第百十七話「疑念」
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クララとメアリ。
冥月との密かな会見が終了したメアリはすぐさま時空捻転現象を引き起こして『オリンフィアスレギーナ』の艦長室へと帰還した。
ラクィア大陸に行って冥月と密談するなどということが誰かにバレた場合、裏切り者扱いされるのは間違いない。全ては隠密の行動である。
「……(思った通りだ。冥月は戦いよりも平和を重んじる性格、こちらもやり易い)」
暗闇に閉ざされた艦長室の椅子に深く腰掛けると、メアリは上までしっかりと締められていた上着のボタンを緩めた。
「……(停戦交渉が成ればひとまず戦争は終わる。そうなれば疲弊した国力もなんとか回復させられるだろう)」
メアリにとっては冥月ら麒麟将がこれほどの力を持っていることは予想の範囲内だったが、想定出来なかった者もまたEMS内部、特に元老院には数多くいる。
故に此度は戦争の準備が随分と遅れてしまい、不必要な犠牲を出してしまった。
人生の大半を軍人として過ごしたメアリにとってここまで犠牲が出てしまった時点で最早負けたも同じこと、麒麟将側の頭目である冥月の温情に訴え、停戦するしかないというのが彼女の考えである。
「……(それにEMS内にも不穏な動きがある。一刻も早く停戦せねば国体の維持すらも難しくなりかねんぞ……)」
メアリがそこまで考えていると、突如として艦長室の扉が叩かれた。
「……入れ」
こんな時間に来るなどただ事ではないと思いつつもメアリは入室を促す。
「宰相閣下」
音もなく扉を開いて艦長室に入ってきたのは帝国宰相クララ・ガドウィン。
基本的に怜悧冷徹な、感情を表に出すことをほとんどしない彼女にしては珍しく、瞳の奥には微かな喜色が浮かんでいた。
「こんな夜遅くに何の御用かな?」
「確認したいことがあってな」
訝しげなメアリに素早く近づき、彼女の頬に顔を寄せるとクララは小さな声で囁く。
「……冥月と会ってきたな?」
「っ!」
クララの言葉を受けて、メアリは反射的に立ち上がりそうになったが寸手のところで堪え、平常を装った。
「何のことか私には分からぬな。麒麟将冥月に会うなど危険極まりない真似をするはずが……」
「……レーダーがデモニア大陸と『オフィルアスレギーナ』の艦長室で時空捻転現象を感知した」
クララの指摘にメアリは危うく声を出しそうになったが、すぐさま冷静さを取り戻す。
艦内のレーダーは前もって全て電源を切っていたため、これはカマをかけているであろうことがわかったからだ。
「何を言っているのか分からないな」
すっとぼけるメアリに対してクララは鋭い瞳で彼女を見据える。彼女は確かに文官だがEMS内乱を生き延び、帝国宰相の座に就いただけありその視線にはメアリ同様戦士のような光が宿っていた。
「……秘密にしたいならそれでも良い。私が訊きたかったのはそのようなことではない」
どうやらこのことに関してはこれ以上追求するつもりはないらしいが、どういう理由からかクララはメアリがラクィア大陸に行ったことを知っているらしい。彼女に関しては注意が必要と、メアリは一人心に刻む。
「……では、何のことかな?」
ラクィア大陸に行き冥月と密談したことを追求しにきたわけではないならば、他に重要な案件があるはずだ。
とにかくそちらを聞こうと、メアリはクララの言葉を促す。
「セシル・デルフィアのことだ」
セシル・デルフィアと聞いて微かにメアリの表情が曇った。彼女の弟はEMS軍内では死亡扱いになっているものの、メアリは理気の流れや冥月との会話から彼が行きていることを知っている。
「セシルがどうかしたのか?」
「彼は、どこかで生きているのだな?」
確認するようにそう告げるクララ。どうやら会議室でメアリが死んでいないと言ったことについての確信を得たいようだ。
「……(しかし、なぜそんなことを訊く?)」
クララはメアリ同様この戦争が一刻も早く終息することを願う停戦派、セシルの死が継戦の大義名分となっている以上彼が生きていた方が都合が良いのは確かである。
しかしどうにもそれだけではない、停戦とは違う何か別の思惑が彼女にはあるのではないかと思わずにはいられなかった。
「……生きている。麒麟将に囚われているだろうが生命反応は弱まっていないため、丁重な扱いを受けているのだろう」
何を考えているのかわからない以上、開示するのは必要最低限にとどめておくが吉。メアリはそう判断すると言葉数も少なく、それだけ告げる。
実際会って確信したことだが、冥月はただ強壮なだけの戦士ではなく優しさも兼ね備えたまさにEMS神話の英雄、『超越者』の再来と呼ぶに相応しい人物だ。
そんな人格者がセシルを不当に扱うことはしないだろうと考えている。
「だとすればこれ以上無駄に争う必要はない。セシル・デルフィアを通じて麒麟将と和議を結ぶべきだ」
クララ自身早く停戦して自分の所轄たるアーカラ大陸における反乱の気運を何とかしたいのか、微かに逸る気持ちをメアリは察知した。
「……言われずともわかっている。だがあの王女が果たして応じるかな?」
そう呟きながら背もたれにもたれるメアリの声には微かな諦観が見える。
オットー=ティーネ・オフィルアスは女王ハンナ・テラシア・オフィルアスの身内、すなわち王族の出身だ。
立場的にはメアリやクララと対等と言えるがその生まれ故に強引に出られた場合誰も反抗出来ないのである。
そんなティーネは戦争を続けるべきという継戦派、メアリとクララにとって王族である分同じ継戦派であるパウリナ・イェンセンよりも厄介なのだ。
「……クララ、なんとかティーネ殿下に継戦を諦めさせることは出来ないか?」
机の上に両手を置き、背筋を伸ばつつ暗い部屋の中でじっと立ったままのクララに目を向けるメアリ。
「侵攻を諦めさせるためにはいくつか手段があるが、その中で最も良いのはティーネ殿下に継戦しても無意味、そればかりか損しかないと理解させることだ」
相変わらずクララの表情は一切変わらない無機質なものだが、提言した内容は極めて現実的なものである。
しかしすでに麒麟将によって虎の子の衛兵を壊滅させられたにも関わらず、継戦を主張するくらいだ、生半可な手段では考え方は変えまい。
「……いくつか策はあるが、一番良いのは次の戦いに出ていただくことだな」
無機質なクララの言葉にメアリは思わず立ち上がりそうになるが、その作戦の本質はすぐに見抜いたらしくおもむろに両手を伸ばし、机の上で両手を組み合わせた。
「なるほど、目の前で負け戦を見せることにより現実を叩き込むというわけか」
そうなればさすがのティーネも慎重にならざるを得ないだろう。後はタイミングを見計らって麒麟将側と停戦交渉を結んでしまえば良い
「しかしそのような危険な真似、殿下は承認するだろうか?」
「あの方はあれで自己顕示欲が異常に強い。女王陛下に子供がいないのをいいことに、この戦争で手柄を立て、あわよくば跡を継ごうと企んでいるのかもしれない」
つまりうまく言葉巧みに誘導してやれば必ず前線に出てくるということだ。理気を使うまでもなく十分になんとかなりそうなため、メアリは人知らず嘆息する。
「それと麒麟将側にはティーネ殿下にショックを与えるために戦うということは漏らさない方が良い」
唇に手を当てる動作をするクララ。もしも冥月がこのことを知れば必ず手伝おうとするはずだ。
そんな状態で戦えば無意識に手を抜かれティーネに理想的な衝撃を与えられないかもしれないのである。
「……まあ、私が何も言わずとも冥月は私の理気の気配で何となく事情を察するかもしれんがな」
「それは仕方ないとしよう。しかし戦闘自体は真剣にやってもらわねばティーネ殿下の心を折ることは出来ないだろう」
クララの言うようにどれほど冥月、否『超越者』の力が強いかティーネは知らねばならない。
そのためにはメアリがなんとか冥月の力を100パーセント引き出さねばならないのだ。
「……責任重大だが、やる他ないな」
ただ全力を出させるだけではなく、すぐに決着をがつかないようにこちらも理気を集中させる必要がある。
次の戦いはこれまで以上に戦いづらいものとなるかもしれない。
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「……メアリ・デルフィアを詠冥と戦わせるように仕向けたらしいな」
メアリと分かれて自室に戻ろうと廊下を歩いていたクララだったが、後ろから声をかけられてしまい、足を止めた。
「……ギラファ」
そこに立っていたのは白衣に白袴という神職のような姿をした青年である。
黒い短髪に真紅の瞳、かなり目立つ外見をしているはずだが、まるで空間に溶け込んでいるかのように存在感がなかった。
「詠冥の力は私同様、すでに『十識』の領域、メアリに勝ち目はないぞ?」
「今回は勝ち目にこだわって戦をするわけではありません。私はただ可能な限り迅速に戦争を終わらせ、平和にしたいだけです」
青年こと『太陽を喰らう者』ギラファはクララの言葉を聞いて軽く鼻を鳴らす。
「平和にする、か。だがこの戦争を終わらせることが出来たとしても、これほど麒麟将の活動が知れ渡っている以上元の通りとはいかないだろうな」
すでにあちこちに反乱の気運は飛び火しているのだ。恐らく平和になってもEMS全体は戦争前よりも不満が多くなるはずである。総じてクララたち大陸の総督は、戦闘が終わり、平和になってからの方が仕事が多くなるのは間違いない。
「……そればかりではありません。恐らくどこかのタイミングで和人爬人を保護する法案を通すことになるでしょう」
クララの言葉にギラファは驚くことはなかったが、微かに口元を歪めていた。
「それが良いだろうな。あんなのに頼っていてはいつまでたっても文明は発達せぬ」
ギラファが言ったのは和人が変異させられた変異体や『生体子宮』などの非道なものも含まれる。
「すぐになくすのは難しいかもしれませんが、こちらは何とかしておきます」
人間が人間を従えるべきではない、そう声をかけようとギラファの方に目を向けるとそこに彼はおらず、来た時同様に薄暗い廊下が広がっているばかりだった。