦後どのようにするかによってEMSの運命は変わると言っても良い。
しかも今や力関係すら逆転しかねない現状てもなれば、EMS側も麒麟将側にかなり譲歩せねばならないのは明らかだ。
しかし反乱を起こされかねないほどに民衆の心は離れ、衛兵も全滅と言った調子で国力の浪費も著しいとなれば、もはやEMSの滅亡も目の前なのかもしれない。
「……やれやれ、なんとも難儀なことになってきたね」
「スサノオ卿は、やはり自分の祖国がここまで追い込まれるとなると複雑な心境、ですか?」
フォルネスの問いかけに対してスサノオはしばらく首を傾げ、すぐさま首肯してみせる。
「そうだね。僕も姉上とは色々あったけど、こうして存亡の危機ともなると思うところもあるかな?」
スサノオにはEMSの側に立つ姉がいるらしい。ここにきて明らかになった新事実にフォルネスは微かに目を細めたが、特に何も言うことはなかった。
「とにかく現状こちらが有利ならば特に問題はなさそうだね。なんなら冥月たちがいない間になんとか停戦条約をまとめてみる?」
冗談っぽく言うスサノオに対してフォルネスはやれやれといった様子で嘆息する。
「それが出来れば冥月様も苦労はしていませんよスサノオ卿。相手は元帥の弟、セシル・デルフィアを冥月様ごと自爆させようとする連中、我々だけで交渉するのはいささか荷が重たいと言えますね」
「わかってる。僕としても冥月不在の間に勝手なことはしないさ」
現状停戦のテーブルに相手をつかせることがどれほど難しいかわかっているのか、スサノオはそれ以上何も言うことはなかった。
その時艦橋内に設置されていたアラートが鳴り響き、ボティスがデータを確認する。
「オリンフィアから入電、一個大隊規模の軍勢が接近中とのことです」
「あまりやり過ぎないようにオリンフィアに言っておいてくれ、多分聞かないだろうが……」
大隊規模ならオリンフィア一人で蹴散らすだろうとスサノオは告げると、モニター越しに嬉々として大暴れを始めた巨女を苦い表情で見つめていた。