闇の夜の錦
闇の夜の錦。
暗い闇の夜の中、美しい錦を羽織っても、意味がない。
なぜか?見えないからだ。
どんなに美しい錦であっても、見えなければ意味がないのだ。
ゆえに、『闇の夜の錦』という言葉は、『意味のないこと』だとか、『かいのないこと』だとかいう意味の言葉だ。
私は、いわゆるエリートだ。と思う。
いくつもの受験戦争を勝ち抜いてきた。中学入試、高校入試、大学入試…………
全てに勝ち抜き、日本一の大学の経済学部を卒業して、計量経済学という学問を専攻した。誰に言っても恥ずかしくない学歴だ。
次は就職戦争だ。
ここで挫折する高学歴者は多い。
しかし、私は勝った。誰もが羨む、大企業に就職をした。年収はさほど高くはならないが、安定した基盤を持っており、離職率も高くない。日本で指折り数える大企業だ。
なんとも、順風な人生だ。
そう思っていた。
私が最初に配属されたのは国際営業部だった。
国際営業部は、海外に対する自社製品の売り込みや、調整を行う部署である。我が社の中では、1、2を争う花形部署だ。私の学歴や、実直な性格が評価された結果、私の配属先はここになったと部長からは聞いている。
しかし、花形部署で行う仕事は、英語でのメールのやり取りだけだ。外国人から送られてきた製品オーダーのメールを翻訳し、日本国内の工場にそのオーダーを充足するようお願いをする。
これのどこが花形だろうか。翻訳AIが完成すれば、私の仕事は無くなるだろう。
この仕事では、私がこれまで学んできた経済学の知識など、一つも使っていないのだ。私が22年間をかけて積み重ねてきた学識はなんの役にも立たない。
この職場では、私の学んできたことはまさしく闇の夜の錦だ。上司や同僚は、私をエリートともてはやしてくれる。バーにいけば、初対面の店主ですら私を褒めてくれる。
こんな、なんの成長もしないAIと代替されるのを待つだけの仕事をしている私をだ。
よりチャレンジングな仕事に転職すればいいという意見も、よく言われることだ。ベンチャー企業なら、私の能力を活かす場は万とある。大企業であっても、投資に注力する先進的企業にいけば、私の能力を活かすことができるだろう。
しかし、私には。
転職をするということは失敗を認めることなのだ。
私の輝かしい経歴に傷をつけてしまう。
それは、私の小さなプライドが許さない。
転職を、傷としないこともできるだろう。
例えば、大学に戻り、経済学者となることを最後の目標とするならば、一度経済の現場を見たかったのだと説明がつく。
世間はそれで、傷とは見ない。
しかし私は、私自身を誤魔化せない。
私はミスをした。その事実が私を蝕むだろう。
私は、この闇の夜の錦をいつまでも羽織り続けるのだろう。そして、闇の夜の中で舞い続けるのだろう。
錦を脱ぐ勇気は、私にはない。