7本目 母の恋愛指南
前回に引き続き、セシル目線のお話です。
「セイちゃん、あなた恋をしたわね」
目の前の椅子で足を組んで座るのは、サラリと長い黒髪を靡かせて美しい笑みを湛えながらとんでもない事を言い放つ女性。……ボクの母さんだ。
ボクは怒りでぷるぷると震える拳を握り締めて叫んだ。
「ボクまだ何も言ってないんだけど!?」
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時は少し遡り、帰宅しシャワーを浴びて出た先でまちぶせのポーズをとった野生の母さんと出くわしたところから始まる。
なんだか無性に嫌な予感がして逃げようとした瞬間、「ねぇセイちゃん、私に何か言わなきゃいけないことがあるでしょう?」と音も無く肩に手を置かれた。怖過ぎて喉から変な声が出た。
母さんに言うことなんて何も無いと振り返った瞬間、そのままむぎゅっと母さんの私室に押し込められ……目を白黒させていたボクを目掛けて飛んで来た言葉がこれである。
「やーねぇ、全身びしょ濡れで帰ってきたり階段から落ちたり家の花瓶全部薙ぎ倒したりしておいて何も無いとは言わせないわよ〜。セイちゃんのせいでオリちゃんも頭怪我しちゃったし、余すことなくきっちり全部吐いて貰うわ!」
ぐ、と言葉に詰まる。昨日と今日とでやらかした数が多すぎた。家を破壊する前にもういっそのこと全身防護服を着て部屋から一歩も出ないくらいが丁度いいんじゃないかとたまに思う。
「わ……悪かったよ。父さんの様子は?」
「オリちゃんなら、さっき私も心配してね〜。頭大丈夫?って聞きに行ったら泣きながらどこかに走って行っちゃったの。元気そうで安心したわ!」
「色々と突っ込みたいところはあるけど、多分それ暴言と勘違いしてるよ」
「あら大変!後で謝りに行かなくちゃ!」
出来れば今すぐ行ってほしい。そしてそのままボクの恋愛のことは忘れてほしい。
お悩み相談という名目で母さんが真っ先に言い出すことといえば。
「ねえ、どんな子なの?名前は?生年月日は?どんなことでも占ってあげちゃうわよ!」
「ああもうほらやっぱり言い出した!母さんの占いなんかお呼びじゃないってば!」
「もう、いけずねぇ」
母さんは占いに使うカードをシャッフルしていたが、お呼びじゃないと言われたらそれまでなのか渋々とそれをテーブルに置いた。
怪しげな術式が描かれた布やおびただしい数の禍々しい置物が置かれたこの部屋はいつ来ても居心地が悪くて堪らない。どれもこれも母さんの趣味兼、生業としている占いで使う道具だ。
『全く、よくこんな部屋で過ごせるよね……信じられないよ』
とにかく一刻も早くここから出なければ。
「じゃあね!ボクは部屋に戻るから……」
「知りたくないの?二人の相性、相手の気持ち、十年後の未来だって何でもござれなのに」
「うっ」
「この予言の魔女におまかせあれ〜。うふふっ」
ボクは上げかけた腰をストンと下ろして唸り声を上げた。
知りたくないと言えば嘘になる。けど占いの類はめちゃくちゃに信じてしまう質で悪い予言を聞いたらその日一日その事ばかり考えて何も手に付かなくなってしまうから二度とやらないと己に誓っているのだ。
「ざ、残念だったね……その手には乗らないよ……!」
「ちぇっ、仕方ないわね。じゃあ占わないから教えてちょうだい。私の目を見てそらさないで……その子は私の知っている人?」
「…………」
サッと目を逸らしてしまった。
母さんは社交によく顔を出すから、コレット嬢のことは確実に知っているはず。
「綺麗系?それとも可愛い系?」
綺麗系と言われて眉間にシワが寄った。
彼女は確実にほんわかしていて癒し系だし、可愛い系統だと思う。
「体型は?がっしり?ほっそり?ちょっとふくよか?」
全てを包み込むようなあの丸いフォルム。ぷにぷにしたクリームパンみたいな手とか、ぷくぷくの丸い頬っぺとか。思い浮かべたら自然と顔が緩んでしまう。
「ふむふむ、なるほど!分かったわ!セイちゃんが好きなのはコレット・ダンデリオン伯爵令嬢ね!」
「どっどどどどうして今ので分かったんだよ!!?」
エスパーか。この人、エスパーか。昔からなんかおかしな人だなぁとは思っていたけどまさかここまで人間離れした能力を身に付けていたとは。
「まあセイちゃんの表情が凄く分かりやすいっていうのもあるんだけどね?セイちゃんの好きなタイプに当てはまる女の子と言ったらあの子しか居ないじゃないの」
「え?へ?は?」
「抱き心地が良くて全体的に柔らかい雰囲気の、ふわふわした穏やかで優しい子が好きなんでしょ?全てを包み込んでくれるような包容力のある子」
「な、なんでそれを……!?」
「あと胸の大きい子ね」
「ぐきゅっ」
「ごめんなさいね〜私に胸が無いから憧れちゃったかしら?」
母さんに生暖かい目を向けられた。……今すぐ水路に飛び込んでそのまま溶けて消えてしまいたい。
「ふふっ、セシルの攻略情報……ゲフンゲフン、息子の事ならなんだってお見通しよ〜」
「殺せ……今すぐボクを殺せ……!」
「うふふ、常におっちょこちょいして羞恥心で死にそうになりながら生きてるんだから今更お母さんに性癖がバレたところでそんなに気に病まなくてもいいじゃないの」
「羞恥心のレベルが段違いだ……!今すぐボクを鈍器のようなもので殴ってくれ!さもなくばお得意の呪具でもなんでも使って記憶を消してくれ!」
「まあまあ落ち着いて。実は私、前からあの子には目を付けてたのよ。セイちゃんのお嫁さん候補としてね!」
およめさん。お嫁さん。……お嫁さん?
「お、おおおお嫁さん、って……!」
「うふふ、実はタイプじゃない女の子達に囲まれて他に気が回らないセイちゃんのために、私がこっそりセイちゃんのお嫁さん候補をリサーチしてたのよ!」
「ね?ぴったりだったでしょ?」と言われて何も言えなくなってしまった。母さんには本当になんでもお見通しらしい。
「いい子でしょう?コレットちゃん!前のお茶会でたまたま一緒になってびびびと来たのよ!お菓子が好きで手作りもしてるって言うから、うちの街はとっても治安が良くて賑やかで素敵だし、毎週末マルシェが開かれてて楽しいわ、きっとあなたも気に入るから是非うちに遊びにいらっしゃいって誘ったの」
「あの子をマルシェに呼んだのあんたかよ!!!」
まさかの身内によるご招待。そりゃその地を治めている当主の妻に治安が良いと言われれば従者も付けずに一人でノコノコやって来るはずだ。今更になって叱りつけてしまったことを後悔する。
「ていうか、何で母さんがあの子が街に来たことを知ってるのさ。あの日母さんはずっと家に居ただろ」
「事前にお手紙が送られて来たのよ。マルシェで自分が手作りしたお菓子の販売をさせて欲しいって」
「言ってよ」
「勿論OKしたわ!出店申請書も私がハンコ押したし」
「するなよ、しちゃダメだろうが」
「だってまさか本人が販売者側で来るとは思わなかったんだもの!」
勇気凛々。ダンデリオン伯爵領の小麦を使った手作りお菓子という触れ込みで遣いの商人がやって来ると思っていたのに、まさかまさかの作った本人が店頭に立ってしまったというわけか。
「こっちは普通にセイちゃんと会わせてマルシェでデートでも、って思ってたのよ?それなのに肝心のセイちゃんは朝早くから街に遊びに行っちゃうし、来ると思ってたコレットちゃんは待てど暮らせどうちに来ないし!おかしいと思ってオペラグラスで街の様子を覗いてみたらどういう訳かコレットちゃんとセイちゃんが二人でお菓子の販売してるじゃないの!私衝撃の余りひっくり返ってそのまま宙返りしたわ!」
「それはちゃんと事前に言っといてくれなきゃだめだろ。ボクは初出店の店がある日はマルシェに検食しに行かなくちゃいけないんだから」
そしてそのついでに子どもの掘った落とし穴に嵌るし市場で使いっ走りだってさせられる。何気にボクは忙しいのだ。何故か街の人には遊んでいると思われてるみたいだけど。
「それにしてもあの子、意外に行動力あるのね!びっくりしたわ!」
「ボクもびっくりだよ。あんな貴族令嬢が居るなんてさ……」
「でもセイちゃん、ちょっと大胆なのも可愛いって思ってるでしょ」
「ぐぬぅ……」
否定出来なかった。彼女は少し危なっかしいけど、ボクが一緒に付いていれば問題ない。はず。あ、やばいなんか自信なくなってきた。そもそも自分の方が彼女より数倍危なっかしい気がしなくもない。
「それで、コレットちゃんとは次会う約束はしたのかしら?」
「……次のマルシェに来るって。約束させたよ」
「さすが私の息子ね!でも約束させたってことは一方的ね。まあ少し強引なくらいが丁度いいかもしれないけど」
「楽しみね〜」と言われて素直に頷く。
彼女とまた週末会える。それを思うだけで何だかひとりでに胸が躍った。
「あっ」
「なぁに?どうしたの?言ってご覧なさいな」
「……あのさ、母さん。恥を忍んで聞きたいんだけど……コレット嬢に効果的なアプローチって……」
あと数日でまたコレット嬢が来る。それまでに何か良いアプローチ方法は無いかと問えば。
「確実にお菓子ね!」
「それはボクだって見てれば分かるよ!」
お茶会で見る度に四六時中お菓子を食べていたし、マルシェでもお菓子の話をした途端目の色が変わったのだ。
お菓子を好きなだけ食べさせてあげるのは決定事項として、もっと物とかじゃなくて技術的な知識を学びたい。
「こう、恋愛に役立つ先人の知恵というかさ……」
「ふむふむ、なるほど!ちょっと待ってて頂戴!」
母さんは席を立つとバビュンと勢い良く部屋を出て行ってしまった。速い。
「な……なるべく早く帰って来てよ!うぅ……ほんっと趣味悪い部屋だなぁもう!」
背骨を丸め、正面に飾られた藁でできた人形に怯えつつ冷めた紅茶を怖々と口にする。部屋に飾れられているのはどこぞの民族に言い伝えられている魔除けの仮面だとか、変な文字?のようなものが書かれた御札とか。とにかくおどろおどろしいったらありゃしない。とっとと戻って来てくれないと気が狂いそうだ。
などと思っていたらバン!と勢い良く部屋のドアが開いて思いっ切り噎せた。
「待たせたわね!」
「ゴボッ!ゲホゲホ……!び、びっくり箱みたいに飛び出すなよ!心臓が止まるところだっただろ!!?」
「やーね、そんなに驚かなくったっていいじゃない。うふふっ!」
いつもいつも登場の勢いが良すぎる。危うく紅茶で溺れるところだった。じっとりと睨みつけつつ、母さんの持って来た物に視線を向ける。
「何だよそれ」
母さんが手にしていたのはブックカバーの掛けてある一冊の本だった。カバーの色が褪せていて結構古そうに見える。
「こっそり持って来たわ!」
「ふぅん。なになに……?」
手渡されたそれのブックカバーを捲ると、中からどっピンクな表紙が出て来た。
「オリちゃんが昔愛読していた恋愛指南書よ!」
「めちゃくちゃ黒歴史じゃないか!!!」
残酷すぎる。お茶目にも限度がある。父さんが可哀想になってきた。
「これを読めば多分上手くいくと思うわ!」
「多分ってなんだよ……」
「だって私、それをオリちゃんが読み始める前からオリちゃんの事が好きだったんだもの。それの効果は知らないわ」
にこにこしながら平然と言ってのける母さん。その表情は結婚して20年が経とうとしている今も変わらず恋する乙女のものだった。
「……そっか。じゃあ……」
「恋愛アドバイスはしないわ。けど古来より変わらずファンの多い人気キャラ……ゲフンゲフン、いい男には必ず当てはまる三原則があるのよ」
「いい男?」
「そう、いい男」
いい男。いったい何をすればいい男になれるのか。
「まず最初に恋しさよ」
「いとしさ」
「ちょっと可愛いことして親近感を持たせるのよ。あら、普段はキリッとして近付き難いと思ってたけど意外と可愛らしい一面もあるのね、前よりちょっと話しやすいかも……って思わせるのよ!」
「なるほど」
ためになる。これ、結構的を得ているかもしれない。母さんがよく言っている「ギャップ萌え」というやつだろうか。大いに活用しよう。
「次に切なさね」
「せつなさ」
「いい男には影があるものよ。過去にあった少し悲しい出来事を打ち明けたりして支えてあげたいと思わせるの」
「なるほど」
こんな恥ずかしい過去を晒せるのはあんただけ、みたいな。特別感があっていいじゃないか。メモメモ。
「最後に心強さよ」
「こころづよさ」
「結局最後にものを言うのは男らしさよ。いざとなったら頼りになるキャラ……ゲフンゲフン、頼りになる男はいつの時代も人気よ!」
「なるほど」
やっぱり強さは必要なんだ。ボクは体型維持のために身体も鍛えてるし、いざという時頼れる男だということをアピールしておかないと。
「なんかちょっと分かった気がするよ。いい男の三原則は恋しさとせつなさと……」
「待って、繋げて言っちゃダメよ」
「はぁ?」
「とにかくだめよ、だめったらだめ。いい?繋げて言っちゃだめなのよ」
なんだかよく分からないけどとにかくだめらしい。
ボクは腑に落ちないながらも取り敢えず了承した。
母さんは「なんて言いつつも、私あの曲よく知らないのよね」と言いつつ、鼻歌を歌いながらカードをシャッフルし始めた。やけに耳に残るメロディーだ。街で流行りそう。でも昔母さんが口ずさんでいた歌を勝手にアレンジして王都で流行らせた弟が「著作権!」とかよく分からないことを言われながら叱られていたなと思い出してふっと笑いを零す。
「ありがとね。まあまあ役に立ったよ」
「お役に立てたならよかったわ!ついでに占いも……」
「やらない!」
勝手に占われる前にさっさと部屋から退散する。後ろ手に閉めたドアの向こうから不気味な笑い声が聞こえて来たのでボクはそそくさと足早に部屋を後にした。
手には父さんの恋愛指南書。役に立つかは分からないけどしっかり読み込んでおかないと。
「早く来ないかな、週末」
くすりと笑みを零し、ボクはじっくり指南書を熟読すべく庭園へと足を向けた。