5本目 黄昏の愁いと再会の約束
人の往来がまばらになる黄昏時。
時計台の鐘の音を合図に、マルシェを楽しんでいた人達も足早に帰路を急ぎます。
遠くの空が薄らと赤みがかってゆく中、私達は町外れで迎えの馬車を待っていました。
「セシル様。本日は本当にありがとうございました」
「ん?」
私は、柵にもたれ掛かって水路を舟が流れていくのを眺めていたセシル様に歩み寄り、深々と頭を下げました。
「初めてで慣れない商売で不安でしたので、セシル様がお隣にいて下さったのがとても心強くて。販売を手伝って下さった上に街の案内までして頂いて、本当に何とお礼を言ったら良いか……」
「ありがとうございました」とまた頭を下げると、セシル様は「いいよ、それくらい。ボクにとっては散歩のようなものだったし」と言って軽く笑いました。
「それより、もう二度と自分だけで他の領地に行こうなんて考えるなよな!今度また一人でひょいひょい現れようものなら承知しないよ!」
「うぅ……その件については本日は大変申し訳なく……」
縮こまってペコペコと頭を下げると「以後気をつけな!」と釘を刺されました。
口には出さないけれど、相当心配して下さっていたのでしょう。セシル様がほっと肩を撫で下ろしたのが分かりました。
『セシル様に心配を掛けて、申し訳ない事をしてしまったわ……』
勇気を出して来てみたけれど、お菓子の販売はもうやめた方がいいのかもしれません。セシル様にこれ以上ご迷惑をお掛けする訳にはいきませんもの……。
「来週はトウカ国から商人が来るんだ。良いスパイスが揃ってるから辛党の奴らが沢山来るよ。お菓子の材料になりそうな香辛料も売られてるだろうし、勿論あんたも来るだろ?ちゃんとボクが案内してやるから安心して……」
「あ、あの……私、来週からはもうお菓子の販売をお休みさせて頂こうかと……」
「は、はぁ!?嘘だろ!?なんでっ。どうしてっ!?」
セシル様があまりの衝撃にズザザッと後退りしました。明らかに予想外といった反応です。どうやら私が来週末も来ると信じて全く疑っていなかったようです。
「な、なんで来ないんだよ……!何か外せない用事があるとか……」
「そ、そういう訳ではないのですが……」
迷惑を掛けたくないと言ったら、なんだかまた怒られてしまいそうで。
そっと目を逸らすと、ふっとセシル様が俯きました。
「……やっぱり、素の状態で会わなきゃよかったな」
「え……」
「幻滅したんだろ。ボクのこと」
私は一瞬彼が何を言ったのか分からなくて、呆然とセシル様を見つめたまま動けなくなってしまいました。
誰が、誰を?
私が、セシル様のことを?
「……あんたとは今日一日で結構仲良くなれたと思ってたけど……どうやらボクの勘違いだったみたいだね。……勝手に勘違いして舞い上がって、ばかみたい」
「えっ……!?わ、私そんな……!」
私がセシル様のことを嫌いになるなんて、そんなことあるはずがありません。
すらりと細い体型しか良しとせず、太っているというだけで嘲笑し邪険にする貴族の人も少なくない中、セシル様は私に気付いてわざわざ私の元まで走って戻って来て下さいました。そしてお菓子の販売を手伝って下さった上に、街の案内まで。今日一日、初めての場所に戸惑う私をずっと傍に居て気遣って下さって、どれほど心が救われたか分かりません。
こんなに親切で素敵な人を、どうして嫌いになんてなれるでしょう。
「あんたが居るなら大嫌いな社交にだって顔を出しても良いと思ったけど……関わりたくなかったら、これからもボクのことは無視してくれてもいいから。ボクもあんたには話し掛けないようにする。だから……」
「今日のことは、忘れなよ」というセシル様に、私は問い掛けました。
「セシル様は、どうしてそんなふうに思うんですか……?」
彼のその自信の無さは、いったい何処から来るものなのでしょう。こんなに素敵な方なのに。
私にはどうしても分からなくて尋ねると、彼はぐっと唇を噛み締め俯きました。
「……どうして、って。今日一緒に過ごしてあんただって分かっただろ。ボクが完璧な王子様なんかじゃないってこと」
「それは……」
「昔から自分がそそっかしい自覚くらいあるんだ。おっちょこちょいで、何も無いところで転んだりして。貴族の集まりでは取り繕ってはいるけどさ。こんなの全然、みんなが憧れる理想の《青薔薇の貴公子》なんかじゃないだろ。……騙された、って思われたって仕方ないよ」
そう言ったセシル様の声は酷く小さく、よく通る声で喋るセシル様の口から出たものだとは思えず沈黙します。
『もしかして、昔誰かからそう言われたことが……?』
セシル様のアメジストの瞳が悲しげに揺れ、伏せられた長い睫毛が震えていて。見ているだけで胸がぎゅっと締め付けられます。
確かに素のセシル様は表情豊かで少し賑やかで、おっちょこちょいなのにとても強がりで。その上少し言葉に棘があるけれど、キツい言葉は私を心配して下さったからこそ出た言葉で。
領民達と楽しそうに笑っていた時の表情はとても輝いていて、彫刻のように美しい笑顔を貼り付けている社交の時なんかより、よっぽど……。
「私……失礼かもしれませんが、今までセシル様のことを少し近寄り難い方だと思っていたんです」
「…………」
「社交の場で見るセシル様はいつだって華やかで、一切の隙も見せないような完璧なお方で。……でも、周りに人は沢山居るのに、どこか人との間に壁を作っているような近寄り難い空気を纏っていて」
プライベートな話は一切せず、ただ淡々と情報交換を行うその様子は、まるでとても精巧に造られた人形が動いているようでした。
でも、そうじゃなかった。本当のセシル様は全然完璧なんかじゃなくて、ちゃんと心のある人間で。感情豊かでころころと変わる表情は見ていてとても楽しく、私が今まで出会ってきた人の中で一番人間らしい人だと思いました。
だから、私は。
「私、素のセシル様の方が素敵だと思います」
「……へ?」
「口調も、態度も……。少し今までの印象と違ったので驚きましたが、領民と気軽に話せる距離で自然な笑顔を咲かせているセシル様は、社交の場でお見かけする時より断然素敵だと思いました」
そう言って微笑むと、セシル様はぽかんとした表情で私を見つめ、「素のボクが素敵だって?」と本当に意味が分からないといったように眉を顰めました。
「なんでだよ……。ボクはポンコツでおっちょこちょいだって、子どもにだって笑われて……」
「セシル様のそんな親しみやすい所が領民に慕われているのではないでしょうか。完璧だけれど自分達もあまり会ったことの無い領主より、毎週末街に顔を出して自分達をよく見てくれるセシル様だからこそ信頼されているのだと思いますよ」
「でも……」
「それに、自ら体を張って危険から領民を守るなんて簡単に出来る事ではありません。街の人達もからかうような口調ではありましたが、セシル様にとても感謝しているように感じました」
「なんて、今日初めて来た私が少し偉そうでしたでしょうか」と笑ってセシル様を見つめます。彼は泣き出しそうな顔をして、「あんたって、変なやつ……」と顔を歪めました。
「そんなこと、初めて言われたよ。……でも、そうだね。ボクがこんなでも、付いて来てくれる街のみんなが居るんだから。ボクが自分を認めなきゃ、ボクを信じてついて来てくれてるあいつらに失礼だ」
「ふふ。先程は言えなかったのですが、街の人を守っていたセシル様、とってもかっこよかったです。実際にお話してみると社交の時に見かける時よりもずっとユニークな方で……私、今日セシル様とお会いできて良かったです。素のあなたを知れてよかった」
「え……」
完璧だと思っていた人は、案外未完成ながら想像よりも温かく。
「嫌いだなんてとんでもありません。さっき、仲良くなれた、って言って頂けてとても嬉しかったです。こちらこそ、こんな私なんかで良ければこれからもよろしくお願い致しますね」
そう言って微笑むと、セシル様は驚いたように目を見開いて硬直してしまいました。
私の顔に何か付いているのでしょうか。ぺたぺたと顔を触りますが何も付いていません。
「あの……?」
どうしたのでしょう。
心配になって声を掛けてしばしの沈黙後、セシル様は突然ボッ!と顔を真っ赤にすると勢い良くそっぽを向いてしまいました。
照れてしまったのでしょうか。なんだか可愛らしくて思わずくすりと笑ってしまいます。
「あ……」
そうこうしているうちに遠くからヒヒン、と馬の嘶きが聞こえて来ました。迎えの馬車が来たようです。セシル様とももうお別れしなければいけません。
「それでは、私はこれで……」
「本日はお世話になりました」と微笑んでぺこりと頭を下げ、私達の前で停まった馬車の方を向きます。
御者のマックスが降りて来てドアを開けてくれるのを見ていると、今までずっと黙っていたセシル様が「まっ……待ちなよ!!!」と盛大に声を裏返しながら叫びました。
「は……はい!?」
弾かれたように振り返ると。
『えっ!?お、怒って……!?』
セシル様が握り締めた拳をぷるぷると震わせながらこちらを睨み付けていました。
セシル様を怒らせるような事。ああどうしましょう、心当たりしかありません。思い返せば格上である侯爵家のご子息を相手に何やら失礼な事ばかり言っていたような気がします。自分なりに精一杯感謝の気持ちを伝えたつもりだったのですが足りなかったのでしょうか。
おろおろする私に降ってきたのは、「あああ……あんたさ!来週もその先も、お菓子持ってうちに来なよね!」という少し震えたセシル様の声でした。
「……え……」
「え、遠慮なんかしなくていいから……!今度はちゃんと使用人もつけて、今日より品数増やしてさ……!」
「絶対来いよ!来なかったら承知しないんだからな!」と……茹でダコもこんなに赤くならないんじゃないかというくらい真っ赤な顔で言い放ったセシル様は弾かれたように街の方角へ駆け出し、足をもつれさせてべちゃっと転びました。
「へぶっ!」
「……………」
セシル様のポケットからばらばらと飴玉が溢れて転がります。セシル様はササササッと飴玉を拾い集めるとこちらをキッと睨み付けました。羞恥やら何やらで潤んで半泣きになっています。
「あの、セシ……」
「ううっ……お、おぼえてろーーっ!」
セシル様は私がぽかんと呆気にとられている間に脱兎の如く走り出し……今度こそ見えなくなってしまいました。
「お嬢様、なんなんスかあの見るからにポンコツそうな超絶美青年は……」
マックスがぽかんと口を開けています。「こら、いけませんよ」と注意して、でも心の中で少しだけ同意してしまったのは内緒です。
甘い薔薇の香りのする街。少し棘のある言葉使いの、風変わりだけど世話焼きで優しい青年。
「ふふっ。次はどんなお菓子を作って行こうかしら」
帰りの方角へ向かってカラカラと走る馬車の中、私は次の週末を心待ちにしてひっそりと微笑んだのでした。
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コレットが帰った後、市場の者達が一日の終わりに集うとある酒場にて。
酒の席では昼間のセシルとコレットの話で持ち切りになっていた。
「どうやらセシル様に春が来たらしいぞ」
「聞いた聞いた。少しふくよかだが品の良い可愛らしいご婦人と一緒に歩いていたとか」
「俺は見てたけど穏やかで慎ましやかな方だったぞ。ありゃ平民の格好してたけどどこかのお貴族様だね。俺達平民とは佇まいがまるで違う」
「バレると色々厄介なんだろう。気付かないふりしててあげよう」
コレットの変装の甲斐なく、街の人達にはすっかり貴族だとバレていた。
しかしうちにはお忍びで遊びに来ているのだろうと、今度来た時もみんな素知らぬ振りをしていようという意見で纏まった。
「八百屋の主人、あんたは直接お二人と話したんだろう。どうだった」
仲間内で盛り上がっていた中の一人が少し離れた席で酒をちびちび飲んでいる八百屋の主人に話し掛ける。
八百屋の主人はふっと微笑んだ。
「恋人と言ったら、まだそういうのじゃない、と言われたよ。転ぶ前からずっと、隣を歩くご婦人をあんなに熱心に見つめて気遣っておいて……ふふふ」
「我が領の跡取り息子様は昔から素直じゃなくて本当に可愛らしい」という八百屋の主人の言葉に、酒場に居た全員が同意した。
おっちょこちょいで世話焼きで、どうしようもなく放っておけない、我らの愛する次期領主様。
どうかあの素直じゃないけど誰よりも優しい心を持つ青年の恋が叶いますようにと、酒場の男達が、酒場の外では女達が井戸端会議で盛り上がっていたその頃。
噂のセシルはコレットの事を思い出して動揺してすっ転び、広場の噴水に頭から盛大に突っ込んでいた。
話の流れを自然にするため、丸々修正致しました。
お読みいただきありがとうございます(*´`)♡