6本目 たんぽぽ令嬢に想い馳せて
セシル目線のお話です。
「おい、またセシル様が流れて来たぞ」
「ああ、何故ローゼブル侯爵家の方々はみんな何かあるたびに水路から流れて来るんだろうな……」
「小舟に横たわって水の上を流れる姿は美しいが……今回もきっとしょうもない悩み事とかで頭を悩ませているんだろう。すっ転んで侯爵様が大事にしていた花瓶を割った、とかさ。はは、いつもの事か」
「セシル様の悩み事……?そういえば先日、セシル様がどこぞのご婦人と仲睦まじく街を歩いていたという噂が……もしや恋の悩み!?この年で!?」
「しっ、聞こえるぞ」
水路の上に架けられた橋を、若い男達が何やらこそこそと耳打ちしながら渡って行く。
ボクは薄らと目を開けてぼんやりとそれを眺めていた。
「はぁ……」
何をするでもなく、仰向けになって空をぼうっと眺める。
頬をあたたかく照らす春の陽気に、風に流され移り変わる雲の形。ゆらゆらと揺れる舟の底から感じる水の気配に気分が落ち着く。
結論から先に言うと、どうやらボクはおかしくなってしまったらしい。
普段から自分がそそっかしい自覚はあるけど、昨夜は家の中を移動するのにもあちこちにぶつかりうっかり階段から転げ落ち、挙句の果てには家中の花瓶をなぎ倒して割りまくってしまった。更には運悪くボクがぶつかって落とした絵画の額縁の角が父さんの頭に直撃してしまい、包帯ぐるぐる巻きの状態になってしまった父さんからやんわりと「何か変なもの拾い食いした?」と言われる始末。
動揺のあまりボクが拾い食いなんかするわけがないだろ、馬鹿にするなと散々キレ散らかしていた所、通りすがりの弟に「恥を晒すのも大概にしてほしい」という暴言を吐かれて冷静になった。そして「酷すぎる」「理不尽」「悪魔」と言いながら泣き喚いていた父さんに謝った。全治三週間だった。
そうして、落ち着かない心持ちのまま昔じいちゃんが暇を持て余して自作したという小舟を引っ張り出して来て今に至る。
家中の花瓶を割ってしまったり、階段から転げ落ちてしまったり、乱れに乱れた己の心を落ち着けるために水路をどんぶらこっこと流れる羽目になったのも、全部、全部。
「それもこれも全部あの子のせいだ!」
わっと顔を覆ってゴロンゴロンと転がる。小舟がギッコンバッタンと揺れ、水路の上から誰かの「うわっ」という声が聞こえた。誰だ今うわっとか言ったの。失礼だろ!
「うぅ……」
思い出すのはふわふわと波打つ、優しいたんぽぽ色の長い髪。
昨日、ふっくらふくふくな身体をしたお菓子なコレット嬢……コレット・ダンデリオン伯爵令嬢がお忍びでうちのマルシェにやって来た。
滅多に行かない茶会や夜会で時折見掛けるコレット嬢はいつも手にお菓子を持っていて、よっぽどお菓子が好きなんだろうなぁとは思っていたけどそれだけで。まさか自分でお菓子を作って、それを他の領地で販売しようと一人で飛び込んで来るような行動力があったなんて思いもしなかったから心底驚いた。
たった一人で使用人も付けずに平民のような格好をして紛れ込んでいたもんだからまさかご令嬢だなんて思わなくて、商人の癖に目の前に居る客に気付かず何をぼーっとしているのかと腹が立って随分不躾な態度を取ってしまったと思う。
コレット嬢だと気付いた後も相手が貴族だと分かる対応をしたら周囲に彼女の身分がバレてしまうため引くに引けず、最後まで領民を相手にする時と同じような接し方になってしまった。
けれど彼女はそんなボクの態度に気を悪くするでもなく、戸惑いつつも最初から最後まで穏やかに微笑んでくれていた。
「…………」
ボクに媚びた視線を向けて擦り寄ってくる女の人達は、みんなコルセットをきつく締めたガリガリの折れそうな身体で香水のキツイ香りを身に纏っていた。
誰かを蹴落として自分が上に立つことしか考えていないみたいな醜い表情で、社交だから仕方がないとはいえ会話をするのが苦痛で仕方なかった。
でも、彼女は全く違った。抱き起こして貰った時に触れた肌はぽよぽよと包み込むように柔らかく、髪からふわりと漂うのは小麦粉と砂糖の甘い香りだった。ぽかぽかとボクより少し高い体温が心地良く、あのままずっと包み込まれていたいだなんて思ってしまった。
そして帰り際、素のあなたを知れてよかったと穏やかに微笑んだ、その声があまりにも優しくて。
「何なのさ……めっちゃくちゃ良い子じゃないか!!!」
そそっかしくてからかわれてばかりで、どうしようもなく情けなくて。それでも何か人の役に立ちたいと足掻いていたボクを真正面から見つめてくれた。
苦手な社交で笑顔を貼り付けて愛想を振り撒いているボクより、素のボクの方が素敵だと言ってくれた。
「まさかあんな子が居たなんて!!!」
自分を抱き締めて身悶えしながらじたばたしていると「寒いのかしら」「春先だからねぇ」「毛布掛けてあげましょ」という会話が聞こえて何処からともなくふぁさっと毛布が投げ込まれた。
別に寒いわけじゃないんだけど、と言いたいところだけど領民からの厚意は素直に有り難い。
ムクリと起き上がり、ふにゃりと弛んだ顔で「ありがとね」と手を振ったら「顔が良い……!ポンコツなのに!」と言いながら主婦二人がその場にズシャァッと膝をついた。雑貨屋の奥さんとその向かいの花屋の奥さんだ。ポンコツは余計だ。でも後で毛布のお礼しに行こう。
それにしても、今まで何度も機会はあったのになんで一度も話し掛けなかったんだボクは。
香りの強い派手な毒花に囲まれて、道端で静かに咲く素朴で可愛らしい花が見えていなかった。見たくないなら見なければ良いのだと、細い目で笑っているフリして完全に目を閉じていたのが仇となった。あの時は天才的発想だと思ったのに今となっては頭が悪いとしか思えない。表情筋も吊りそうだったし。
「はぁ……」
また会いたくて、半ば強引に来週も来る約束を取り付けたけど変に思われなかっただろうか。しかもなんだ覚えてろーって。悪役が言うセリフじゃないか。キャパオーバーしたとはいえ半泣きだったしあまりにもダサすぎる。
今まで女性が苦手で異性と二人きりで一緒に過ごすなんてことが無かったから、エスコートすらもままならずにずっと挙動不審な態度を取ってしまっていたような気がしなくもない。顔が良くなければ不審者になっているところだった。つくづく絶世の美青年でよかったと思う。かっこいい顔に産んでくれた両親に感謝だ。
「ん……?」
腕にパサリ、と何かが落ちてきた感触がしてそれを持ち上げる。いったい誰が放り込んだのか、ボクの手の中で美しい一輪の青い薔薇が優雅に咲いていた。
ローゼブル侯爵家の象徴ともいえる、華やかで気品を感じさせる青い薔薇。どこの誰だか知らないけど、ボクの美しさに花を添えたくなったのだろう。
「ふふん、中々見る目があるじゃないか」
薔薇を手にして再び横になり、目を閉じる。すると先程の薔薇が投げ込まれたのを合図に次々と青い薔薇が降ってきた。
「まあ悪い気はしないね」
美しいボクには薔薇が似合う。
そう、薔薇、薔薇、薔薇……が……。
「多いよ!!!窒息しちゃうだろうが!!!」
「げっ、バレた!」
「みなのものーっ!ずらかるぞ〜!」
がばっと跳ね起きてくわっと目を剥くと、水路の上からこちらを覗き込んでいた男児二人を先頭に子ども達が「セシルさまが怒った〜!」「にげろ〜!」と笑いながら蜘蛛の子を散らすように一斉に走り去っていった。
「くっそ〜……あいつらめ……!」
いたずら好きの双子の兄弟、テオとニケ。二人は街の子ども達を引き連れてあちらこちらに出没しては街を騒がせている。子どもだと油断しているとまあまあ痛い目に遭わされるので要注意だ。
「まあ、子どもが元気なのは良いことだけどさ。ふふっ」
いたずらは困るけど、子どもの笑顔が多いのは街が潤っている証拠だ。この街を治めている侯爵家の人間としては嬉しく思う。いたずらは困るけど。
一体どこからこんな量の薔薇を持って来たのか、気付くとボクの乗っている小舟が薔薇風呂のようになってしまっていた。
「あーあ、こんなに沢山……ん?」
風呂に浸かる時と同じ体勢になろうとして腕を出すと、無意識に何かを手に掴んでいた。仰向けに寝た体勢のままそれを空にかざしてみると、人型のニンジンが爽やかな笑顔をこちらに向けていた。
「ぷっ……なんだよこれ」
薔薇と一緒に投げ込まれたのだろう。子どもの描いた下手くそな顔が描かれたそれを手に、思わず顔が綻ぶ。
ロベルト。ローゼブル侯爵領に伝わる恋愛成就の御守りだ。
「すき、になっちゃったんだろうな……あの子のこと」
じゃないとこんな感情、説明がつかない。あの子のことを考える度に叫び出したくなるくらい胸がドキドキする。
白くもちもちとした柔らかな肌。あたたかな体温。ふわふわのたんぽぽ色の髪から漂う甘いお菓子の香り。ぽってりとしたピンク色の少し厚めの唇。そして身長差のせいで上目遣いになったまん丸の若葉色の瞳……。
今までじっくり見る機会がなかったから気付かなかったけど、控えめに言ってめちゃくちゃ可愛かった。食べてしまいたいくらい可愛かった。抱きとめられた時に顔を埋めた胸が大きくてめちゃくちゃ柔らかかったし……、っていや何考えてるんだやめろこんな所で。鎮まれボクの煩悩。ステイステイ。
自分を取り巻く令嬢の輪の中に居なかったから。そんな気の緩みで彼女に秘密を打ち明けると、身体が弱いと嘘をついていたのかと責められるどころか、元気だと聞いて安心したと微笑まれた。しかも体調が悪くなったらすぐに休めと言う。
『あんなん好きになるに決まってるだろ……』
優しすぎる。慈愛の化身かあの子は。もし実は私は女神の生まれ変わりなんですと言われたら、そうだろうと思ったよと言いつつそっと合掌してしまう。ボクに手を差し伸べてくる女の人は大体下心を孕んだ目付きをしていたけど、彼女の瞳には純粋な心配の色が見えた。下心無しであんな優しい女の人今まで会ったこと無い。勢い良く恋に落ちるに決まってる。
そういえば、一緒に行動している間、彼女はずっと「私なんか」と口にしていたように思う。身分や世間一般的な美的評価を気にしての発言かもしれないけど、なんだか自分に自信がなさそうで、時折困ったように眉を下げて笑う仕草は何かを諦めているようにも見えた。
マルシェを楽しんでいた時の彼女はとても自然に笑っていたからそこまで気にしなくても良いのかもしれないけど、やっぱり少し気にはなる。
『あの子はボクを認めてくれたから、今度はボクがあの子に前を向かせてあげたいな……』
余計なお世話かもしれないけど、元からこういう性格だ。これからはとことんお節介を焼いて甘やかして、今まであの子が体型のせいで諦めたものを与えてあげられたらと思う。体型も含めてボクは彼女を好きになってしまったのだから。
「さて、これからどうしようかな」
この国は最近平和で、よっぽどの事情が無い限り貴族も恋愛結婚が主流だ。どうしたら彼女に好きになって貰えるんだろうと考えて、はたと気付く。
「あれ?ボクってもしかして恋愛偏差値低くない?」
コレット嬢とは一日一緒に行動したが、彼女は一度もボクに対して恋愛的な感情を抱いた様子が無かった。
今まで何もしなくても勝手に恋愛感情を向けられていたから、ボクの顔の良さが通用しない人に好きになって貰える方法が分からない。
女の子へのアプローチってどうやるんだろう。ロベルト渡せばいいの?いや他領の人にはこれ通じないって。ただハンサムな顔の描かれた人型のニンジン貰って扱いに困るだけだろ。
「じゃあ……」
ロベルトを置き、一輪の青い薔薇を手に取る。
このローゼブル侯爵領に古くから伝わる求婚の儀だ。
「……貴女に、青薔薇の祝福を……って、無理に決まってるだろ初っ端からプロポーズなんて!そもそもあんな別れ方していったい次どんな顔して会えば……って、えっあっ嘘でしょちょっ待っ……ふぎゃーーーッ!!!!!」
悶え、ドスンバタンと暴れたためにぐらりと傾いた小舟。
哀れ、思いっ切り裏返った情けない叫び声と共に水路にバシャンと大きな水飛沫が上がったのだった。