4本目 マルシェの逮捕劇と人型ニンジン
『た、楽しい……!』
手作りのお菓子や雑貨、その他様々な屋台が立ち並ぶマルシェ。赤、黄色、白……。色とりどりの旗で飾り付けられた広場では子ども達が笑い声を上げながら駆け回り、人々は楽器を演奏する人を囲んで身体を揺らしながら楽しげに手を叩いています。
今まで販売に追われていたので広場をゆっくり見渡す余裕もありませんでしたが、物凄い賑わいようです。
私は晴れた空の下で手を取って踊り出す人達に混ざって一頻り踊りを楽しみ、チュロスにいちご大福、飴細工などでお腹を満たした後でセシル様の元へ小走りで帰りました。セシル様は建物の壁にもたれかかり、じっと広場を眺めています。
「ん、おかえり。もう気は済んだのかよ?」
「はい!とっても楽しかったです……!そういえば、セシル様は踊られなくてよろしかったんですか?なんだか私ばかり楽しんでしまったみたいで……」
「へ!?え、遠慮しておくよ……ボクはそんなにダンスに興味が無いからね……」
「そうなんですね……」
そういえば、元々あまり社交に出ないセシル様ですが、お茶会や夜会、立食パーティーなどでお見掛けする事はあってもダンスパーティーでは見た事がない気がします。
成程と頷いているとセシル様が苦い顔をしていました。
「……日常生活の歩行もままならないってのに踊りなんか出来るわけないだろ……!」
「え?」
「な、なんでもないっ!ボクは毎週末ここに来てるからいいんだよ。あんまり変わり映えはしないけど、出店もちょくちょく変わるしイベントもあるし、まあ退屈しのぎには丁度い……あっ」
ころん、とセシル様の足元に飴玉が転がり落ちました。見るとセシル様のポケットがパンパンに膨れています。そしてそこからころりとまたひとつ飴玉が。
「…………」
「…………」
しばしの沈黙が流れ、私はそっと飴玉を拾い上げました。
「セシル様、さっき開催されていた飴玉の掴み取り大会……沢山取れたんですね」
「凄いです」と微笑むと、セシル様の顔がみるみるうちに赤くなり。
「なっ……!なんだよ!そんな顔で見るなよ!いいだろ別に飴くらい!!!」
「美味しいんだから!!!」と私から飴玉をひったくるようにして奪い取り、耳まで真っ赤になって弁解するセシル様。セシル様もちゃんとマルシェを満喫していたようで何よりです。何だかほっこりしてしまいます。
「そ……それより、あんたはちゃんと満足できたのかよ?……なんか、随分と沢山食べてたように見えたけど……」
「はい、美味しくてついつい食べ過ぎてしまって……。特にいちごだいふく、というあのもちもちしたお菓子……!私、初めて食べたのですがとても美味しくて……!」
「あははっ、そうだろ?あれは母さんが考案したローゼブル侯爵領限定のお菓子なんだよ」
「なるほど、どうりで初めて見たと……」
「あと、冬は餅つきっていって、街の人みんなにつきたての餅を振る舞うんだ」
「ボクはそれが一番好きだな」と頬を緩めるセシル様。セシル様曰く、杵と臼という道具を使ってぺったんぺったんともち米というものをつくのだそうです。なんだか見ているだけで楽しめそうです。
「気が向いたら来てみなよ。うちの領は結構イベント多いし、秋には仮装した街の子ども達にお菓子を配るイベントとかもあるからあんたも楽しめるはずだよ」と言われて目を輝かせます。
お菓子を配るイベント。お菓子を愛し、販売する者として絶対に見逃せません。
一瞬でキリッとした私に「あんた、お菓子のことになると目の色変わるね……」と呆れたように笑ったセシル様。
その視線がついと流れ、何かを目に捉えた瞬間。形のいい眉が怪訝そうに歪みました。
「……あれは……」
「セシル様……?」
「あんたはここで待ってて。あっそこのあんた、この子のこと見ててくれる?それと仲間集めるように合図出して。なるべく目立たないようにね」
「はっ!」
セシル様に呼び止められた衛兵が私の隣に立ち、手持ちの機械のようなものに話し掛けて仲間に合図を出します。
セシル様は向こうで開店準備をしているテントの元までつかつかと歩いて行きました。
『……開店準備……?』
おかしいです。マルシェの開始時間は10時のはずなのに、どうして今頃開店準備なんて……。
「ねぇ、そこのあんた」
セシル様に声を掛けられ、テントの中の男性の肩がぎくりと揺れます。男性はゆっくりと振り向くと、へらりと媚びへつらうような笑みを浮かべました。
「これはこれはローゼブル卿のご子息様、こんな新参者のお店に立ち寄っていただいてありがとうございます。しかし、ここには侯爵家の方にお出し出来るようなものは何も……」
「これ、貰うよ」
「あっ、それは……!」
テーブルの上にずらりと並んだ、健康になるという売り文句が書かれているお茶。
セシル様はそのうちのひとつを口に含むと、すぐにぺっと吐き出しました。
「……クラリソウ。香りの強いものを混ぜて誤魔化してるけど、麻薬で間違いないね。マルシェの開店時間には姿を現さずに、こんな時間になってこそこそと……。こんなものをテーブルに沢山並べていったい何をしようとしてたのか、洗いざらいきっちり吐いて貰おうか」
「……ちっ!」
「逃がさないよ!衛兵!」
背を向けて逃げ出そうとした男性とその仲間達。しかしセシル様が手を挙げた瞬間、建物の影に隠れていた衛兵達が一斉に飛び出して男性達を捕らえました。
衛兵に捕らえられた男性達が悔しそうにセシル様を睨みます。
「侯爵家の坊っちゃんがどうしてこんなとこに!聞いてないぞ!」
「聞かせる訳ないだろ。このマルシェに初めて出店する店の飲食物は全て!このボクが責任をもって検食する。あんた達みたいな輩にこの街に毒を流されちゃ堪らないからね!」
『ああ、それで私のお菓子も……』
セシル様が開店準備中に訪れた本当の理由は、売られているものが安全かそうでないかを瞬時に判別し、不審な人物を捕えるためだったのです。
貴族の中には毒の耐性をつけるために跡取りに幼い頃から微力の毒を与えて身体を慣らす家もあります。さらにセシル様は美食家で優れた味覚の持ち主。毒の種類もすぐ判別できるのでしょう。
セシル様はそんな自身の特性を生かし、誤って街の人が危険物を口にしないように守っていたのでした。
「人が大勢集まるマルシェで麻薬販売未遂。許されることじゃないね。水路の冷たい水で頭を冷やして貰うよ」
「連れて行きな」と衛兵に指示を出すセシル様。一連の騒動を見て広場でざわめいていた人々は顔を見合わせ……わっと歓声を上げました。
「さすがセシル様!伊達に潜り抜けてきた食あたりの数が違うね!」
「よっ!やる時はやる男!やらない時はポンコツだけど!」
「顔が良いだけの男じゃないぜ!」
「あんた達それ褒めてないだろ!?」
ムキーッ!と地団駄を踏むセシル様。街の人にお礼を言われながらもケラケラと笑われ、「嬉しくない!」と憤っています。先程まで次期領主として凛とした態度で犯罪者に立ち向かっていた人と同一人物だとは思えない程の変わりようです。
「セシル様……さっきの……」
「ああ、あんた。一人で待たせたりして悪かったね。マルシェはこれから調査とか色々あってあんまり楽しめないだろうし、市場にでも案内するよ」
「あ……」
セシル様。さっきの、凄くかっこよかったです。
口に出そうとした純粋な感想は遮られ、言うタイミングを逃してしまいました。
それにしても。
『どうしてセシル様はあんなに領民達にからかわれていたのかしら……?』
胸の内に湧いた微かな疑問。
私は不思議に首を傾げながらも「行くよ」という声に慌てて彼の背中を追い掛けました。
❂ ❃ ❅ ❆ ❈ ❉ ❊ ❋
「凄い……!どこもとっても賑わってるわ……!」
セシル様に連れられて歩く市場はとても賑やかで、はしたないと分かっていてもきょろきょろと辺りを見回してしまいます。
アコーディオンやバイオリンの演奏が鳴り響き、身体を揺らして手を叩き、そして堪えきれずに近くの人と手を取って踊り出す人々。
変わった果物を売っている異国の商人、可愛らしい手芸屋さん……。
ダンデリオン伯爵領では見たこともない物ばかりが並んでいて、今日だけではとても全部回り切れそうにありません。
「どこから見て回ろうかしら……!」
「ちょっと、そんなにあっちこっち見ながら歩いてたら転……ぶへぇ!!!」
「えっ」
突然隣を歩いていたセシル様が視界から消えました。
ぴたりと立ち止まり視線を落とすと。
「ほぉら……だから言っただろ……転けるって……」
『……私じゃなくセシル様が転けるなんて思わなかったわ……』
まさかの全身ダイブ。さっきのセシル様と領民達の会話で少しおかしいなと思う箇所はあったけれど、まさかセシル様がこんなにおっちょこちょいな方だったなんて。
「セシル様がまた盛大に転けたぞ」「誰か救急箱持ってってやれ」とざわめき出す市場。
前を向いて歩く事の大切さを身をもって教えて下さったのですね、なんて事は失礼過ぎてとても言えないので慌ててセシル様を抱き起こします。
「セシル様、大丈夫ですか……!?」
「ふみゅっ」
私のお腹と胸の肉に埋もれてセシル様が変な声を上げました。
セシル様、細く見えるのに結構重いです。身長も高いし、普段からこの美貌を維持するために鍛えていらっしゃるのでしょうか。服の上からでも意外と筋肉が付いているのが分かります。
「セシル様、お怪我はありませんか……?」
「……ぽよぽよ……あったか……もちもち……」
何やら放心状態でぶつぶつと呟いていますが、今はそれどころではありません。
見ると転んだ時に手をついてしまったようで、レザーのグローブの隙間から血が出ていました。
「すみません、どなたか手当を……!」
「救急箱、持って来ましたよ」
「ありがとうございます……!」
サッとセシル様の手に消毒液が吹きかけられ、くるくると包帯が巻かれていきます。
手当をしている初老の八百屋の店主に「手際が良いですね」と横から話し掛けると「セシル様が小さい頃からよくすっ転んで大泣きしていたので、うちの領民はみんな慣れてるんですよ」と言われて納得しました。社交の場で見かける時もよく躓いていて、病弱ゆえの立ちくらみかと思っていたのですがあれもただのおっちょこちょいだったようです。なんだか拍子抜けしてしまいます。
「とりあえずはこれで良いでしょう。セシル様、恋人が心配なのは分かりますけど自分の方がおっちょこちょいなんですから、ちゃんと前見て歩いて下さいね」
「なっ……!?ち、違う!この子はまだそういうのじゃ……!」
「そ、そうです……!私なんかがセシル様の……恋人、だなんて……」
一体どこをどう見たら恋人に見えるのでしょう。私なんかとセシル様じゃ絶対釣り合っていないのに。
八百屋の主人は何故か微妙な表情で私たちを交互に見た後、大きくため息をつきました。
「……まあ、そういう事にしておきましょう。これはお守りに差し上げます」
八百屋の主人が差し出したのは、人の形をしたニンジンでした。
一体どうしてそんなものが。
「この流れで恋愛成就のロベルト!?交通安全のお守りじゃなくて!?」
「今のセシル様にはこちらの方がご入用でしょう」
人型のニンジンが恋愛成就の御守りとは、これいかに。恋愛と何か関係があるのでしょうか。
「あのねー、セシル様のおじい様とおばあ様が出会った時に人型のニンジンに顔を描いてロベルトって名前を付けたんだって」
私が頭にクエスチョンマークを浮かべていると、近くに居た男の子が教えてくれました。
セシル様のおじい様とおばあ様……つまりローゼブル侯爵家の先代当主ご夫婦。
若かりし頃のセシル様のおばあ様は、セシル様のおじい様が人型のニンジンに顔を描いてロベルトと名付けてプレゼントして来たのが決め手で逆プロポーズしたのだそうです。
どうやらそれ以来、人型ニンジンのロベルトは恋愛成就の御守りとしてこの地で愛されているらしく。
「それは……どうしてそのような状況になったかお尋ねしても?」
「しらないよ〜」
「あらら、それは残念です……」
一体どんな出会い方をしたら侯爵家の跡取り息子がニンジンに顔を描いてご令嬢にプレゼントする展開になるのでしょうか。そして何故それが結婚の決め手となったのでしょうか。
誰もその状況に疑問を抱かないどころか、人型ニンジンのロベルトが恋愛成就の御守りとしてこの美しい街で根強い人気を誇っていることに驚きです。
人型のニンジンを渋々受け取り、真っ赤な顔でつんと唇を尖らせながら「そういうのじゃないからね」と念を押すセシル様。八百屋の店主はそんなセシル様の言葉を「はいはい」と軽く受け流すとくるりと私の方を向きました。まるで娘を手放す父親のような優しい目が私を映します。
「セシル様をよろしくお願いしますよ」
その瞳に映った私の身体はまん丸で、とてもセシル様の隣に並べるような容姿ではなくて。
私はどう返していいか分からず、曖昧に笑う事しか出来ませんでした。
ロベルトの誕生秘話、同シリーズの短編「危険な令嬢にご注意を」もよろしくお願いします。